枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

かしこきものは

 たいした者は、乳母(めのと)の夫だわよね。帝や親王たちなんかのケースは、当然そういうものだから、申し上げるべきことでもないわ。その次、また次のレベル、受領の家なんかでも、その場所にふさわしい態度で人に接するのを求められてるもんだから、彼らも得意顔になっちゃって、自分自身にすごく信望がある気になっちゃって、妻が養育したお子さまも、まったくまるで自分のモノ!的にしちゃって。女の子ならそれもアリかもだけど、男の子にはぴったり付き添ってお世話をして、ちょっとでもその子のお気持ちに逆らう者は責め立てて、その人の悪口を言って、まじダメダメなんだけど、この夫のやってることに対して、世の中的に率直に意見する人もいないもんだから、つけあがってきて、偉そうな顔つきで指図なんかするの。

 子供が全然小っちゃい頃は、結構みっともないのよね。乳母は子供の母親のそばで寝るから、夫は一人、局で寝るの。だけど他所に行ったら、浮気だ!って騒がれるでしょ。で、妻を無理に局に下がらせて寝てたら、子供の実母から、「早く早く」って呼ばれるから、冬の夜なんかは、がさがさと脱いでた服をひきずり探し出して着て、主の部屋へ上って行くんだけど、夫としてはすごくやりきれないものなのよね。それは身分の高い家でも同じで、もっと面倒なことばかりいろいろあるわ。


----------訳者の戯言---------

かしこきもの。「かしこし」というのは、恐れ多い、すぐれている、たいしたもの。畏(かしこ)まる。つまり、「かしこし」は畏敬(いけい)という肯定的な気持ちを表しているらしいです。

と言うものの、清少納言はあんまり肯定的ではないです、乳母の夫。むしろディスってる感じですよね。
乳母は女性としてはそれなりの名誉な仕事だったと思いますが、夫もそれに協力はしたようで。
特に平安時代から鎌倉時代にかけての乳母(めのと)は、養育係の意味もあって、女性だけではなく夫婦でそれに当たるケースも多かったようですね。ただ、やっぱり、そもそも授乳目的の仕事ですから、夫は付け足しみたいな感じはあったのではないでしょうか。

まあ、それでも、妻やその妻が仕える家、その家の子どもをバックにして、まるで自分が偉くなったかと勘違いして威張る男。たしかに、あまりいいイメージはありません。パワハラしてるし。

その割に仕事的にはあんまり頼りにされてない感あって、自室に下がって夫婦で生活してても、夜、急に呼び出されるのは妻だけ。後に一人残される夫。情けねー。という話です。
「わびし」というのは、情けない、つらい、やりきれない、という感情を表すんですね。

つまりこの段は、「畏敬する=かしこきもの」というのは表向きであって、本音は「わびしきもの」あるいは先日も読みました「したり顔なるもの」と言いたいところではないかと思います。

時代劇の典型で言うと、髪結いの亭主。今のドラマで言うと風俗嬢のヒモ的な。けれど、それはそれぞれの事情や思い、葛藤もあるのでしょう。パワハラモラハラ、DVはもちろんいけませんがね。

この段でも、清少納言のいつもの上から目線はちょっと気になります。受領あたりの家の乳母の夫では、本気で「かしこきもの」とは全然思ってなくて、むしろ揶揄してる、皮肉ってるとしか思えないタイトル。やっぱりな!って感じです、はい。


【原文】

 かしこきものは、乳母の男(をとこ)こそあれ。帝(みかど)、親王(みこ)たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。そのつぎつぎ、受領(ずらう)の家などにも、所につけたるおぼえのわづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心地もいとよせありて、このやしなひたる子をも、むげにわがものになして、女はされどあり、男児(をのこご)はつとたちそひて後ろ見、いささかもかの御ことにたがふ者をばつめたて、讒言(ざうげん)し、あしけれど、これが世をば心にまかせていふ人もなければ、ところ得、いみじき面持ちして、こと行ひなどす。

 むげにをさなきほどぞ少し人わろき。親の前に臥(ふ)すれば、一人局(つぼね)に臥したり。さりとてほかへ行けば、こと心ありとてさわがれぬべし。強(し)ひて呼びおろして臥したるに、「まづまづ」と呼ばるれば、冬の夜など、引きさがし引きさがしのぼりぬるがいとわびしきなり。それはよき所も同じこと、今少しわづらはしきことのみこそあれ。