枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

たゆまるるもの

 怠けがちなものって言ったら…。精進の日の行い。まだ先の予定のための準備。お寺に長期間こもるの。


----------訳者の戯言---------

「たゆむ」というのは、気がゆるむとか、油断するとか、なまけるっていうこと。

今はあんまり使わないですかね。
現代ではたいてい「たゆまぬ」とか「たゆまざる」とか「たゆみない」とか打消しの語が入ります。そして、この打ち消した「たゆむ」系の言葉には、たいてい「努力」という言葉が続きます。っていうか、「たゆまぬ」と来たら「努力」しかないでしょむしろ。「たゆまぬ努力」で一つの単語にしてもいいだろ、と思うくらいです。どうでもいいですかそうですか。

さて。
精進の日とざっくり書いてますが、これも何?って感じです。亡くなった人の命日とか、願掛けとか、修行とかいろいろあるみたいですけれど、一定の期間肉食を断って、身を慎んで生活するもの、とされているようです。そんな大事な時に「たゆむ」とはどういうこと!って感じですか。まあまあまあまあ、しかしそういう時にこそ、人間ってつい油断しちゃうもんなんですよねー。

たしかに、まだ結構先のことの準備も、基本やらないですね。私も「明日できることは今日やらない」というほうですから、気持ちはわかります。平安時代の人のコトはどーのこーの言えた立場ではありません。

お寺に長期間籠るというのも何なんでしょうね。今はあまり聞かないですけど、祈願なんかをするため一定の期間、お寺とか神社に籠るというわけですか。これまたせっかくやる気で行ってるのに、気が緩んでるってどうなんでしょう。清少納言も、そう思ったんでしょうか。

今回は「怠けがちなことあるある」でしたが、さほど面白くはなかったですね。怠けることについては、自分のことを顧みると、ちょっとやそっとでは驚きもしないですし、この程度大したことないじゃん、と思います。次に期待しましょう。


【原文】

 たゆまるるもの 精進(さうじ)の日のおこなひ。遠き急ぎ。寺に久しくこもりたる。


検:たゆまるるもの

 

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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