頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて①
頭の中将(藤原斉信)がいい加減な嘘っぱち話を聞いて、めちゃくちゃ私のことをdisってね、「『どうして一人の人として認めて誉めてたんだか』なんて、殿上の間でめちゃくちゃヒドいコトおっしゃってたんだ」って。そんなの聞いたりするだけでも、恥ずかしくはあるんだけど、「それがほんとのコトならともかく、そうじゃないんだから、ま、自然と思い直してくださるでしょうよ」って笑って放っておいたのね。だけど、黒戸(の部屋)の前とかを通る時だって、私の声なんかがする時は袖で顔を隠してこっちを全然見ようともしないで、ものすごく嫌がられたもんだから、こっちも何にも言わず、見もしないで過ごしてたの。そんな二月の末、すごく雨が降って暇で仕方なくって、物忌で出かけられなかった時、「『(彼女とのやりとりがなかったら)さすがに物足りないよねー。何か言ってやろうかなぁ』っておっしゃってたよ」って女房たちが話してたけど、「まさか、ンなことないでしょ」なんて答えて、一日中、自室に退いて過ごしてから、定子さまの御前に参上したら、もうご就寝してらっしゃったの。
----------訳者の戯言---------
藤原斉信という人は、かなり優秀な公卿であり定子の実家の中関白家衰退の後、藤原道長、彰子側でも重用されたようですね。しかも詩歌、管弦などにも秀でていて文化人としても当代随一と言われていた人だそうです。
「黒戸」というのは、何故「黒戸」というのか?については、兼好法師が「徒然草」に書いてます。拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第百七十六段 宮中の「黒戸」は をご覧ください。
「物忌み」っていうのは、陰陽師が占って凶日とした日らしいです。災いを防ぐため、家に閉じこもって、来客も禁じて、おとなしくしてたらしい。そんなある「物忌の日」に村上帝と宣耀殿の女御が「古今和歌集言い当てっこゲーム」をした「清涼殿の丑寅の隅の③ ~村上の御時に~」という話がありましたね。
「さうざうし」というから、騒々しいのかと思いきや、「物足りない」「心寂しい」という意味です。漢字は「索索し」です。古典の先生なら、「ハイ、これ、テスト出ますよ~」と言うところですね。まじ、出ますから。で、高校生のみなさん、おもしろいくらいひっかるようです。
この段、結構長いです。
まずは話の出だしです。今度は頭の中将の藤原斉信とのやり取りでしょうか。どういうエピソードになるのか、楽しみです。
【原文】
頭の中将のすずろなるそら言を聞きて、いみじう言ひおとし、「『何しに人と思ひほめけむ』など、殿上にていみじうなむのたまふ」と聞くにもはづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほし給ひてむ」と笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などする折は、袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみ給へば、ともかうも言はず、見も入れで過ぐすに、二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌にこもりて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。物や言ひやらまし』となむのたまふ」と人々語れど、「よにあらじ」などいらへてあるに、日一日下(しも)に居暮らして参りたれば、夜のおとどに入らせ給ひにけり。
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