枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月の御精進のほど④ ~さて、参りたれば~

 さて、定子さまのところに参上して、事の次第をご報告申し上げたの。行けなくて恨んでる人たちは、嫌味を言ったり、残念がったりしながらだったけど、藤侍従(藤原公信)が一条の大通りを走ったお話をしたら、みんな笑ったわ。「で、どうだったの? 歌は」って定子さまがお尋ねになったから、「これこれこういうワケでございます」って詠めなかったことを申し上げたところ、「情けないわねー、殿上人なんかがそれを聞いたら、どうして、おもしろい歌が全然無いのかしらってことになっちゃう。どうしてその、ほととぎすの声を聴いた場所で、ささっと詠まなかったんです? って言っても、ま、あんまり堅っ苦しく考えるのもいけないわ。ここでいいからお詠みなさい。ホント、しょうがないわね」なんて言われたから、おっしゃるとおり!と思って、かなり辛くもあり、いろいろ相談してたら、藤侍従がさっきの卯の花に付けて、卯の花の薄様の紙に歌を書いて送ってきたの。でもその歌は覚えてないのよね。まずこの歌への返歌をしよう、ってことで、硯を取りに局に人を遣わせたら、「さ、これで早く詠んで!」って、定子さまが硯の蓋に紙なんかを入れて、下さったのね。「宰相の君、お書き下さい」って言ったら、「やっぱり、そこのあなたがね」なんて言い合ってるうちに、空が真っ暗になって雨が降って、雷がすごく恐ろしく鳴ったから、何も覚えてなくって、ただただ怖くって、慌てふためいて、格子を下ろして回ったりしてるうちに、その返歌のことも忘れちゃったのよ。

 すごく長い間、雷が鳴って、少し止んだ頃には暗くなってたの。「今すぐ、この返事を差し上げましょう」って、取りかかったんだけど、人々、上達部とかが雷のことを申し上げに参上されたから、西向きの部屋に出て応対してたら、歌のことが紛れちゃったのよ。他の人たちもまた「名指しで歌をいただいた人がやればいいのよ」ってやめちゃったの。やっぱり、このこと(歌)には縁が無い日なんだろうって、気が滅入っちゃって、「今は何とかして、あんな風にほととぎすの声を聴きに行ったことさえ、人に聞かせないようにしなくっちゃ」って笑っちゃったのよね。「今だって、その出かけた人だけで、お話ししたら、できるはずでしょ。なのに、そうはしない気なのね」って、定子さまが不愉快そうなご様子なのも、すごくおもしろいわ。「でも今はもう興ざめになっちゃったんです」って申し上げる、と。「興ざめになった? なわけないでしょ」なんておっしゃったんだけど、そのまま終了しちゃったの。


----------訳者の戯言---------

卯の花の薄様。薄様っていうのは、言わずもがな薄い紙です。透き通るような薄い紙だったそうですから、字を書くのには2枚重ねにすることが多かったそうですね。で、その場合も上下の色を変えて面白味を出したというのですから、さすが貴族の嗜みです。季節とかによって合わせ方を選んだそうです。雅ですねー。で、「卯の花の薄紙」というのは上が白色、下が青色の重ねなんだそうですね。そのほかにも「紅葉重の薄様」「紅梅の薄様」「青柳重ねの薄様」「氷がさねの薄様」等々の重ね方があったらしい。

ここでも藤原公信、ないがしろ。せっかく歌を送ってきたのに、それ覚えてないらしいです、清少納言。さらっとスルーしていますね。というわけで、私が読んでいる「三巻本」では忘れちゃったことになってますが、実は別の写本「能因本」では、ちゃんとこの歌出ています。↓こんな感じです。

郭公鳴く音たづねに君行くと聞かば心を添へもしてまし
(ほととぎすがが鳴く音を探しにあなたが行くってこと、前もって知ってたら、私の心も一緒に添えもしたんですけどねぇ)

しかし、清少納言にとっては、あまり重要ではなさそうですね、藤原公信クン自身も彼の歌も。
しかも、清少納言が「歌詠んでないのどゆこと?」って中宮様に叱られてる時に、間が悪いというか、まるでこれ見よがしであるかのように送ってきましたね。ま、本人にそんな意図はないんでしょうけど。結局返歌もしてもらえず。不憫です。

宰相の君というのは女房の一人だと思われます。定子のライバルと言われている彰子に仕えた藤原豊子も「宰相の君」と呼ばれたそうですが、その人とは違うようですね。藤原豊子のほうは紫式部と仲がよかったらしいです。

原文の「くんず」は「屈ず」と書くようで、「気が滅入る、心がふさぐ」という意味だそうです。

中宮定子、やたら歌にこだわってますね。「ほととぎす聴いたんだから、歌詠め、歌詠め」とちょっと口うるさいです。まあそれだけ、歌を詠むのが重要なんですね、この社会。めんどくさいわー。なんて言ってはいけませんね、はい。

⑤に続きます。


【原文】

 さて、参りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。恨みつる人々、怨じ、心憂がりながら、藤侍従の一条の大路走りつる語るにぞ、みな笑ひぬる。「さて、いづら、歌は」と問はせ給へば、「かうかう」と啓すれば、「口惜しの事や。上人などの聞かむに、いかでか、つゆをかしきことなくてはあらむ。その聞きつらむ所にて、きとこそはよまましか。あまり儀式定めつらむこそ怪しけれ。ここにてもよめ。いといふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひあはせなどする程に、藤侍従、ありつる花につけて、卯の花の薄様に書きたり。この歌おぼえず。これが返し、まづせむなど、硯取りに局にやれば、「ただ、これして疾くいへ」とて、御硯<の>蓋に紙などして、たまはせたる。「宰相の君、書き給へ」といふを、「なほ、そこに」などいふ程に、かきくらし雨降りて、神いとおそろしう鳴りたれば、物も覚えず、ただおそろしきに、御格子まゐり渡し、惑ひし程に、このことも忘れぬ。

 いと久しう鳴りて、少しやむほどには暗うなりぬ。「只今、なほこの返事(かへりごと)奉らむ」とて、取りむかふに、人々・上達部など、神の事申しにまゐり給へれば、西面に出でゐて、物聞えなどするにまぎれぬ。こと人はた、さして得たらむ人こそせめとて、やみぬ。なほこの事に宿世(すくせ)なき日なめりとくんじて、「今はいかで、さなむ行きたりしとだに、人におほく聞かせじ」など笑ふ。「今もなどか、その行きたりし限りの人どもにて、言はざらむ。されど、させじと思ふにこそ」と、物しげなる御けしきなるも、いとをかし。「されど、今は、すさまじうなりにて侍るなり」と申す。「すさまじかべき事かは」などのたまはせしかど、さてやみにき。

 

ヘタな人生論より枕草子 (河出文庫)

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