九月つごもり、十月の頃
9月末から10月にかけての頃、空が曇ってきて、風がすごく騒がしく吹いて、黄色になった葉っぱがひらひらと散って落ちるのは、すごくしみじみと風情を感じるわ。桜の葉、椋(むく)の木の葉は特に早く散ってしまうの。
10月頃に、木立の多い家の庭は、とてもすばらしいのよ。
----------訳者の戯言---------
旧暦の9月末~10月というと、11月に差しかかりますから、ほぼほぼ冬。初冬です。
「九月つごもり、十月一日の程に」というフレーズが以前出てきました。「あはれなるもの」という段の中ですが、この頃のコオロギの鳴き声が切なくていい、という風に出ています。ご参照ください。
木々が紅葉し、落葉するさまが良いというわけです。私は「落葉」というと、上田敏の「落葉」ですね。ヴェルレーヌのを訳したものですが、好きですね。名作にして名訳です。ちょっと書かせてください。↓
落葉(らくえふ)
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
清少納言も、ポール・ヴェルレーヌや上田敏のセンスには、ちょっと届かないですね。上田敏は韻にこだわった詩人だと思いますが、「海潮音」に入ってる訳詩はだいたい文語の五音、七音で作られています。この「落葉」はすべて五音でリズム感がいいのですっと読めるのですが、文言は淋しくて切なすぎるという、相反するイタ気持ち良さが一つの魅力なのだと思います。
さて。清少納言のほうですが、秋の木立の多い庭は、紅葉もきれいだし、落ち葉が敷き詰められて情趣があった、というのでしょう。が、割と普通の感想かなと思いました。
清少納言も一首詠んでくれてたらなーと思います。
【原文】
九月つごもり・十月の頃、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋(むく)の葉こそ、いととくは落つれ。
十月ばかりに木立おほかる所の庭は、いとめでたし。
検:九月つごもり十月の頃