枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

正月に寺にこもりたるは⑥ ~日うち暮るるほど詣づるは~

 日が暮れる頃に参詣する人は、これからお籠りするのかしらね。小坊主たちが、普通じゃ持ち歩けそうにない大きな屏風で丈の高いのを、すごく上手に動かして、畳なんかを置いたのを見たと思ったら、すぐに部屋を作り上げて、犬防ぎに簾をさらさらっと掛けるのが、とっても手慣れてて、簡単そうなの。
 さわさわと大勢の人が衣ずれの音を立てて下りて来て、分別がありそうな人が、上品な声でひっそりと気遣いした感じで、帰る人がいるのかしら、「そのことは危ないわね。火事には十分に注意して!」なんて言ってる人もいるようだわ。
 七つか八つくらいの男の子が、かわいいんだけど威張った声で家来の男たちを呼びつけて、何か言ってるのは面白いわね。また、三歳ぐらいの小さな子が寝ぼけてちょっと咳をしてるのも、とてもかわいいの。乳母の名前や、お母さんを呼んでたら、いったい誰を呼んでるんだろ?って知りたくなるわ。
 僧侶が一晩中、大声を出してお勤めをして夜を明かすもんだから、寝入ることもできなかったんだけど、後夜の勤行なんかが終わって、少しだけ眠った、その寝耳に、その寺のご本尊のお経をすごく荒々しく、でも厳かな感じで読んでるのは、めちゃくちゃ特別尊い感じでもなく、修行者みたいに箕を敷いているような僧侶が読んでるっぽくって、ふと驚かされて、で、しみじみといい感じに聞こえるの。
 それから、夜なんかには籠らないひとかどの人物が青鈍(あおにび)の綿入り指貫に、白い衣を何枚も重ね着して、子どもなんだろうかな?って見えるかっこいい若い男とか、おめかしした少年なんかを連れて、家来のような者たちがたくさんかしこまって囲んでるのもいい雰囲気だわ。間に合わせ程度に屏風だけ立てて、礼拝なんかを少しするみたいね。顔を知らないと、誰なのかしら?って知りたくなるのよ。知ってたら、そうなんだ~って見るのもおもしろいわ。
 若い男たちは、女子がいる部屋のあたりをうろうろして、仏様の方には目もくれようとしないの。寺の別当なんかを呼び出して、何かひそひそ話をして帰って行くんだけど、つまらない身分の者には見えないのよね。


----------訳者の戯言---------

原文で「大人だちたる」という表現が出てきます。「大人だつ」というのは、「大人らしい感じになる」とか「年配で、分別がありそうに見える」ということらしいですね。

後夜(ごや)とは、寅(とら)の刻のことで、つまりは夜半から夜明け前の頃を言うそうです。現在の午前4時ごろですね。また、その時に行う勤行(ごんぎょう)のこと、簡単に言うと、夜明け前の勤行、ということになります。

青鈍(あおにび)」はブルーグレーといった感じの色です。
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指貫(さしぬき)はすでに何度も出てきていますが、袴=ボトムスの一種で、今で言うとカジュアルなパンツ的なものです。綿入りといいますから、キルティングのウインターパンツのようなものなのでしょう。

「かりそめ」というのは、現代、「一時的な、間に合わせの、その場限りの」という意味ですが、古語でもさほど変わりはないようですね。

別当」というのは、長官として寺務を司る僧職だそうです。その寺を取り仕切るトップと言っていいでしょう。

この段もそろそろ終盤ですが、相変わらず、事件的なことは起きませんね。こういう段なのでしょう。
さて、次⑦でこの段も終わります。


【原文】

 日うち暮るるほど詣づるは、こもるなめり。小法師ばらの、持ちあるくべうもあらぬ大屏風の高きを、いとよく進退して、畳などをうち置くと見れば、ただ局に局立てて、犬防に簾(すだれ)さらさらとうち掛くる、いみじうしつきたり、やすげなり。そよそよとあまたおり来て、大人だちたる人の、いやしからぬ声の忍びやかなるけはひして、帰る人にやあらむ、「そのことあやふし。火のこと制せよ」などいふもあなり。七つ八つばかりなる男児(をのこご)の、声愛敬づき、おごりたる声にて、侍の男ども呼びつき、ものなど言ひたる、いとをかし。また三つばかりなるちごの寝おびれてうちしはぶきたるも、いとうつくし。乳母の名、母など、うち言ひ出でたるも、誰ならむと知らまほし。夜一夜ののしりおこなひ明かすに、寝も入らざりつるを、後夜(ごや)などはてて、少しうちやすみたる寝耳にその寺の仏の御経をいとあらあらしう、たふとくうち出で読みたるにぞ、いとわざとたふとくしもあらず、修行者だちたる法師の蓑うちしきたるなどが読むななりと、ふとうちおどろかれてあはれに聞こゆ。また、夜などはこもらで、人々しき人の、青鈍の指貫の綿入りたる白き衣どもあまた着て、子供なめりと見ゆる若き男のをかしげなる、装束きたる童べなどして、侍などやうの者どもあまたかしこまり囲繞したるもをかし。かりそめに屏風ばかりを立てて、額など少しつくめり。顔知らぬは誰ならむとゆかし。知りたるはさなめりと見るもをかし。若き者どもはとかく局どものあたりに立ちさまよひて、仏の御かたに目も見入れ奉らず。別当など呼び出でて、うちささめき物語して出でぬる、えせ者とは見えず。