枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

いみじうしたたてて婿とりたるに

 すごく大層な準備をしてお婿さんを取ったのに、すぐに通わなくなった婿が舅に会った時って、申し訳ないことしたかな、なんて思うのかしら??

 ある人が今とっても勢いがある家の娘の婿になって、でもたった1カ月程も頻繁に通いもせずに終わっちゃったもんだから、家中であれやこれや言って大騒ぎして、娘の乳母とかは不吉な呪い言なんか言ったりもしたのに、翌年の正月に蔵人に昇進しちゃったの。「『ビックリだわ。こんな仲になったのに、どうして??』って。みんな思ってたのに!」とかって言い合ってるのは、追々彼も聞くことになるんでしょうね。

 6月にある人が八講(はっこう)を開催された所にいろんな人が集まって聞いてたんだけど、その時、その蔵人になった婿が、綾織の上の袴、黒半臂(くろはんぴ)とかのめちゃくちゃ鮮やかな服装で、半臂(はんぴ)の紐を引っ掛けるくらい近くにいたのを、彼女はどう思って見てるんでしょうね?って、車に乗ってる人たちの中でも事情を知ってる人はすごく気の毒がったんだけど、それ以外の人たちも、「よく平気な顔をしてたもんだよ」なんて、後になっても言ってたわ。

 やっぱり男は、「思いやりの気持ち」とか「人がどう思うのだろう?」ってことは、わからないみたいね。


----------訳者の戯言---------

「いとほし」というのは、一般には現代語でいう「かわいい」とされている語ですが、元々は「気の毒」「かわいそう」という意味合いがあるようで、この時代は「気の毒な」と訳すケースも多いです。

そもそも弱い者、弱ってる者を見て辛い感情とか、困った、という気持ちです。現代の「愛おしい」というのは、この同情?が愛情に変わった感じだと思いますね。


「八講」っていうのは、法華経8巻を朝夕1日2回×4日間、計8回講義して完了する法会だそうで、名家で行われたみたいです。

半臂(はんぴ)というのは、袍(ほう/うへのきぬ=上着)と下襲(したがさね)との間につける袖のない短い衣で、今で言うとベスト的なものかと思います。この彼は黒い半臂を着ていたのでしょうか。
で、半臂を着て結ぶ帯を小紐(こひも)、さらに左脇に垂らす飾り紐を忘れ緒(お)と言うらしいですね。ここで出てきた「緒」というのは、この忘れ緒のことのようです。

鴟尾(とみのお)は、「とびのお」と読む場合もあります。牛車の轅(ながえ)の後方の先端です。轅というのは牛車の両横に前から後ろに亘っている棒みたいなものです。その後ろの先っちょですね。自動車で言うとリアバンパーの両サイド位置、ぐらいの感じで、そこに半臂の忘れ緒を引っ掛けるぐらいの近さ、なわけですから、もう真後ろですね。

「鴟尾」は「しび」とも読みます。瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りで、クニッと曲がってる部分です。お寺とかで、金色になってるやつもありますね。シャチホコがいる部分、シャチホコよりはシンプルなやつと言うともう少しわかりやすいかもしれません。ここではあまり関係ないですが。


さてこの段。
そこそこの有力な家の娘と結婚したけれど、1カ月ももたずに終わった婚姻関係という話です。

当時は通い婚ですから、もう来なくなったら終わりという感じなのでしょう。そんな早くに離婚するなら結婚なんかしなければいいのに。と思いますけどね。そうもいかなかったのかと。
というのも、やはり当時の貴族なんかもお互いメリットのある相手と結婚したんでしょうから。
今だって会社の役員のお嬢さんと結婚して出世とか、政治家の娘と結婚してのし上がるとか、ドラマとかでよくあるやつで、それなんでしょうしね。

蔵人になるというのは、そこそこの出世ですから、本人もやり手だったのでしょう。お偉い方からすると、有能な人物を娘婿として取り込めば家格もより強固になりますから、ウィンウィンなんですかね。

今回は、この婿が、早々に新しい嫁、もっと条件のいい相手に乗り換えを計ったような感じです。つまり先に結婚したほうの娘さんからすると、捨てられた、ということになります。
それに対して、あくまでもクールな蔵人の男。2時間ドラマだと、たいてい殺されますね。元嫁が殺害してしまうんです。哀しき殺人者。ですが、乳母がかばって自分が殺したことにするんですよね。
で、最後に崖っぷちで元嫁が泣き崩れて自白、乳母と抱き合います。
そしてエンディングです。

後日譚。
死んだ蔵人の彼を婿に2番目に迎えた家はほどなくして没落します。その後、いい婿が取れなかったんですね。

さらに何年か後。
刑を終えた娘と小さな男の子が遊んでいます。傍らには、それを見守るあの乳母。皮肉なことに娘のお腹には亡くなった蔵人の子どもが宿されていたのです。
娘はこの子を立派に育て上げることを心に誓い、もう一度家を再興してくれることを願うのでした。END


おっと2時間ドラマを書くことに気をとられて、何の話だったか忘れるところでしたよ。

男というのは人の気持ちがわからないものよね、という清少納言のメッセージですが、非常に物事を類型的というか画一的に論じている。いかがなものかと思います。
女性だって人の気持ちのわからない人はいるだろうし、男女問わずわかっていてもできないことだってありますよ。それが人の心の機微というものです。


【原文】

 いみじうしたたてて婿取りたるに、ほどもなく住まぬ婿の、舅に会ひたる、いとほしとや思ふらむ。

 ある人の、いみじう時に会ひたる人の婿になりて、ただ一月ばかりも、はかばかしうも来でやみにしかば、すべていみじう言ひさわぎ、乳母(めのと)などやうの者は、まがまがしきことなどいふもあるに、そのかへる正月(むつき)に蔵人になりぬ。「『あさましう、かかるなからひには、いかで』とこそ人は思ひたれ」など、言ひあつかふは、(=婿は)聞くらむかし。

 六月(みなつき)に人の八講し給ふ所に、人々集まりて聞きしに、蔵人になれる婿の、綾(りよう)の表(うへ)の袴、黒半臂などいみじうあざやかにて、忘れにし人の車の鴟(とみ)の尾といふものに、半臂の緒を引きかけつばかりにてゐたりしを、いかに見るらむと、車の人々も知りたる限りはいとほしがりしを、こと人々も、「つれなくゐたりしものかな」など、後にも言ひき。

 なほ、男は、もののいとほしさ、人の思はむことは知らぬなめり。