枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

たのもしきもの

 頼もしいものは…。病気の時、お供の僧侶をたくさん連れて加持祈祷をすること。気分がすぐれない時にとても誠実な恋人が言葉をかけて慰めてくれるの。


----------訳者の戯言---------

 今回は頼もしく思えること、心強いもの二例です。

 病気のことは「心地悪しき~」と言い、気分がすぐれないことは「心地などのむつかしき~」と言ったようですね、当時は。鬱陶しい、面倒な、という気分も「心地むつかし」と言ったようですから、ストレス性の症状、鬱なども含まれていたかもしれません。

 「心地」というのは、「気持ち」や「気分」全般のことを表したようで、現代で言うと、マインド、メンタリティ、心構えなども含まれるようです。病気で気分がすぐれないとか、気分が良いとかを言う時にも「心地」の良否を言ったみたいですね。頭やお腹、他にも身体のどこかが痛いと、気は滅入りますから。そして、人や物事の気配とか様子も「心地」で表したようです。
 ただ、「病む」という語もあったようですから、明らかな病気らしい病気を、病気として表す場合にはこちらを使ったのでしょう。

 もちろん医者はいたようですが、ここでも出てきたように、加持祈祷、呪術を用いることも多かったようです。貴族などは基本的には医術と呪術の2つの方法を併用して、病気を治そうとしたらしいですね。

 恋人のことを当時は「思人(おもいびと)」と言いました。その人のことを四六時中「思う」のが「恋する」ことですから同義なわけですね。
 気分がすぐれない時は、恋人が言葉をかけて慰めてくれるのが心強く感じる、と。わからなくもありませんが、やはり病気ならクリニックに行ったほうがいいように思います。


【原文】

 たのもしきもの 心地あしきころ、伴僧あまたして修法(ずほふ)したる。心地などのむつかしきころ、まことまことしき思人(おもひびと)の言ひなぐさめたる。