無名といふ琵琶の御琴を
「無名」っていう琵琶を帝が持って定子さまのところに来られた時のこと、それを見たり、かき鳴らしたり、っていうのが本当なんだろうけど、実は、弾くでもなく、弦なんかを手でもてあそんで、「これの名前は何ていうんですか?」って定子さまに尋ねたら、「全然、何てことなくって、名前なんて無いのよね」っておっしゃったのは、やっぱりすごく素晴らしいわ、って思えたの。
淑景舎(しげいしゃ)の方なんかがお越しになって、お話しなさったついでに、「私のところにすごく素敵な感じの笙の笛があって。亡き父上が下さったものなんだけど」とおっしゃったから、僧都の君(隆円)が、「それは私、隆円に下さい。私のところに素晴らしい琴(きん)があるんです。それと交換してくださいよ」って申し上げなさったんだけど、淑景舎の方はお聞き入れられることもなく、全然違うことをおっしゃってたから、何とか返事をもらおうって何回もお聞きになるんだけど、やっぱり何もおっしゃらなくって、定子さまが「『いなかへじ(いえいえ、交換はしないわよ)』って思ってるんだから」って、代わりにおっしゃったご様子は、すごく素敵なこと、この上なかったわ。
この笙の笛の名前を、僧都の君(隆円)はご存じなかったから、ただただ恨めしくお思いになったようね。これは職の御曹司に定子さまがいらっしゃった時のことだったかしら。帝の御前に「いなかへじ」っていう笛があって、その名前なのよ。
帝の御前にある物は、琴も笛もどれもみんなめずらしい名前がついてるの。玄象(げんじょう)、牧馬(ぼくば)、井手、渭橋(いきょう)、無名など。また、和琴なんかも、朽目(くちめ)、塩釜、二貫(にかん)などの名前が付いてるわ。水龍(すいりゅう)、小水龍、宇多の法師、釘打(くぎうち)、葉二(はふたつ)など、そのほか色々、たくさん聞いたけど、忘れちゃった。
そういえば「宜陽殿(ぎようでん)の一の棚に置くほどのもの」っていう(優れた楽器を称える)言葉は、頭中将がよく口にしていらっしゃったわね。
----------訳者の戯言---------
「琴(きん)」というのが弦楽器全般を指す、ということは以前の段に出てきました。ですから原文の「琵琶の御琴」という書き方は不自然なものではありません。「清涼殿の丑寅の隅の③ ~村上の御時に~」の解説部分をご覧いただけば詳解しています。
淑景舎(しげいしゃ)というのは、御所の後宮にあるお屋敷の一つで、内裏の北東部、「桐壷」とも呼ばれたそうです。女御などが居住したお屋敷ですね。
で、当時ここに住んでいたのは中宮定子の妹・原子(げんし/もとこ)です。一条天皇の次の天皇となる三条天皇に即位前(東宮時代)入内していますから、「淑景舎の方」という言い方もできるというわけです。
僧都の君というのは藤原道隆の四男、つまり、定子や原子の弟にあたる人だそうです。出家していて法名を隆円と言ったらしい。
宜陽殿(ぎようでん)というのは、平安京内裏にある殿舎の一つですが、ウィキペディアによると「母屋は天皇累代の御物・宝物を保管しておく納殿として用いられた」とのこと。ここに保管されるということは、最上級の宝物の一つ、ということなのでしょう。
ま、いずれにしても楽器も名器になると、色々と名前が付きます。ストラディバリウスなら、レディ・ブラントやらデュランティやら。エレキギターだと、クラプトンのブラッキーとか、ブライアン・メイのレッド・スペシャルとかですね。
というわけで今回は、よさげな楽器にまつわる、ちょっとした面白話です。
「無名」だから「名前なんて無いのよね」とか「いなかへじ」に因んで「いえ、換えないわよ」とか、まあ、中宮定子の咄嗟のお言葉がいかしてると、例によってですが、清少納言、定子さま大絶賛の巻ともなっています。
いい笙の笛があるのよ、っていうすぐ上のお姉ちゃんに、僕の持ってる琴(きん)と換えっこしてくれないかな?って言ったんだけど、完全スルー、いちばん上のお姉ちゃんにたしなめられるっていう、きょうだいのほのぼの話でもあり、さらに名器にはいろいろ名前がついてるよなーと雑学的な記述も交えながら、最後は頭の中将の言葉で結ぶと。
お察しの通り、頭の中将(頭中将)というと、藤原斉信(ただのぶ)という男前でございます。おしゃれで、美男子、ウィットもインテリジェンスもあってとモテ要素満載。女房たちもメロメロです。清少納言も胸キュンキュンしてしまいそうなナイスガイ。朝廷の要人でもあり、藤原公任、藤原行成、源俊賢とともに一条朝の四納言と称されました。
「かへる年の二月廿余日①」「頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて①」に登場していますので、思い出してください。
モテモテの男前のこと、清少納言もやっぱり最後に書いておきたいんでしょう。という段でした。
【原文】
「無名といふ琵琶の御琴を上の持てわたらせ給へるに、見などして、かき鳴らしなどす」といへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、「これが名よ、いかにとか」と聞こえさするに、「ただいとはかなく、名も<な>[お]し」とのたまはせたるは、なほいとめでたしとこそおぼえしか。
淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へりし」とのたまふを、僧都の君、「それは隆円に賜へ。おのがもとにめでたき琴(きん)侍り。それに代へさせ給へ」と申し給ふを、聞きも入れ給はで、こと事をのたまふに、いらへさせ奉らむとあまたたび聞こえ給ふに、なほものものたまはねば、宮の御前の、「『いなかへじ』と思したるものを」とのたまはせたる御けしきのいみじうをかしきことぞ限りなき。
この御<笛>[文]の名を、僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしう思(おぼ)いためる。これは、職の御曹司におはしまいしほどの事なめり。上の御前に、「いなかへじ」といふ御笛(ふ<え>[み])の候ふななり。
御前に候ふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄象(げんじやう)、牧馬(ぼくば)、井手、渭橋(ゐけう)、無名など。また和琴(わごん)なども、朽目(くちめ)、塩竃、二貫などぞ聞こゆる。水龍(すゐろう)、小水龍(こすゐろう)、宇陀の法師、釘打、葉二つ、何くれなど、おほく聞きしかど忘れにけり。「宜陽殿(ぎやうでん)の一の棚に」といふ言ぐさは頭の中将こそし給ひしか。
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