枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

うれしきもの③ ~陸奥国紙~

 陸奥国紙(みちのくにがみ)や普通の紙でも、いいのをGETした時。こっちが恥ずかしくなるくらいすごい人に歌の上の句や下の句を尋ねられた時、すぐに思い出したのは我ながらうれしいわ。いつも覚えてる歌も、人から尋ねられたら、きれいさっぱり忘れちゃってることが多いのよね。
 急ぎで探してる物が見つかったのも(うれしい)。

 物合(ものあわせ)や何やかやの勝負事に勝ったのは、どうしてうれしくないことかしら? うれしいに決まってるじゃない! また、自分はイケる!とか思ってドヤ顔になってる人を、引っかけてやりこめた時。女同士よりも、相手が男のほうがいっそううれしいの。これの仕返しを絶対してやろうって思ってる??って、いつも意識しちゃってる感じなのもおもしろいんだけど、すごくさりげなく何にも思ってない風で、油断させたままで過ごしてるのもまたおもしろいわ。
 憎ったらしい者がひどい目にあうのも、罰があたるかも??とは思いながらも、またうれしいの。


----------訳者の戯言---------

陸奥国紙(みちのくにがみ/陸奥紙/みちのくがみ)。陸奥紙として、「心ゆくもの」という段でも出てきてましたね。当時から高級和紙で、檀紙というもののようです。


物合(ものあはせ)というのは、対戦ゲーム的なものでしょうか。といっても、今もパラリンピックやってますが、スポーツ的なものとは違うようですね。文化会系のやつというか、物自慢とか目利きというか、センスを競ったり、テクニックやスキルを競ったりもしたようです。団体戦のようですね。

左右二組に分かれて課題の品物などを持ち寄らせて、審判を立てて何回戦かを戦って、左右チーム総合の勝敗を決めるものだとか。
で、歌合、絵合、貝合、鳥合(闘鶏)、花合(花の優劣を競う)、小鳥合(小鳥の品評会)、虫合、前栽合、扇合、琵琶合など。かなりの分野でやってたようですね。
貝合というと、蛤の貝殻で神経衰弱みたいなのをやる、というのが有名ですが、珍しい貝を出し合って優劣を決める貝合もあったようで。そっちのです。
琵琶合というのは、琵琶の伝来、形状、音色なんかを競ったようですね。楽器として。物合ですから、演奏の腕を競うのではなくあくまでも「モノ」なんですね。他に季節の行事として、菖蒲の根合、菊合、紅梅合などもあったそうです。

菖蒲の根合(あやめのねあわせ)というのは、菖蒲の草を持ち寄り、その根の長さを競うらしいです。根ですよ根。けれど、ほんとうは地下茎らしいです。レンコンみたいなとこですかね。ちなみにジャガイモやサトイモは地下茎、サツマイモやヤマイモは根が発達したものらしいです。
節は五月にしく月はなし」の段でも菖蒲の根が出てきましたが、根にしろ地下茎にしろそういうのをありがたがったのですね。そもそも菖蒲が邪気払いのもので、葉より地下茎のほうがさらに香りが強いから、パワーがあるとしたんでしょう。
で、「栄華物語」の「根合」の巻には一丈三尺もあったのが書かれているそうです。4m近いですね。デカすぎじゃん。持って帰ってくるのがたいへん過ぎますよ。

さて、この「菖蒲の根合」は現在も、京都の上賀茂神社の5月5日の賀茂の競馬(くらべうま/きそいうま)の日に行われてるということです。5月5月というのは端午の節句なんですが、植物で言うと菖蒲の節句なんですね。で、平安時代、5月に災害とか縁起の悪いことが多かったということもあって、まじないのために競馬が開催されました。今のJRAの前身です(嘘)。 
そもそもは宮中の武徳殿というところで行われていたんですが、宮中から外に移そうという話になって、名乗りを上げたのが石清水八幡宮上賀茂神社であったと。で、これを「菖蒲の根合」で決めることになりました。まあ決め方が優雅と言うか、遊びじゃん。で、上賀茂神社に決まりました!と。で、今も午前中に菖蒲の根合わせをやって、午後に競馬をやるようです。
今や神事ですから、天下泰平、五穀豊穣を祈願するものであって、どちらも本気度は低いようですね。競馬の本気のやつを求める方はJRAに行ってください。淀ですね。春の天皇賞です。

逸れましたが「物合」。まず左方と右方のチームメンバーを決めます。
だいたいは各チームのスポンサーとなる大貴族が、親類縁者・家臣など関係者の中からその道に優れた人を抜擢するそうです。歌合などでは、一般の貴族であっても和歌の腕がよければ選ばれて見いだされるみたいなこともあったようなので、身分低めの参加者の中には文字どおり命がけで歌を考えるような人もいたらしいです。

左方のチームカラーは暖色系(当時は紫から橙色まで)で、大きな物合のイベントではアシスタントの女童たちの衣装や品物を包む紙とかも赤紫から紅の色合いでデザインを統一。右方のチームカラーは寒色系(当時は黄色から青紫まで)で、同じく凝ったデザインにして競ったらしいです。赤チームと青チーム的な感じですね。

審判(判者)を選ぶのもたいへんで、審美眼がある、目利きであるのはもちろん、判定書に必要な書道や文章、和歌とかに精通した人が選ばれたらしいです。
両チームにはチーム代表で解説や進行を担当する「頭」や、応援担当の「念人」が選出されることもあったらしいです。キャプテンとかチアリーダーみたいなのですね。

スポンサーがいて、それぞれの名手(プレイヤー)が選ばれ、チームカラーのユニフォームやグッズが用意され、アシスタントもいて、レフェリーは一流、チアリーダーもいるというね。もうほとんど今のプロスポーツみたいな感じです。


さて、清少納言は勝負事には勝ちたい人なんですね。しかも女同士よりも男性に勝ちたいと。なかなかの負けず嫌いです。しかも、憎んでる人の不幸を喜ぶというトンデモな人、それが清少納言
このままでいいのか清少納言。次の④で汚名を濯がないと。


【原文】

 陸奥国紙(みちのくにがみ)、ただのも、よき得たる。はづかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、われながらうれし。常におぼえたることも、また人の問ふに、清う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むるもの見出でたる。

 物合(ものあはせ)、何くれと挑むことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ。また、われはなど思ひてしたり顔なる人謀り得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これが答(たふ)は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、何とも思ひたらぬさまにて、たゆめ過ぐすも、またをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪や得らむと思ひながら、またうれし。