枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に㉑ ~三尺の御几帳一よろひをさしちがへて~

 三尺の御几帳1セットを互い違いに立てて、こっちとの仕切りにして、その後ろに畳一枚を横長に縁を端にして、長押の上に敷いて、「中納言の君」っていうのは殿(道隆)の叔父様で右兵衛の長官でいらっしゃる藤原忠君っていう方のお嬢さま、「宰相の君」は富小路の右大臣(藤原顕忠)のお孫さん、その二人が長押の上に座って見ていらっしゃるの。定子さまがあたりを見渡して、「宰相の君はあっちに行って、みんながいるところでごらんなさい」っておっしゃっると、そのご配慮を察して、宰相の君が「ここでも3人だったらすごくよく見えますから」って申し上げられたもんだから、定子さまは「それじゃあ、入りなさい」っておっしゃって、私を召し上げるんだけど、下に座ってる女房たちが「殿上を許された内舎人(うどねり)ってとこね」って笑うから、「これ、笑わせよう!っていうお思いでおっしゃったのですか??」って言うと、「馬を引くほうの内舎人かな!!」なんて言うのだけど、そこに上って座って見るのはすごく名誉に思うわ。こういうことなんかを自分で言うのは自慢話でもあるし、また定子さまのためにも、軽々しくこの程度の人をそんな風に贔屓にしてたかなんて、当たり前みたいにものごとを理解して世の中のことを批判したりする人っていうのはつまんないっていうか、おそれ多くも定子さまを巻き込んじゃって恥ずかしくはあるけど、事実なんだから書かないではおけないでしょ?? ほんと、身のほどを過ぎたこととかっていろいろとあるものよね。


----------訳者の戯言---------

「几帳」というのは、移動式の布製の衝立(ついたて)です。当時の間仕切り、可動式のパーテーションですね。
細かなところまできっちりしている人を「几帳面な人」と言ったりしますが、この几帳から来てるそう。元々、几帳の柱が細部まで丁寧に仕上げてある、ということからこう言ったそうですね。

一尺≒30.30303030303…cmなので、三尺は90cmぐらいです。三尺の几帳は、室内用の几帳で、高さ三尺×幅六尺だったらしいですね。

内舎人(うちとねり/うどねり)というのは、帝や貴人の身辺警護を担当したスタッフだそうです。当時はそんなに身分も職位も高くはありませんでした。


女房の世界も妬みやら、マウンティングやらいろいろあったようですね。
しかし、中宮さまの前でダイレクトに声を出して言うとは、言う方も根性入ってます。
LINE外しとかのSNSでの陰湿なイジメに比べるとまだマシなのかもしれませんね。

清少納言の言う「世の中もどきなどする人(世の中のことを批判したりする人)」というのはどういう人か? 読みながら思ったのは、ひろゆきですね。平安時代ひろゆき。論破王。そういう人もいたのでしょう、たぶん。
㉒に続きます。


【原文】

 三尺の御几帳一よろひをさしちがへて、こなたの隔てにはして、その後ろに畳一枚(ひとひら)を長さまに縁(はし)を端(はし)にして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛の督(かみ)忠君(ただきみ)と聞こえけるが御むすめ、宰相の君は、富の小路の右の大臣の御孫、それ二人ぞ上にゐて、見給ふ。御覧じわたして、「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここにて、三人はいとよく見侍りぬべし」と申し給へば、「さば、入れ」とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、「殿上ゆるさるる内舎人(うどねり)なめり」と笑へど、「こは、笑はせむと思ひ給ひつるか」と言へば、「馬副(むまさへ)のほどこそ」など言へど、そこに登りゐて見るは、いと面だたし。かかることなどぞ、みづからいふは、吹き語りなどにもあり、また、君の御ためにも軽々しう、かばかりの人をさおぼしけむなど、おのづからも、もの知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、かしこき御ことにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。まことに身のほどに過ぎたることどももありぬべし。