うらやましげなるもの④ ~よき人の御前に~
身分の高い方の御前に女房がすごくたくさん侍ってるんだけど、奥ゆかしい方のところにお送りする代筆のお手紙なんかを、誰も鳥の足跡みたいな字で書くことは無いでしょ? なのにね、局に下がってる人をわざわざお呼び出しになって、硯をお渡しになって書かせなさるのも、うらやましいわね。そういうことって、そこに仕えてる先輩の女房なんかだと、マジ字が下手くそな人だって、ちゃんとそれなりに書くんだけど、これはそうじゃなくって、上達部なんかの娘さんで、初めて宮仕えに上がろうって誰かに申し上げさせて来るお嬢様には、特に気をお遣いになって、紙をはじめとしてしっかりお整えなさるんだけど、みんな集まって冗談でね、それ、うらやましがって言うようだわ。
琴や笛なんかを習うのもまた、まだそんなに上達してないときには、(師匠みたいな)こんな感じにいつかは!って思うんでしょうね。
帝や東宮の乳母。帝のお付きの女房で、宮中の方々どこにでもフリーパスで参上できる人も。
----------訳者の戯言---------
原文で「心にくき所」と出てきます。「心憎し」は、奥ゆかしい、心が惹かれるということだそうです。
「難波わたり遠からぬ」って何?と思ってかなり調べましたが、どうもはっきりとしない。何か、筆が未熟、悪筆であることの例えらしいんですが、元ネタ、根拠がよくわかりませんでした。詳しい先生方、教えていただけると嬉しいです。
さてこの段は、うらやましいっぽいものあるあるです。
伏見の稲荷山をスイスイ登る人。
で、字が上手に書けるとか、歌が上手く詠める人、という流れから、字が上手くて代筆しなければいけない、しかもここぞという大事な時にわざわざ呼び出される人、硯とかも用意されてたり、紙もいいのを準備したりしてるのがうらやましい!って書いてます、清少納言。なるほど。
さらには、帝や親王の乳母とか、宮中どこでも顔パスの女房。
つまり。体力があって、字が上手くて、顔パスがうらやましいと。
まあ、運動得意、アウトドア系の清少納言もどうかと思いますから、これには納得。あと、和歌には心得もあったんでしょうけど、字は上手くはなかったみたいですね。
そして、清少納言のポジションというのは、どこでも顔パスで参上できるほどの格ではなかったようです。けど、そんなこと、うらやましいんですかね。まあ、例によって清少納言基準ですから。
わからんこともよくあります、はい。
【原文】
よき人の御前に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、誰もいと鳥の跡にしもなどかはあらむ。されど、下などにあるをわざと召して、御硯取り下ろして書かせさせ給ふもうらやまし。さやうのことは所の大人などになりぬれば、まことに難波わたり(=の悪手(あしで))遠からぬも、ことに従ひて書くを、これはさにあらで、上達部などのまだ初めて参らむと申さする人のむすめなどには、心ことに紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて戯れにもねたがり言ふめり。
琴、笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ。
内裏・春宮の御乳母。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず参り通ふ。