枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

野は

 野でいいのは?
 嵯峨野は言うまでもないわ。印南野(いなみの)。交野。飛火野(とぶひの)。しめし野。春日野。そうけ野はなんとなーくおもしろいわね。どうしてそんな名前をつけたのかしら? 宮城野。粟津野。小野。紫野。


----------訳者の戯言---------

ええ感じの野。です。
嵯峨野は言うまでもない、というのは今も同じですね。

印南野(いなみの)は、今の兵庫県にありました。明石川加古川に挟まれた台地のエリアだそうです。きれいな原野だったんでしょうか。

交野(かたの)は、ご存じのとおりで、大阪府交野市です。交野ヶ原。交野台地ですね。現在の枚方市にも少しかかっているエリアのようです。
川は」という段で天の川という川が出てきましたが、その川があったとされるのも、この交野ヶ原でした。

そして、この辺りで詠んだと言われているのが、超有名なこの歌↓です。

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
(この世に桜というものがなかったら、春になっても気持ちが穏やかでいられるのになぁ)

在原業平が惟喬親王と交野ヶ原に遊び、惟喬親王の別邸(渚院)の桜を詠んだもの、と言われています。生涯3733人の女性と情を交わしたとされる超色好みですから、この歌は、女子に心惑わせられることを自嘲した歌のようにも言われています。これまた、女っつーのは♪ ですね。在原業平の名誉のためにも書いておきますが、もちろん他の意味に読み取ることもできます。彼は権力に固執することを嫌い、権力争いに右往左往する、そういう人々を冷静に見ていたのかもしれません。
というわけで、ちょっと逸れ気味になりましたが、交野というエリアは美しい自然のあるいい場所だったのでしょう。京都、奈良、大阪の真ん中あたりにあって、ちょうど良い感じの郊外であるとも私は思います。

狛野(こまの)というのは、今の京都府の南端部で、かなり奈良県に近いところです。今は市町村合併木津川市となっていますが、かつて山城町と言った辺りが、狛野と言われた場所のようですね。通称「狛のわたり」。「わたり」は辺り(あたり)のことです。狛の野っぱら=狛の辺、ってことですね。木津川がちょうど南北の流れになるところ、東北岸です。調べると、JR奈良線の「上狛」という駅がありました。
狛というのは、狛犬(こまいぬ)の狛なんですが、昔は高麗と書いて「こま」と読みました。この辺りには、昔大陸から来た渡来人が多く居住していたらしく、そのために「こま」と呼ばれたようです。

飛火野(とぶひの)。今は「とびひの」と言います。ここは私も行ったことがあります。というか、奈良公園の一部、という感じです。芝生の広がってるあの一帯を飛火野と言うんですね。今もきれいなところです。もちろん鹿もたくさんいます。

しめし野。かなり調べましたが、ここは手がかりがありません。お手上げでした。そういう名前の野が当時はあったのでしょうか、もしくは誤記だと思います。ご存じの方がいらっしゃいましたら、手がかりだけでもご教授ください。よろしくお願いします。

春日野は、奈良の春日大社の境内から東大寺興福寺にかけての辺り一帯を言います。ざっくり言うと今の奈良公園ですね。先に出てきた飛火野は春日野の一部という認識でいいと思いますが、清少納言的には別に挙げています。趣が少し違うと捉えたのかもしれません。

奈良は京都と違って、このように主要な観光スポットが集中しているので、移動時間がかからず観光の効率はいいんですね。それに鹿がいっぱいてかわいいです。今はコロナの影響でインバウンド観光客も国内観光も激減して、せんべいをもらえない鹿がお腹を空かせているのでは?という話もありますが、主食は草ですから、大丈夫です。オヤツがちょっと減っている感じですね。ダイエットで甘いものを減らしても、朝昼晩はしっかり食べるから大丈夫、みたいなものですよ。

