枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

舞は

 舞は、駿河舞(するがまい)。求子舞(もとめごまい)はすごくいい感じだわ。太刀を抜くようなところはヤだけど、すごくいかしてるの。唐土(もろこし=中国)で、敵と味方が一緒になって舞ったとかいう話を聞くとね。

鳥の舞もいいわ。抜頭(ばとう)は、髪を振り上げた目つきなんかは気味が悪いけど、音楽のほうはやっぱりすごくおもしろいの。落蹲(らくそん)は二人で膝をついて舞ってるもの。それと、狛(こま)がた、ね。


----------訳者の戯言---------

駿河舞は、ちょくちょく出てきます。駿河の風俗舞(ふぞくまい)で、東遊 (あずまあそ)びの一つ。有度浜 (うどはま)に天人が下って舞ったと伝えられてるものだそうです。風俗舞は、地方の国々に伝承されていた舞です。念のため言っておきますが、風俗とは言ってもみなさんが考えているようなイヤラシイ舞ではありませんよ! 考えてませんか、すみません。
有度浜は、「浜は」にも出てきました。静岡市にある海浜で、歌枕です。 
「東遊び」というのは、古く東国地方で風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊です。つまり、東国の風俗舞。東舞とも言われたそうです。これも「遊び」と名がついてますから、何だかムフフな感じもしますが、やはりそういうものではありません。東遊びは神事舞の一つとして演じられたそうで、現在も宮中や神社の祭礼で行われているようです。


求子舞も東遊びの一種だそうです。求子歌に合わせて踊るんだそうです。これも東遊びの一つで駿河舞とともにその代表格と言われてるらしいです。両巨頭という感じのようです。


太平楽。太食(たいしき) 調で新楽の中曲とあります。さっぱりわかりませんが。新楽というのは雅楽の分類で古楽に対して新しい時代の物を新楽と言うとか。中曲というのは、中くらいの規模の曲ということのようです。舞は四人舞。即位の大礼のあとなどに演じられるそうです。
太食調っていうのは何かというと、現代的に言うと「キー」だと思います。雅楽の六調子の一。平調(ひょうじょう)の音を主音とする旋法ということです。平調というのは、基音の壱越(いちこつ)より二律高い音で、中国の十二律の太簇(たいそう)、洋楽のホ音にあたります。ということは、Eですね。Eのスケールということでしょうか。

呂(りょ)の旋法に属するものだそうですが、まず旋法というのがよくわかりません。呂もわかりません。旋法とは「音楽で、一定の様式をもつ旋律を構成する諸音を選び出し、音階形に整理したもの。音階・調としばしば混同して用いられるが、旋法は旋律の動き方に由来する諸音の機能・中心音・音程配列・音域・旋法間の関係などを含めた概念である」(三省堂 大辞林 第三版)と書かれています。こうなるとさっぱりわかりませんね。洋楽の「調」とはどうも違うみたいです。聴いても慣れないと違いがよくわからないらしいです。もはや素人レベルではどうしようもない感じですよね。専門家の方に聞いてもたぶんわからないと思います。いっちょ雅楽でもやりますか。大嘘大嘘。

で、そんな太平楽に刀を抜くシーンが出てくるんですかね。清少納言的には野蛮でイヤなのでしょうか。


鳥の舞というのは、迦陵頻伽(かりょうびんが/美しい鳴き声をもち極楽に住むとされる想像上の鳥)とも言われる舞です。迦陵頻伽がやってきて舞った様子を写した舞楽であると伝えられているらしいですね。迦陵頻(かりょうびん)とも言います。


抜頭(ばとう)は、唐楽で、こちらは古楽らしい。先に出てきた太平楽と同じ太食調で古楽の小曲だそうです。


落蹲(らくそん)というのは、雅楽舞楽で、二人舞の「納曽利 (なそり) 」を一人で舞うときの呼称だそうです。ソロでやる時とペアでやる時のタイトルが違うんですね。〇〇フィーチャリング△△△、とかでもなく。全然違う曲名(舞楽名?)です。そんなややっこしいことしてたんですね、昔は。
一人舞の場合、曲名を「落蹲」というのは、一人舞の場合、舞人が舞台中央で蹲(うずくま)る舞容があるからなのだそうです。

がしかし、この枕草子では、逆になってます。二人で舞っているのが「落蹲」になってますね。
で、調べてみますと、「南都楽所(なんとがくそ)」では、一人舞の場合は曲名を「納曽利」、二人舞の場合は「落蹲」と呼ぶらしいです。

奈良時代には雅楽が盛んに行われ、その後平安時代になって、まさに清少納言が仕えた中宮定子の夫であり帝の一条天皇の時には、舞楽雅楽の奉行であった狛光高(こまのみつたか)という人によって「南都楽所」がまとめられたそうです。楽所っていうのは、ま、楽団のことですね。ですから、当時は雅楽の主流派だったのでしょう。


狛がた、というのは、不詳。しかし高麗楽(こまがく)に「狛龍」という舞はあったらしく、それが「狛がた」と俗に言われたのではないかという説がありました。高麗楽というのは、朝鮮から伝来した合奏音楽で、中国から伝来した唐楽に対するものであったようです。「狛楽」とも言ったらしいです。


舞とか舞楽とか雅楽とか、めちゃくちゃ難解で、今回はなかなか読み進められず、ちょっとサボりつつ、で、時間がかかりました。J-POPとかK-POPとかロックとか、ブルースとか、そういうのならまだ良いんですが、興味もないですしね、雅楽とかって。次は何なのでしょうか。うんざりしつつ、次段へ。


【原文】

 舞は 駿河舞。求子、いとをかし。太平楽、太刀などぞうたてあれど、いとおもしろし。唐土に敵どちなどして舞ひけむなど聞くに。

 鳥の舞。抜頭は髪振りあげたるまみなどはうとましけれど、楽もなほいとおもしろし。落蹲(らくそん)は二人して膝踏みて舞ひたる。狛がた。