枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

故殿の御ために①

 今は亡き道隆さまのために毎月10日、定子さまはお経や仏像などをご供養なさってたんだけど、9月10日には職の御曹司(中宮職の庁舎)でそれを行われたの。上達部や殿上人がとてもたくさんいてね。清範(せいはん)が講師で、そのお説法がまあ、すごく悲しい内容だったから、特別ものごとの無常観と深くは関わってないような若い女房たちでさえ、みんな泣いてしまったの。

 このイベントが終わって、お酒を飲み、詩を朗誦したりしてたら、頭の中将の(藤原)斉信の君が、「月秋と期して身いづくか(月は秋になると美しく見られるけど、それを愛でた人はどこに行ってしまったたんだろう)」っていう歌を詠われたのが、とてもとても素晴らしかったわ。どうして、そんな歌を思い出されたのかしら。

 定子さまがいらっしゃるところに、人をかき分けて参上したら、立ち上がっていらっしゃって、「素晴らしいわね。ほんと、今日のためにって特別に用意して詠ったんでしょうね」っておっしゃるから、「まさにそれ、申し上げようって、見物も途中でやめて参上したんですよ! 私もやはり!すごくいい素晴らしい歌だって思いました」って申し上げたんだけど、「あなたは、なおさらそう思ってるんでしょうね」っておっしゃるの。


----------訳者の戯言---------

清範(せいはん/しょうはん)は、当時の清水寺別当、トップだった僧侶だそうです。文殊の化身と言われてたり、説教の名手でもあったらしいです。
ちょうど、「今年の漢字」が発表される時期で、毎年清水寺貫主(住職)が揮毫するんですが、今の住職が森清範という人で、偶然同名のようですね。ちょうどこの記事を書いてるのが「今年の漢字」の発表の日で、ニュースで見ました。でなければ、貫主の名前など知らなかったでしょうからね。(ちなみに『2019年の漢字』は『令』でした)
いや、どうでもいいネタなんですが。

斉信の君が詠ったという「月秋と期して身いづくか」の歌は菅原文時という人の作だそうです。菅原道真の孫らしいですね。
下のような漢詩で、「和漢朗詠集」に収められています。

金谷醉花之地    
花毎春匂而主不歸 
南樓嘲月之人
月與秋期而身何去
(金谷に花に酔ふ之地、花春毎に匂ふて主帰らず、南楼に月を嘲つ之人、月秋と期して身いづくにか去る)

上にも書きましたが、4行目の「月與秋期而身何去」を書き下すと「月秋と期して身いづくにか去る」という風になります。
意味は「月は秋になると美しく輝くけど、それを愛でた人はどこに行ってしまったんだろう??」という感じです。これが、すごくよかったよねーと、中宮定子と清少納言が共にベタ誉め、となりました。

で、最後に言った「あなたは、なおさら~~」っていうのは、その詠った本人があのステキな頭の中将、斉信さまだからでしょ、っていう含みがあるようです。たぶん。

というわけで、②に続きます。

はっきり言って、漢詩とかやめてほしいですね。出典とか意味を調べるのが結構たいへんなんですよー。


【原文】

 故殿の御ために、月ごとの十日、経、仏など供養(くやう)せさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範、講師にて、説くこと、はたいとかなしければ、ことにもののあはれ深かるまじき若き人々、みな泣くめり。

 果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭の中将斉信の君の、「月秋と期して身いづくか」といふことをうち出だし給へりし、はたいみじうめでたし。いかで、さは思ひ出で給ひけむ。

 おはします所に、わけ参るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじう、今日の料に言ひたりけることにこそあれ」とのたまはすれば、「それ啓しにとて、もの見さして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそおぼえ侍りつれ」と啓すれば、「まいて、さおぼゆらむかし」と仰せらる。