枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

正月に寺にこもりたるは② ~内外許されたる若き男ども~

 出入りが許されてる若い男たちや一族の人たちなんかがたくさん後ろに並んでて、「その辺は低くなってるところです。…高くなってますよ。」なんて教えながら進むのね。何者なんだろう、すごく近づいて歩いたり、先に行く者なんかに、「ちょっと待って。人がいらっしゃるのに、そんなことすべきことじゃないでしょう」なんて言ったら、「ほんとに」って少しは遠慮する者もいるにはいるわ。でも聞き入れもしないで、「まず自分が先に仏様の前に」って思って行く者もいるのよ。部屋に入る時にも、人々が並んで座ってる前を通って入るのはすごく憂鬱なんだけど、犬防ぎの内側を覗いた気持ちはとっても尊くて、「どうしてこの何カ月もお参りしないで過ごしてたのかしら」って、まず信心の気持ちも起こってくるの。


----------訳者の戯言---------

「内外(ないげ)」というのは、文字通り内と外を意味したり、表向きと内側(つまり『すべてにわたって』)のことを言ったりしたようです。「内外」というと他にもいろいろ使い方バリエーションがあるようですね。ここでは、「内外許されたる」で、「出入りが許されてる」と解釈できます。

うたて。不快、いやな感じ、気味悪い、憂鬱などの意味があったようです。

犬防ぎ(いぬふせぎ)とは、「仏堂で、本尊を安置している内陣と、参拝者が入る外陣(げじん)との境に仕切りとして立てる、丈の低い格子」(学研全訳古語辞典)だそうです。

さて、引き続き清水寺での参籠の模様をレポート。清少納言、いろいろと気になる人です。イヤだったこと、良かったこと、おもしろかったこと、案外素直に書いてるんですね。わかりやすいと言えばわかりやすい。それがこの段でも出ています。今のところレポートに終始していますが、そろそろ何か起こっても良さそうなものですが…。
③に続きます。


【原文】

 内外(ないげ)許されたる若き男ども、家の子などあまた立ちつづきて、「そこもとは、落ちたる所侍り。あがりたり」など教へゆく。何者にかあらむ、いと近くさしあゆみ、さいだつ者などを、「しばし。人おはしますに、かくはせぬわざなり」などいふを、げにと少し心あるもあり。また聞きも入れず、まづわれ仏の御前にと思ひて行くもあり。局に入るほども、人のゐ並みたる前をとほり入らば、いとうたてあるを、犬防ぎのうち見入れたる心地ぞ、いみじうたふたく、などてこの月頃詣でで過ぐしつらむと、まづ心もおこる。

 

枕草子(上) (講談社学術文庫)

枕草子(上) (講談社学術文庫)