枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。

清涼殿の丑寅の隅の③ ~村上の御時に~

 で、定子様、
 「村上天皇の時代に、宣耀殿の女御という方がいらっしゃったんだけど、彼女が小一条の左の大臣殿(藤原師尹)の娘であることを知らない者はいなかったのですね。まだ入内される前、即ち姫君でいらっしゃった時、お父様がお教えになったのが、『一つには書を習いなさい。次に、琴(きん)の御琴を誰よりも上手に弾けるようにしなさい。そして、古今和歌集の二十巻を全部暗唱するのをお勉強にしなさい』と、おしゃったそうなの。
 と、そのことを村上帝がお聞きになって、物忌の日に、古今和歌集を持って女御のところにお渡りになったのね。
 御几帳を間に置いて隔てられたから、女御はいつもと違って怪しい、って思われたんだけど、和歌集をお開きになって『その月のその時に、その人が詠んだ歌は何だ』とご質問されたから、そういうことか!って理解なさったのはさすがで、でも、間違って覚えてたり、忘れちゃったりもしてるだろうから、大変なことになっちゃう、ってどうしようもないくらいドキドキしちゃったんです。
 和歌が苦手じゃない、どっちかっていうと得意な女房を2、3人呼び寄せて、碁石を置いて勝ち負けの数をお数えになって、帝が女御に歌を言わせなさるご様子、なんて素敵な光景だったことでしょう! 御前にお仕えしてただけの人でも、ほんとに羨ましいことですわね。
 帝が強引に言わせようとなさっても、女御様は利口ぶって歌の最後まで言う、なんてことはなさらないんだけど、全然ちっとも間違うことはなかったんですって。で、なんとかしてちょっとでもミスを見つけて終わりにしちゃおう!って、憎々しいくらいに帝がお思いになってらっしゃるうちに、(なんと!)十巻にまで達しちゃたのです。帝は『これ以上はもういいや』って、冊子にしおりを挟んで、ご就寝されたの、これもまた素敵なおふるまいだったでしょう♡
 そうして、帝はかなり時間が経って起きられたんだけど、『やっぱ勝ち負けを決めずに終わりにしちゃうのは全然良くないよね』って、そして下巻(十巻)を『明日になったら、女御が別の冊子で確認しちゃうかも』と、『今日のうちに決着付けてしまおう』ってね、御殿の灯火をお点けになって、夜がふけるまでお読みになったということなのです。でも、結局女御は負けられなかったんですって。
 他方、『帝が女御さまの所にお渡りになられて、こんなことになってます』って人々が父の大臣殿(藤原師尹)に報告したものだから、すごく大ごとに思われて、慌ててたくさんの御誦経なんかをお読ませになり、宮中に向かってずっと上手くいくようにお祈りなさってたの、それも風流で、ステキなことでございますよね」
なんてお語りになったのを、帝もお聞きになって感心していらっしゃるの。「私は三巻、四巻でも読みきれないなぁ」っておっしゃって。

 「昔は、身分の低い者なんかも、みんな風流だったんだよねぇ。最近はこんな話を聞くこともありませんものねぇ」なんて中宮様にお仕えしている女房や、帝の女房でこちらへ出入りが許されている人たちが来られて、口々に話す様子は、ホント、露ほども心配事がなくって、とっても素晴らしいって思うのよね。


----------訳者の戯言---------

原文に「琴の御琴を」とあるんですが、「琴の琴」って何やねん!「琴」だけやったらあかんのかい!とみなさん思われたことでしょう。え?私だけですか?
まあ、まどろっこしいですね、昔の人は。と思って調べてみたら、実は琴にはいろいろと種類がある、というか、琴(きん)も箏(そう)も和琴 (わごん)も全部「琴」なので、「琴(きん)の琴(こと)」という言い方をしたんですってね。琵琶も「琵琶の琴」って言ったらしいですから、「琴」っていうのは「弦楽器」全般のことだったわけですね。
で、現代私たちが「琴=こと」と呼んでいるのは「筝(そう)」という楽器です。「筝曲」とかって言いますね。

で、ここに出てくるのが「琴(きん)の琴(こと)」。筝(そう)は柱(じ)っていうブリッジで音程をつくるんですが、琴(きん)は弦を押さえる場所で音程を決めます。スタイルは違いますけど筝は西洋楽器のハープの感じですかね。琴(きん)はまあ、バイオリンとか、ギターとか三味線とか、押さえるところで音程を変えると。でも、弾き方のイメージとしては、スチールギタードブロギターなんかに近いですかね。置いて弾きます。

物忌の日=御物忌なりける日っていうのは、陰陽師が占って凶日とした日らしい。災いを防ぐため、家に閉じこもって、来客も禁じて、おとなしくしてたらしい。けど暇だったんだろうね、こういうゲーム的なことをやったんでしょう。

