いみじう心づきなきもの
ものすごく気に入らないモノ。
祭や禊を男が見物するのに、たった一人で車に乗って見るなんて。どういうつもりなんでしょ。高い身分じゃなくたって、若い従者なんかで見たがってる者を連れて乗せればいいのにね。車の隙間からは中で一人ゆらゆら動いてるのが見えて、夢中で見物しながら座ってるなんて。どれだけ心が狭くて憎ったらしい男なんだろうって思うの。
どこかに行ったり、お寺に参詣したりする日の雨。
使用人なんかが、「ご主人さまが私をかまってくれない。誰々さんが今のお気に入りなんだよ」なんて言うのをちょっと聞いたりするのも。
他の人より少し憎ったらしいと思ってる人が、憶測でものを言ったり、根も葉もないことに逆恨みをしたり、自分だけ良い子ぶってるのもね。
----------訳者の戯言---------
清少納言が気に入らないモノを列挙する段となりました。
まず①は「気配りのない男」ですね。いいもの、みんなが見たいものを独占しようとする態度、とでも言うのでしょうか。
②今度は人ではなく雨。天気への文句です。そりゃそうですわねーとしか言いようがありませんが。
③は所謂「愚痴ってやーね」ということです。たしかに飲食店やら電車内で聞こえてくる会社や上司、家族、友人などへの愚痴。それよりもっと他に解決方法ない?って思いますね。解決できたら、言わなくても済むのにって、本当に思います。
④も気持ちはわかりますが、ありきたりと言えばありきたりです。清少納言、もう少しキレがほしいところですよね。
その点、兼好法師の「徒然草」なんかだと、「心づきなき事」として、「よその人のとりまかなひたらん」つまり、「他の人に結婚を取り持ってもらう」のは「しっくりこないよねー」とか、言ってます。何でかって言うと、仮に紹介されたのがいい女だったとしても、身分が低くて、不細工で、年取っている男からしたら、こんなイケてない自分では、彼女の人生を台無しにするだろう、身分不相応で恥ずかしい、って自分を卑下しちゃうから、それが自分の人生をすごくつまらなくするんじゃないか?ってとこまで、言及してます。これ、なかなか深いですよ。
ほかにも「徒然草」では、「いかなる女なりとも、明暮そひ見む」が「いと心づきなく憎かりなむ」と書いてます。これは「妻というものはどういうものか」ということについて述べてる段で、平たく言うと「どんな女でも、毎日毎日いっしょに暮らして見てたら、全然気に入らなくて、憎ったらしくもなってくる」ということ。で、それは女性にとっても中途半端でよくないことでしょ、って言ってます。だからこそ、別居婚にして時々通うのがいいよね、とも書いてますね。さすが兼好法師。こういった切り口、清少納言にも欲しいんですよね。
と言うわけで、今回は枕草子を読みながらですが、「徒然草」のことを書いてしまいました。枕草子ほどはファンがいないですが、おもしろいエッセイだと私は思います。書いてるのがアラフィフの小汚いおじさん僧侶ですし。煌びやかな貴族社会の話ばかりではないですから、地味目なんですけどね。
【原文】
いみじう心づきなきもの 祭・禊(みそぎ)などすべて男の物見るに、ただ一人乗りて見るこそあれ。いかなる心にかあらむ。やむごとなからずとも、若き男(をのこ)などのゆかしがるをも引き乗せよかし。すき影にただ一人ただよひて心一つにまぼりゐたらむよ。いかばかり心せばく、けにくきならむとぞおぼゆる。
ものへ行き、寺へも詣づる日の雨。使ふ人などの、「我をばおぼさず。なにがしこそただ今の時の人」などいふを、ほの聞きたる。人よりは少しにくしと思ふ人の、おしはかりごとうちし、すずろなるものうらみし、わがかしこなる。