「そうけ野」も、今はないようです。過去にあったという情報も得られませんでした。清少納言ももう少し具体的な情報を盛り込んでくれたらいいんですけどねー私みたいに。
彼女的には、「そうけ野」は、名前が意味なくおもしろいらしいです。
何ソレ? わけわかんね ウケるー って感じなんでしょうか。

宮城野は、今の仙台にあった原野だそうです。仙台市宮城野区という地名は今も残っています。歌枕なので清少納言はこれを挙げたのでしょう。たぶん彼女は行ったことないでしょうけど、古今和歌集以来、この地にちなんだ多くの和歌が詠まれていますからね。

粟津野も歌枕です。滋賀県大津市に粟津町というところがあります。京阪電車にも「粟津」という駅がありますね。琵琶湖の南端にあって、古来、交通の要地となっていたところです。湖畔の風光明媚なところでもあったのでしょう。「逢わず」の意味を掛けて「粟津野」がよく和歌に詠まれたというのもうなづけます。

小野。歌枕には無さそうですが、小野っていう地名はいっぱいあります。「ちっちゃい野」ですからね。きれいに聞こえますけど野ですから。野原ですから。自然のまんま。悪く言えば、開発されてないだけとも言えますしね。
で、関西で小野というと、兵庫県の小野市です。土器もたくさん出ていますし、古墳もある地域です。7世紀には寺院も建てられています。もしかするとここかもしれません。

もう一つは、長野県にある憑(たのめ)の里というところです。実は「たのめの里」は以前、「里は」という段に登場した里なのですが、ここにも古くから小野という地名が見られます。
もしかして、これが小野でしょうか。根拠もないし、全く自信はありません。ほぼ、当てずっぽうです。でも、素人ですからね。ぜひ、教えてください。
無責任極まりないですね。

紫野は京都市北区にあります。おおむね、船岡山周辺から大徳寺あたりのエリアを言うそうですね。前にも別の段で書きましたが、昔はあの葵祭賀茂祭)の主役ともいえる斎王(いつきのみこ)が住む斎院(跡地は上京区)があったところでもあります。元々、このあたりは天皇や貴族の薬草園や別荘があったり、遊猟地でもあったところ。生薬や染料に使う貴重な紫草が生えていたので、この名がついているらしいですね。今は住宅地になっているようです。

実は、京都には紫野を含め「七野(しちの)」と呼ばれる「野」がありました。七野とは、内野、北野、平野、上野、紫野、蓮台野(れんだいの)、〆野(標野/点野/しめの)、京都市の北方、船岡山の周辺に広がっていた七つの野の総称で、洛北七野とか京都七野とも言われたそうです。区で言うと現在の上京区から北区にかけてのエリアですね。〆野の代わりに柏野(かしわの)、萩野、御栗栖野(みくるすの)であったという説もありますし、他に、頭野(かしらの)、禁野などがその一つであったという説もありました。
京都にお住いの方に聞くと、今の船岡山は、緩やかな道を登って行くと広い公園になっていて、北区の人たちの憩いの場になってる、やはり素敵な場所なのだそうです。

洛北と言うと、現在思い浮かべるのは上賀茂から北の、岩倉、貴船、八瀬、大原とかなんですが、平安時代平安京大内裏から見て北の船岡山の周辺地域を指していたようですね。今の北区南部の平野部も洛北だったということなんです。今だと、そこ洛北?みたいに思われると思いますが、平安宮(大内裏)の北はざっくり「洛北」だったのでしょう。
いずれにしてもこのあたりにはいい「野」がいっぱいあったんだと思います。

というわけで、清少納言がいいと思った野、原野を書き連ねた段でした。
しかし調べることだらけで遅々として読み進めません。


【原文】

 野は 嵯峨野さらなり。印南野。交野。狛野。飛火野(とぶひの)。しめし野。春日野。そうけ野こそすずろにをかしけれ。などてさつけけむ。宮城野。粟津野。小野。紫野。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)