枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

島は

 島っていうと…。八十島(やそしま)。浮島。たはれ島。絵島。松が浦島。豊浦(とよら)の島。籬(まがき)の島。


----------訳者の戯言---------

ちょっとめんどくさいやつです。時々ありますね、「いかしてる〇〇特集!!」みたいな段。
今回は「いかした島」です。今もあるのかどうかもわからない島。清少納言自身行ったこともないかもしれない島とかですよ。だいたい、名前だけで判断して優劣とかつけてますからね、詠われた和歌の印象とか。
短いのは良いんですけど、調べることが多すぎるので、結果的にものすごーく手間暇がかかります。愚痴ですね、すみません。


十島という島は、今は見当たりません。当時あったのかも調べましたが、よくわからないんです。出羽の国(現在の山形県秋田県の大部分をさす国名)に八十島という歌枕があったっていうんですね。一説には八津島とも言われていますが、それも定かではありません。陸奥の歌枕と書かれた書物もあるようですしね。

ちなみに出羽の国の象潟という海岸沿いの場所で、西行という聞いたことのあるようなお坊さんが詠んだというのが、この歌↓です。

あはれいかに ゆたかに月を ながむらむ 八十島めぐる あまの釣舟

訳としては「ああ!どんなにゆったりと月を眺めているんだろうね、八十島をめぐる海人の釣舟では」ですが、「八十島」を特定の島と考えるより、むしろ、八十島=「たくさんの島」とする解釈のほうがポピュラーな感じですね。

ちなみに西行という人は、平安末期の人で、平清盛とかとだいたい同年代の人だそうです。元々は武士でした。源頼朝とも接点があったらしいですね。枕草子の時代よりは100年以上後ですから、清少納言は全然知らない知らない人です。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
(大海原に、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよって、人々には告げてよ、漁師の釣り船よ)

という歌が百人一首にあります。小野篁(おののたかむら)という人の歌です。才能のあった人らしいですが、奇人というか、自由気ままだったらしく、奇行が多くて、遣唐副使にも任じられたらしいですが、大使の藤原常嗣とケンカして、嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐島流しとなりました。後で許されて、戻ってきて参議にまでなるんですけどね。
で、その島流しの時に詠んだ歌がこれ↑でした。

別の話なんですが、「八十島祭」という天皇の即位儀礼もあったようです。難波津で行われたらしいですが、今はありません。難波津ですから、今の大阪です。「八十島」がこれに由来するのかとも考えました。
この場合の「八十島」というのは、日本の国土=大八洲を指すとされているようです。八じゃなくて八十になってますが?
細かいこと言うなって?スミマセン。いやいやいやいや10倍やん! 細かないやん! 

大八洲というのは、イコール「日本」のことでもあったというわけですね。「古事記」では、イザナミノミコトが生まれた淡路(島)、伊予(四国)、隠岐、筑紫 (九州) 、壱岐対馬佐渡大倭豊秋津島 (本州)の8つの島から成っていたそうです。北海道や奄美大島、沖縄なんかは含まれてないんですね。

とすると、八十島は、当時の日本全体のことですか。また大きいところいきましたねー。「あなた、どこに住んでるの?」って聞かれて「地球!」って言うぐらいスケールでかいです。

いろいろ調べているうちにとっ散らかってしまいましたが、清少納言が書いてる「八十島」っていったい何? いったいどこ?
彼女的に言うと、答えは「八十島なんて行ったことないけど、歌枕になってて何か感じいいしー」ということなのでしょう。えーかげんにしとけよ。


浮島というのは、ウィキペディアで調べると「池沼で水草などの植物の遺骸が積み重なり泥炭化して、水面に浮いているものをいう」とありました。それなのでしょうか? 固有名詞ではないということですか。と思い、これも調べました。

否、これは、陸奥国にありました。宮城県多賀城市にある小さな山で、平地にそこだけ突然浮き上がってる感じに見えますから、「浮島」となったようです。島ではありません。

陸奥は 世を浮島も ありと云ふを 関こゆるぎの 急がざらなん(小野小町
陸奥の国には、この世を浮き浮きさせる所=浮島があるっていうから、そんなにこゆるぎの関を越えるのを急がないでほしいわ…もう少し私のそばにいて…)

塩釜の 前に浮きたる 浮島の 浮きて思ひの ある世なりけり(山口女王 やまぐちのおおきみ)
(塩釜の浦の前の方に浮ぶ浮島みたいに、浮ついてて不安定な仲の私たちなのですね…)

塩釜というのは宮城県塩竃市にある塩釜港あたり。浮島は、少し内陸に入ったところ、先にも書いたとおり塩竃市に隣接する多賀城市にあります。
不安定な、ふわふわっとした、浮ついたことを連想させるのが浮島なんでしょうかね。山口大王(やまぐちのおおきみ)は大伴家持の恋人の一人とされていた人で、晩年この出羽国にいたらしいです。小野小町は現地にいたことは確認されていないようですし、歌の内容からして都で詠んだ感じがしますね。

浮島の 松の緑を 見渡せば ちとせの春ぞ 霞そめける
(浮島の松の緑を見渡したら、幾多の年月の春を経てきた霞が心に染み入ってきたんだよねー)

清原元輔の歌です。清少納言の父もこの辺りの歌をいくつも残しているんですね。父から聞いていたのか?