御几帳っていうのはパーテーション的なものですね。「大進生昌が家に②」でも出てきました。

大殿油(おおとなぶら)というのは、お察しの通り、「おおとのあぶら」が変化したもの。宮中や貴族の邸宅で使われた油の灯し火のことです。

原文の「えせもの=似非者」というのは、そもそもは文字通り「にせ者」の意味なんでしょうけど、つまらない者、くだらない者、身分の低い者、といったあたりの意味があるようです。まあ、ここに出てくるシチュエーションはバリバリの貴族社会、ですから、差別意識というのが当然のことのようにあり、「卑しい者」を簡単に差別します。
平気で「身分の低い者なんかでも」みたいな言い方しますから。嫌ですね。けど自覚がないというか、別に悪気があるわけでもなく普通の感覚なんですよね。

ここでは、宣耀殿の女御のことを言ってるんでしょうか?
たしかに中宮=皇后に比べると、身分は低いんでしょう。ただ、女御は皇后の候補でもあったわけですし。けど身分的に更衣よりは上です。まあ、私の知識くらいでは何がよくて何が下なのか、そのランクの違いの根拠も度合もよくわかりません。「源氏物語」の冒頭でも「いずれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひける中に」というフレーズがあったとおり、皇妃はいっぱいいたんでしょう、そのれくらいしかわかんないです。けど、ここでの話し流れからすると、「女御みたいに、にせもの=卑しい人でも風流だったんだよねぇ、素敵だよねぇ」としか聞こえないです。
見下してるのか?褒めてるのか?これ? 私の解釈が間違っているのでしょうか。

いずれにしても、この段ですが、何せ長いです。疲れました。
プライベートでいろいろあって、忙しかったということもありますが、「清涼殿の丑寅の隅の」の三つの記事におおよそ2カ月かかってますからね。

さて本題の感想です。

この部分はほとんどが中宮・定子様の語りです。
村上天皇というのは先に出てきた円融天皇の父ですね。今の天皇一条天皇)からすると、祖父と言うことです。宣耀殿の女御というのは、本名・藤原芳子という方だそうです。こんな名前の人、現代でもそのへんに普通にいてそうです。すみません、失礼ですね。

が、この芳子という女御、村上天皇の皇后・藤原安子という人だったらしいですが、この安子に嫉妬されたらしいです。芳子はずいぶん美人で、ここにも出てきたように古今和歌集を暗唱できる才媛だったというので、天皇のお気に入りだったと。この二人、実は従姉妹だったそうです。天皇が芳子の元に通われた時、安子がなんか投げつけたとか、というような話が、「大鏡」に載ってるらしいです。興味のある方は、そちらのほうもぜひ読んでみてください。

さておき。まあ、この段では、定子様も清少納言天皇とか皇妃とかを褒めておけばオッケー的な感じってないですか? たしかに、みんな立派な方だったんでしょうけど。露骨なんですよね。
会社なんかでもいますけどね、あからさまに上に媚びる奴とか。会社自体がそういう文化だったりとか。気持ち悪いですね。私はかなり嫌いです。

まあ、そういうわけで、上に媚びる人たちと、差別バリバリの人たちのお話でした。


【原文】

 「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは小一条の左の大臣殿の御娘におはしけると、誰かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえけるとき、父大臣の教へ聞こえ給ひけることは、『一つには御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を、みなうかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞こえ給ひける、と聞こし召しおきて、御物忌なりける日、古今をもてわたらせ給ひて、御几帳を引き隔てさせ給ひければ、女御例ならずあやしとおぼしけるに、草子を広げさせ給ひて、『その月、何の折、その人のよみたる歌はいかに』と問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけりと心得給ふもをかしきものの、ひがおぼえをもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきことと、わりなうおぼし乱れぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石して数置かせ給ふとて、強ひ聞こえさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそうらやましけれ。せめて申させ給へば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべてつゆたがふことなかりけり。いかでなほ、少しひがごと見つけてをやまむと、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算(けふさん)さして大殿ごもりぬるも、まためでたしかし。いと久しうありて、起きさせ給へるに、『なほこのこと、勝ち負けなくてやませ給はむ、いとわろかろべし』とて、下の十巻を、『明日にならば、異(こと)をぞ見給ひ合はする』とて、『今日定めてむ』と、大殿油参りて、夜更くるまで読ませ給ひける。されど、つひに負け聞こえさせ給はずなりにけり。上わたらせ給ひて、『かかること』など、人々殿に申し奉られたりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせ給ひて、そなたに向きてなむ念じ暮らし給ひける、すきずきしう、あはれなることなり」など語り出でさせ給ふを、上も聞こし召し、めでさせ給ふ。「我は三巻、四巻をだにえ果てじ」と仰せらる。「昔は、えせ者なども、みなをかしうこそありけれ。このごろは、かやうなることやは聞こゆる」など、御前に候ふ人々、上の女房、こなた許されたるなど参りて、口々言ひ出でなどしたるほどは、まことにつゆ思ふことなく、めでたくぞおぼゆる。


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