枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

正月一日は

 1月1日は、いっそう空の様子がうららかで、フレッシュな感じに霞がかかってて。世の中の人びとみんなが、着るものも、ヘアメイクも全部ばっちりキメて、帝も自分も、って、お祝いしてるのはすごくいかしてるの。

 1月7日は雪の間に芽吹いた若菜摘み。青々してて、いつもはさほどそんなものなんて見慣れてない宮中で、もてはやしてるの。面白いよね。白馬節会(あおうまのせちえ)を見物しに、里の人は牛車をきれいに飾って見に行くの。で、待賢門の敷居を車が踏み越えるときに、頭をぶっつけ合って、櫛が落ちて、油断してたら折れたりもして笑っちゃうの、めっちゃウケるのよ。
 左衛門の陣(建春門)のたもとで、殿上人のみなさんがいっぱい立ってて、舎人(スタッフ)の弓を借りて馬をおどかして笑うのをちょこっとのぞいて見てたら、立蔀っていう衝立なんかが見えて、主殿司(とのもりづかさ)や女官たちが行き交ってるのも、すごくいい感じ。いったいどんな人が宮中を仕切ってるのか、気にはなったんだけど、車の中で見る限りはすごく狭い範囲だし、舎人の顔のメイクが落ちて、実際、地肌が黒いのにパウダーが乗ってないとこは、雪が溶けてむらむらに残ってる感じで、すごく見苦しくてね、馬が跳ねて騒いでたすりるのもめちゃくちゃ怖く思えて、引いちゃってよく見えないのよね。

 8日は、(昇進した?)人が喜んで挨拶回りに走らせてる車の音がいつもと違う、特別な感じに聞こえていかしてるの。

 1月15日には、餅粥を献上して、粥を炊いた薪木の残りを隠し持って女子スタッフたちがお尻を叩こうと隙を窺ってるんだけれど、打たれないわよ!って、用心して常に後ろに気を付けてる様子も、めっちゃおかしいのね。でも、どうやったのか隙をついてうまく当たったりすると、めちゃくちゃウケて爆笑しちゃうの、すっごくすっごく盛り上がるのよ。やられた人が悔しいって思うのも、納得しちゃう。
 新しく通ってくるようになったお婿さんが内裏へ出勤する支度をしてる時なんかにも、姫君を叩きたくてうずうずしちゃって「ここは我こそが!」って思ってる女房が、隙を覗き見しながら、やる気満々で奥の方でスタンバイしてるのを、前のほうにいる人はわかってて笑うもんだから(静かに!)ってジェスチャーで制止するんだけど、姫は全然わかってない顔で、おっとりとしてらっしゃるのね。で、「ここにある物をお取りしましょう」なんて言って、走り寄って来て、叩いて逃げたら、全員がめっちゃ笑うの。お婿さんもまんざらじゃない様子で微笑んで、打たれた本人もそれほどは驚かないんだけど、顔は少し赤くなってるのが、すごくかわいかったのよ。
 また、女子同士お互いに打ち合ったり、男だって叩いたりもするようなのね。どういうワケか、本気で泣いたり怒ったり、呪ったり、いまいましく言ったりする人もいて、でもそれだって、それはそれで面白いの。宮中なんかの高貴なところでも、今日だけはそんな風にみんな、はしゃぎまくって、いつものような慎みがなくなるのよね。

 除目(じもく)の頃には、宮中はとってもいい感じになるの。雪が降ってすごく凍ってるのに「申文」を持って歩く四位、五位の若々しくて元気な子たちは、とっても頼もしげなのよ。それに対して、年老いて白髪頭になった人なんかが、取り次いでもらうようにって、女房たちのスタッフルームとかに寄って、自分自身がデキるってことなんかを、必死でアピールするのを、若い女子たちがマネをして笑うんだけど、本人はつゆ知らず。「帝によろしくお伝えくださいね、皇后様にもよろしくね」なんて言って。出世できたらすごくいいんだけど、できなかったらかなり気の毒な話なのよね。


----------訳者の戯言---------

白馬節会というのは、「あおうまのせちえ」と読むらしい。天皇が白馬を見て一年の邪気を祓う儀式なんだそうです。

里人っていうのは、宮仕えしてない、里に住んでる人。田舎の人、って感じでしょうか。

中の御門っていうのは、ネットで調べると大内裏の外郭中央にある「待賢門(たいけんもん)」のこと、と書かれているんですが、元々が東面の中央にあるから、中御門と呼ばれたそうなんですね。つまり通称。それなりの由来があるのかと思ったら、案外、安易です。ちなみに閾(とじきみ)っていうのは、所謂敷居のことなのだそうです。

左衛門の陣というのは、左衛門府という役所の役人の詰め所のこと、のようなんですが、これが建春門という門のところにあったので、建春門のことを「左衛門の陣」と呼ぶようになったらしいですね。で、外側に外記庁っていう役所もあったので、「外記門」とも呼ばれたのだとか。で、このほかにも別名があったらしい。正式名称のほかに通称が3つも4つもある。すごくわかりづらいです。