というわけで、浮島は本物の島ではありません。やはり清少納言、たぶん行ってないと思います。結局は想像でしかありません。これも言葉の感じでベスト7に入れてる感じですね。信用してはいけません。エッセイストならフィールドワークも大事ですよ。


たはれ島。「風流島」と書いて「たはれ島(たわれ島)」と読むそうですね。この島については比較的わかりやすかったです。
実体は熊本県島原湾にある、これも島というよりも岩礁です。平安時代にこの岩礁が都の貴族に知られていたというのも不思議なんですが、国司とかが熊本へ海路から赴任する時に、有明海から緑川河口を通って行ったらしくて、緑川河口に浮かぶこの「たわれ島」が目印になっていたようなんですね。で、歌枕になったようです。


ゑ島(絵島)というのは、淡路島にあるということがわかりました。岩屋港というところにあるようですが、島というよりも、これも岩です。歌枕で、月の名所らしいですね。何故かはわかりません。月はどこでも見ることができますしね。が、淡路島のここなんですよ。明石海峡大橋から淡路島方面に向かうと、左前方遠くに見えるところです。


「松が浦島」というのは、あの松島のことらしいです。松尾芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだと言われてるあの松島です。ダサい句。プレバトの先生に罵倒されるレベル、才能ナシ!!です。ていうか、季語ないし。ま、松尾芭蕉は、この句詠んでないんですけどね。デマというかウソです。「奥の細道」にそんな句はありません。芭蕉ぐらいになるとdisられるんですよ、あることないことで。
さておき、「松が浦島」も歌枕には違いないです。絶景ですからね。

ただ。「松島」が島なのか?というと、違うと思います。「松島」という単独の島はありませんし。松島湾内外の諸島、それと、そもそもその松島湾全体のエリアっていうか、シーンっていうか、それを「松島」っていうんですね。


豊浦(とゆら)の島。無いんですよね、探しても。歌枕だとすれば、それらしいのが、豊浦という所です。豊浦宮(とよらのみや)という、古代、推古女帝が即位した宮殿なのですが、奈良県明日香村にあったところですから、これは島ではないです。ていうか、奈良の明日香って思いっきり内陸部ではないですか。

で、落胆しつついろいろ検索しておりますと、今の山口県下関市に豊浦という地名があることがわかりました。他にも北海道虻田郡新潟県新発田市というところにも豊浦という地名が見られましたが、歴史的には浅く、この下関の豊浦が、最も合致していると推測できます。

相当古いようで、神話の人?っていう仲哀天皇(14代天皇)がこの地に豊浦宮というのを興したらしいと言います。実在したのかどうかは分かりませんけど、西暦190~200年ぐらいの頃らしいです。
下関市の豊浦町。画像とかを見ると、川棚温泉というのがあって、島々を望む穏やかな海、緩やかな山に囲まれるようなすばらしいところです。余談ですが、種田山頭火はここをすごく気に入ってたらしいです。あの山頭火がですよ。

豊浦町の沖合に男島女島、竜宮島、石島の島々があるんですが、これを総称して厚島というらしいです。松島といっしょで、エリア全体を表してるようですね。
つまり、厚島=「豊浦」の「島」というのが私の推察です。


まがきの島。漢字では籬の島です。「竹かんむり」に「離れる」です。こんな字、見たことないですね。意味は、竹や柴などで目を粗く編んだ垣根です。「ませ」「ませがき」とも言われるものです。
今は「籬島」「曲木島」「籬が島」などと呼ばれているそうです。宮城県塩竈市塩釜港内の海岸近くにある小島です。木は生えていますが、小さい岩礁です。


以上、「清少納言が選ぶ☆いかしてる島ベスト7」でした。

もちろん、地名としての歌枕というものは、観念上のものであり、実際の景色を見ていたかどうかは、歌を詠む上でさほど問題ではありません。
しかし、であるとすれば、あえてそれをなぞるだけでなく、私が先にも書いたようにフィールドワークをもって、その本質に言及することこそ、清少納言の著すべき創作であり、稀代のエッセイストと称される彼女の真骨頂だと思うのですが、いかがでしょう。だからこそ、すでに定番化された歌枕をただ書き並べるだけでは、何の問題提起も批評性も感じられず、芸が無いと言わざるをえないのです。

お、なんか真面目な論評となりましたね、我ながら。結局disってますが、たまには批評家っぽくて、こういうのもいいでしょう。今回、これを読んで、特に行きたいなーと思ったのは、下関の豊浦ですね。他のところは、まあ、別にいいです。


【原文】

 島は 八十島(やそしま)。浮島。たはれ島。ゑ島。松が浦島。豊浦(とよら)の島。まがきの島。