枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

正月に寺にこもりたるは⑦ ~二月つごもり~

 二月の終わりから三月一日にかけての頃、桜の花の盛りの時期に籠るのも趣があるわね。キレイな若い男のコたちとその主人だと思われる2、3人が、桜襲ねの狩衣、柳襲ねなんかをすごくいい感じに着てて、括り上げた指貫の裾も上品に見えるの。このお籠りの場に似つかわしいいかした装束の男に餌袋(えぶくろ)を持たせて、小舎人童たちには、紅梅、萌黄の狩衣に、色とりどりの内衣、まだら模様に摺り染めした袴なんかを着せてるのね。桜の花を手折らせて、侍っぽいんだけどほっそりした者なんかを引き連れて、金鼓を打つのが素敵なの。誰なのかわかる人もいるんだけど、向こうはこっちに気づかないのね。そのままただ通り過ぎるだけなのも寂しいからって、「ここにいるっていう気配を見せたいんだけどね」なんて言ってるのもいい感じだわ。

 こうやって、お寺に籠ったり、普段は行かない所に行く時、いつもの使用人だけを連れてくのは、行く甲斐がないと思えるわね。やっぱり同じくらいの身分で、ぴったりと気が合って、素敵なことも嫌なこともいろいろと言い合えるような人を必ず1人、2人か、それ以上たくさん誘いたいものよ。いつもの使用人の中にもダメじゃない者もいるけど、普段見慣れてるでしょうからね。男性だって、そう思うんでしょう。わざわざ一緒に行く人を探して声をかけまわってるんだから。


----------訳者の戯言---------

原文にある「あお」というのは「襖」と書きます。律令制下で、武官が朝廷に出仕するときに着用した衣服とされています。「狩襖(かりあお)」という言葉もあったようで、これは狩衣のことを指したようですね。略して「襖(あお)」と言ったようです。ここでは文脈からこの狩衣の意味と考えられます。
同じ字ですが、もちろん「襖(ふすま)」のことを言ってるのではないようです。

「桜=桜襲ね」というのは、表地は白で、裏地が二藍(藍+紅、つまり紫系の色に染めた生地)の襲ね。「桜襲ね」の生地は直衣(のうし)に使われたり、童女の着る汗衫(かざみ)にしたりした、と以前の段にありました。
「柳」というのは「柳襲ね」のことのようです。「桜」が白と紫なのに対して、「柳」は表が白、裏が青だそうです。
どちらも「襲」の色目の名前ですね。そもそも「襲」っていうのは、ここで出てきた狩衣とか直衣とか、女子では唐衣(からぎぬ)、袿(うちき)などの衣服の表地と裏地の組み合わせのことだったんですね。

原文の「あてやか」は漢字では「貴やか」と書くそうです。「上品で美しい、気品がある」という意味のようです。

原文の「つきづきし」は「似つかわしい」「ふさわしい」「調和がとれている」「しっくりしている」という意味だそうです。覚えていらっしゃるでしょうか、枕草子のはじめにあった「春はあけぼの」の段の「冬は」の部分にもこの「つきづきし」が出てきました。何に対して「つきづきしい」のか、省略されているのでわかりにくいですね。そういう語のようです。そこで描かれているシーンに「似合ってる」と考えるのが妥当なんでしょうけど。

「餌袋」というのは菓子や乾飯(ほしいい)などを入れて運ぶ袋のことだそうです。平たく言うと弁当袋ですね。鷹狩りの時に鷹のえさや獲物を入れる容器のことも「餌袋」と言ったそうです。ここでは、お弁当入れのようです。

小舎人童(こどねりわらは)とは、貴人の雑用係の少年のことを言います。これまでにも何度か出てきていますので、今更ですが。

「おしすりもどろかす」というのは、漢字で書くと「(押し)摺り斑かす」で、「まだら模様に摺り染めにする」ということのようです。「おし」は強調の接頭語です。
「すりもどろかす」という語については既出で、「あはれなるもの」の段でも出てきました。

「金鼓(こんぐ)」というのは、神社仏閣で用いる銅製の楽器、となっています。日本では鰐口(わにぐち)や鉦(かね)とも言うそうですね。見たところ銅鑼(どら)を2枚貼り合わせて中空にした感じです。銅鑼(どら)というのは、どら焼きの銅鑼です。形的にはまさにどら焼きのように太鼓の感じにしたのがこれです。ということは、ドラえもんのドラとも言えますね。話が逸れまくりですが。仏堂の正面の梁などにかけられてて、参詣人は布でよった太綱で打鳴らす、ということですから、神社にある、あのガラガラ鳴る鈴みたいなやつですか? と思って調べましたが、ちょっと違うようです。

神社のお賽銭箱のところにあるガラガラは、正式には「本坪鈴」というようです。こちらの由来は神楽の時に鳴らす神楽鈴らしいですから、違うもののようです。ただ、何度か書いてきましたが日本は神仏習合の国ですから、神社で元々は仏具として使われた「鰐口=金鼓」を使うところもあるらしいです。

音が似ているので念のため調べてみましたが、プロレスとかボクシングで使われる「ゴング」。結局、全然「金鼓(こんぐ)」とは関係ないようですが、偶然にも銅鑼のこと全般に使うようですね。てことは関係あるのか?結果的に。
ゴング=銅鑼は、楽器としてはインドネシアガムランに使われるので有名ですね。ほかにも銅鑼は交響楽にも使われますし、ロックとかジャズ、ブルースなんかにも打楽器として広く使われます。そういえば、パーカッショニストのレイ・クーパーという人が、エリック・クラプトンのライブで大きな銅鑼を使っているのを見たことがあります。話、逸れまくりです、すみません。

さてこの段。
結局、さほど大きなハプニングもなく終了。そういう段はもちろんたくさんあるんですけども。

蓋し学問的に書くと、枕草子の各段は類聚的章段、随想的章段、日記的章段という風に分類されるそうで。私は今まであえてそういう学問的な分類を避けてはきたんですが、明らかに段のテイストがそれぞれ違っていて、それが大きく3つ4つに分けられることくらいははわかります。
それをふまえて言うと、今回私、この段を所謂「日記的章段」であろうと予測して読み始めたところ「随想的章段」であったということなんですね。

で、おもしろいのか?というとそれほど面白いわけでもなく、評価しにくい段ですね。ただ、エッセイらしいエッセイと言えるとは思います。


【原文】

 二月つごもり、三月一日、花ざかりにこもりたるもをかし。清げなる若き男どもの、主と見ゆる二三人、桜の襖(あを)、柳などいとをかしうて括りあげたる指貫の裾も、あてやかにぞ見なさるる。つきづきしき男(をのこ)に装束をかしうしたる餌袋いだかせて、小舎人童ども、紅梅、萌黄の狩衣、いろいろの衣、おしすりもどろかしたる袴など着せたり。花など折らせて、侍めきて細やかなる者など具して、金鼓(こんぐ)うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人もあれど、いかでかは知らむ。うち過ぎて往ぬるもさうざうしければ、「けしきを見せましものを」などいふもをかし。

 かやうにて、寺にも籠り、すべて例ならぬ所に、ただ使ふ人の限りしてあるこそ、かひなうおぼゆれ。なほ同じほどにて、一つ心に、をかしき事もにくきことも様々に言ひあはせつべき人、必ず一人二人あまたも誘はまほし。そのある人のなかにも口惜しからぬもあれど、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこそあらめ、わざとたづね呼びありくは。

 

こころきらきら枕草子 ~笑って恋して清少納言

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