枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど⑨ ~日の入るほどに~

 日が沈む頃に帝が起きられて、山の井の大納言(藤原道頼)を呼び出して、お着物を整えさせなさって、お帰りになるの。桜襲の直衣に紅色の衣が夕日に映えてる様子なんて、畏れ多過ぎてこれ以上書くのがはばかれるほどでね。山の井の大納言は、定子様たちの腹違いのお兄様なんだけど、とても立派な方でいらっしゃるの。ルックスでは、こちらの大納言(藤原伊周)にも勝っていらっしゃるんだけど、ああやって世の人びとがことごとく貶めて言ってるのは、とても気の毒だわ。
 関白殿(道隆)、大納言(伊周)、山の井の大納言(道頼)、三位の中将(隆家)、内蔵頭(頼親)たちが、帝にみんな付き従って行くのよ。
 定子さまに帝のところにお越しになるようにっていうご伝言をお伝えするために、馬の内侍典が参上したの。「今夜はお伺いできませんません」なんて、渋っていらっしゃるのをお父さまがお聞きになって、「それはすごくいけないことだ。早く参上しなさい」っておっしゃって。で、東宮のほうのお使いもしきりにやってきて、とても騒がしくてね。お迎えに女房や東宮の侍従とかの人たちも参上して、「お早く」って急かして言うの。「じゃあ、先にあの君(妹)をお帰ししてからね」って定子さまがおっしゃるから、「でも、どうでしょう?(いけませんわ)」っていうと、「(あなたを)お見送りしてからよ」なんておっしゃるのも、とてもすばらしくって、すごく感じがいいのよね。(道隆)「それなら、遠い方が先に出るべきかな」ってことで、まず淑景舎がお帰りになったの。関白殿(道隆)たちみんな、お見送りからお戻りになってから、定子さまが帝の元に参上なさったのね。その道中でも道隆さまの冗談にめちゃくちゃ笑っちゃって、あやうく打橋から落ちそうになっちゃったわ。


----------訳者の戯言---------

通称・山の井の大納言というのは、藤原道頼という人のことだそうです。この人も伊周や定子の異母兄弟。2つ前の記事⑦で登場した藤原周頼ともまた違うお母さんの子です。年齢は伊周より3つぐらい上らしいですね。長男なんですが、やはり道隆は貴子の実家・高階家、そして高階貴子とその実子を重用したようで、この道頼もこの家では傍系の子どもという扱いのようですね。ちなみに藤原道頼は容姿も性格もとても良い人だったそうです。

内蔵頭(くらのかみ)は、内蔵寮(くらりょう)の長官です。内蔵寮は金・銀・絹などをはじめとする皇室の財産管理、宝物の保管、官人への下賜・調達など皇室関係の出納事務を担当した機関だとか。
当時の内蔵頭は藤原頼親(よりちか)という人で、この人も道隆の子どもです。先に出てきた道頼のすぐ下、次男ですが、扱いはかなり軽んじられていますね。母親は不詳。周頼の母とも違いますし、山の井の大納言(道頼)の母ともまた違います。

というわけで、ここまでに登場した道隆の子どもたちは、順番に①道頼②頼親③伊周④定子⑤隆家⑥原子⑦隆円・・・※周頼・・・となります。
⑦の隆円は「無名といふ琵琶の御琴を」で出てきましたね。出家して僧都の君と言われた人です。
周頼は生年不詳で何番目の子かはっきりとはわかりませんので番外としました。
道隆に子どもはもっといたんですが、この段に出てきたのは7人。その母親は4人です。まあ、他にも妻や妾、彼女もいっぱいいたんでしょうね。子どもは合計15人(わかっているだけで)。どんだけおるねん。

原文に「馬の内侍のすけ参りたり」とあります。「馬の内侍」という人がいたことはわかりましたが、「典(侍)」(スケ=次官)であったという歴史的事実はなかったようですね。どうやら「掌侍」(ジョウ)だったようで。この部分は清少納言の思い違いか書き間違いではないかと思います。
馬の内侍という人は、女流歌人として有名ですが、かなりの美人だったらしく、逸話もいろいろ残っているようです。恋愛の秀歌も多かったらしいですね。ショッキングなのは、花山天皇即位の日に花山天皇自身にレイプされたとか、この段で登場の父・道隆と恋愛関係にあったとか、その他いろいろな人と浮名を流したようです。天皇が強姦って…。しかもお咎めなし。花山天皇といえば、ここで出てきた藤原伊周&隆家兄弟に伊周の彼女を寝取ったと間違われて襲撃された人です。まあ、それだけめちゃくちゃな人たちだったということでしょう。貴族や皇族なのに。

この時、一家が揃っているのは定子の住まい「登華殿」です。定子は帝のいる「清涼殿」に呼ばれている、と。淑景舎(原子)はもちろん「淑景舎(桐壷)」に帰って行きます。距離的には、関白殿も言うとおり淑景舎(桐壷)のほうが若干遠いでしょうか。

定子を送っていく道々で道隆、またもや猿楽言(さるがうごと)を言ってたようですね。清少納言めっちゃ笑ったらしいです。ほんまか?

打橋(うちはし)というのは、殿舎と殿舎との間に渡して、取り外しができるようにした板の橋だそうです。

この段、道隆一家(中関白家)の栄華が頂点にあった頃の、煌びやかなお話とされているようですが、私なんか、気になって仕方ないのが、先にも書いたとおり、兄弟姉妹の境遇の微妙な違いです。
結局、「道隆の面白話、めっちゃウケるー」というお話でした。
お話としておもしろかったか?というと、申し訳ないですけど、そんなでもなかったです。


【原文】

 日の入るほどに起きさせ給ひて、山の井の大納言召し入れて、御袿まゐらせ給ひて、帰らせ給ふ。桜の御直衣に紅の御衣の夕映えなども、かしこければ、とどめつ。山の井の大納言は入り立たぬ御兄人(せうと)にては、いとよくおはするぞかし。匂ひやかなる方は、この大納言にもまさり給へるものを、かく世の人は切に言ひ落とし聞こゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山井も、三位の中将、内蔵(くら)の頭(かみ=頼親)など皆さぶらひ給ふ。宮のぼらせ給ふべき御使にて、馬の内侍のすけ参りたり。「今宵は、えなむ」などしぶらせ給ふに、殿聞かせ給ひて、「いとあしき事。早のぼらせ給へ」と申させ給ふに、春宮の御使しきりてある程、いと騒がし。御迎に、女房、春宮の侍従などいふ人も参りて、「疾く」とそそのかし聞こゆ。「まづ、さはかの君わたし聞こえ給ひて」とのたまはすれば、「さりとも、いかでか」とあるを、「見送り聞こえむ」などのたまはするほどにも、いとめでたくをかし。「さらば遠きをさきにすべきか」とて、まづ淑景舎渡り給ひふ。殿など帰らせ給ひてぞ、のぼらせ給ふ。道の程も、殿の御猿楽言(さるがうごと)にいみじく笑ひて、殆(ほとほと)打橋よりも落ちぬべし。


検:淑景舎、春宮にまゐりたまふことなど 淑景舎、東宮にまゐりたまふことなど

 

学びなおしの古典 うつくしきもの枕草子: 学び直しの古典

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