枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に③ ~御前にゐさせ給ひて~

 関白(道隆)殿は定子さまの御前にお座りになって、お話などなさるの。定子さまのご返事ときたら理想的で素晴らしいのだから、そのご返事を実家の人なんかにちょっとでも見せたいなって思いながら拝見してたのね。関白殿は女房たちをざっとお見渡しになって、「中宮は、どんなことを思っていらっしゃるのだろう。こんなに美しい女性たちを並べてご覧になるっていうのは羨ましい。一人もイケてないルックスの女子なんていないもの。ここにいるのはみんないいとこの家のお嬢さんだからね。すばらしいよね。しっかり目をかけてお仕えさせなさったらいいよ。それにしても、みなさんこの中宮さまの性格を、どんなものかおわかりになって、こんなにたくさん集まっていらっしゃるのかな? 中宮がどんなにケチで倹約なさる人かっていうと、私は彼女がお生まれになった時からずっとしっかりお仕えしてるんだけど、まだおさがりのお着物一つだっていただいたことがないんだ。どうして陰口なんか申しあげるだろう?? ハッキリ申し上げるよ」なんておっしゃるのがおかしくて女房たちが笑ったら、「本当のことなんだよ。バカじゃないかと思ってこんなふうにお笑いになるのが、恥ずかしいよ」とかおっしゃってるうちに、宮中から式部の丞なんとかっていう者が参上したの。


----------訳者の戯言---------

「しりう言」というのは「後言」と書くそうで、陰口のことだそうです。

「をこなり」という形容動詞です。漢字では「痴なり/烏滸なり/尾籠なり」などと書くそうです。
ばかげている。間が抜けている。という意味だそうですね。


淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど」でもいろいろチョケてた道隆ですが、ここでも言ってます。イタいです。サムいです。おもしろくなさすぎてどうしようかと思うんですが、自分でも恥ずかしいらしい。まあ自覚があるようですね。この翌年亡くなるんですけどね。なんちゅうことを。
④へ続きます。


【原文】

 御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見奉る。女房など御覧じわたして、「宮、何事をおぼしめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそはうらやましけれ。一人わろき形なしや。これみな家々のむすめどもぞかし。あはれなり。ようかへりみてこそ候はせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り集まり給へるぞ。いかにいやしくもの惜しみせさせ給ふ宮とて、我は宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕(つかうまつ)れど、まだおろしの御衣一つたまはらず。何か、しりう言(=陰口)には聞こえむ」などのたまふがをかしければ、笑ひぬれば、「まことぞ。をこなりと見てかく笑ひいまするがはづかし」などのたまはするほどに、内裏より式部の丞なにがしが参りたり。