そもそも、平安宮っていうのは、結構広い宮城なんですが、先に書いた「待賢門」は宮城全体(大内裏っていうエリア)のいちばん外側の囲いの門の一つなんですね。で、その中に役所やらいろいろな施設があるわけですが、さらにその内側に天皇のおはします「内裏」があったわけで、この内裏に出入りする門の一つが「建春門」でした。
で、その内側にもまた囲いがあって、いろいろな門があると。もちろん、その囲いの中にまた建物(宮殿)があるわけですが。
そういうわけで、平安宮には、めっちゃいっぱい門がありました。そりゃまあ、そうですよね。天皇が住んでるところなんですからね。セキュリティ的にも必要ですわね。

舎人(とねり)というのは、皇族や貴族に仕えて警備や馬、牛車などの担当、雑用をするスタッフ。
主殿司(とのもりづかさ)も、天皇の車、輿輦、帷帳に関すること、清掃、湯浴み、灯火、薪炭なんかをつかさどる役所の職員です。いずれもスタッフの方々ですね。

九重(ここのえ)というのは宮中のこと、らしいです。別名ですね。

さて、平安時代は宮中なんかにいる人は男性でも化粧していたらしい。これはもう当然のこととして。庶民以外は男性も化粧する文化というのは、昔からあったようで。むしろ、明治以降の、男は化粧しない、という歴史のほうが短いとも言われます。ですから、メンズコスメとかメンズエステが新しい、という言い方はもしかすると語弊があるのかもしれませんね。

だいたい、宮仕えの公務員の叙位、つまり昇進の発表っていうのは、お正月に行われたらしいです。7日とか8日とか。で、出世した人たちは、お礼とかご挨拶とかに回ったんでしょうね、うれしそうに。

さて、清少納言とか紫式部ですが、実は彼女たちは純粋な公務員ではなかったんですね。皇妃に雇われた私設秘書みたいなものだったらしいです。もちろん、後宮で勤務はしてるんですけどね。
だから、公務員の出世みたいなものにはあまり関係なかった。清少納言で例えると、一条天皇中宮の定子に誠心誠意お仕えすることに意義があるという、そういうポジションのようですね。

15日っていうのは今も小正月とか言って、どんど焼きとかやったりする地方などもありますが、平安時代なんかは宮中の行事で「餅粥節供」と言って、帝が小豆とか7種類の穀物を入れたおかゆを召し上がる儀式があったみたいです。旧暦では15日は「十五夜」なんて言うようにほぼ満月の日。今の暦とは違っておおよそ毎年満月なんですね(妙に違う時もある)。ご存じのとおり、昔は満月のことを望月(もちづき)と言いまして、「望月の日に食べる粥」「望粥」→転じて→「餅粥」という説が有力です。
で、この餅粥を炊くのに使った焚き木の燃えさしで作った杖で女性のお尻を叩いたら、男の子を出産する、という俗信があったそうで、貴族の間でも流行ってたようですね。今なら、セクハラ、マタハラで一発アウトです。

除目(じもく)っていうのは、官人を任命する儀式だそうです。特に「春の除目」というのが1月のこの頃に行われたみたいです。ウィキペディアには「春の除目」として「諸国の国司など地方官である外官を任命した。毎年、正月11日からの三夜、公卿が清涼殿の御前に集まり、任命の審議、評定を行った」と書かれていました。

ここで出てくる「申文」(もうしぶみ)というのは、叙位や任官についての上申書だそうです。自分がいかに優れているか、正当であるかっていうのを自らしたためて出したらしい。自画自賛、文書でダイレクトにアピールするっていうのがこの時代のすごいところですね。もちろんそれを査定はしたみたいですけどね。

原文に、「老いて頭白き」人が女房たちに「よきに奏し給へ、啓し給へ」と言った、という記述があります。当時は、天皇や皇后に直接接することのある女子職員に、任官の口添えを頼む、ということもあったらしいですね。で、こういうことが書かれたのでしょう。
「奏す」っていうのは天皇に申し上げること、「啓す」っていうのは皇后とか皇太子に申し上げることだそうです。これはもう、絶対敬語としてこう決まってるんですね。


【原文】

正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞みこめたるに、世にありとある人は、みな姿形心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、ことにをかし。

七日、雪間の若菜摘み。青やかにて、例はさしもさるもの、目近からぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ。白馬見にとて、里人は車清げにしたて見に行く。中の御門の閾引き過ぐるほど、頭一所にゆるぎあひ、刺櫛も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて馬どもおどろかし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの行きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人九重を馴らすらむなど思ひやらるるに、内にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔の衣もあらはれ、まことに黒きに白き物行きつかぬ所は雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐ろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。

八日 人の、よろこびして走らする車の音、ことに聞こえてをかし。

十五日 節供参りすゑ、粥の木ひき隠して家の御達、女房などのうかがふを、打たれじと用意して常に後ろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるも、ことわりなり。

新らしうかよふ婿の君などの、内裏へまゐるほどをも心もとなう、所につけて我れはと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥の方にたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま」とまねき制すれども、女はた知らず顔にて、おほどかにてゐ給へり。「ここなる物取り侍らむ」など言ひよりて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り笑ふ。男君も、にくからずうち笑みたるに、ことにおどろかず、顔少し赤みてゐたるこそをかしけれ。

また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかありけむ。泣き腹だちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそをかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日はみな乱れてかしこまりなし。

除目の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじう氷りたるに、申文もてありく四位、五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々はまねをし笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ、啓し給へ」など言ひても、得たるは、いとよし、得ずなりぬるこそいとあはれなれ。


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