枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宰相の中将⑥ ~内裏の御物忌なる日~

 帝の御物忌の日、右近の将監で、みつナントカっていう者を遣わせて、源中将が畳紙(たとうがみ)に書いて届けて来たのを見ると、「参上しようと思ってます、今日明日は御物忌なので。『三十の期に及ばず』はどうでしょうか?」って、言ってきたから、返事に「その年齢はもう過ぎてしまわれたでしょう? 朱買臣が妻を説得した齢にはならないかもだけど」って書いて使いの者に届けさせたんだけど、彼ったら、また悔しがって、帝にも申し上げたもんだから、帝が定子さまの御殿にいらっしゃって、「どうしてそんなこと知ってたの? 『三十九歳になった年に朱買臣は妻を戒めた』って。宣方は『キビシイこと言われましたわー』って言ってるみたいだよ」っておっしゃったの、イカレてる物好きな方!って思ったのよね。


----------訳者の戯言---------

御物忌(ものいみ)。物忌っていうのは、陰陽師が占って凶日とした日らしいです。これまでにも何度か出てきましたね。災いを防ぐため、家に閉じこもって、来客も禁じて、おとなしくしてた、という行事。行事というか、ちょうど今、新型コロナで、緊急事態宣言が出て外出を自粛していますが、それに近いです。ただ、物忌は科学的根拠があるわけではなく、もっとオカルト的でした。
で、この御物忌の日はみんな暇だったとは思います、経済的な不安もない皇族や貴族ですからね。

ここでは、源中将が、御物忌の日に宮中で宿直だったのでしょうか、で、ヒマだったというか。
「三十の期」の詩吟をネタにして、しきりに清少納言に会いたがる源中将、またもやちょっかいを出してきたということですね。

右近の将監(しょうかん/しょうげん)とは、右近衛府の三等官のことを言います。源中将がこの人を使いにしてメッセージを送ってきました。

畳紙(たとうがみ/たとうし)は、結髪の道具や衣類などを包むための紙だそうです。今は紙袋がありますし、ハンドバッグ、ポーチ、トートバッグ、物によってはレジ袋、ラップ、チャック付のビニ袋etc.いろいろありますからね。ま、当時はこういうのを使ってたようです。ということは、ここでは割とカジュアルに手紙を書いてきた、ということでしょう。

朱買臣(しゅ ばいしん)というのは、前漢の官僚。武帝という当時の皇帝の側近として仕えた人だそうです。元々、貧しかったんですが、本ばかり読んで、薪を背負って売って暮らしていました。なので、貧しいまま。中年になっても全然お金がありません。奥さんがいましたが、そんなこんなで愛想を尽かされ離縁を迫られます。それに対して、「私は50歳になったら富貴な身分になる。お前は今までずっと苦労していたから、私が富貴になるのを待っていれば大いに報いようではないか」と説得したのが、ここで出てきた「妻を教へけむ年」の故事の由来です。
で、結果的には先にも書いたように出世をして武帝の側近となります。そして、彼の言うことを信頼できなかったことを恥じて、後年、元妻は自殺してしまったそうです。

というわけで、前の記事⑤に続いて源(宣方)中将のお話です。斉信から教えてもらった「三十の期」で何とか清少納言接触しようと手紙まで寄こしますが、機転を利かせて「(三十歳にならない前に、って言うけど)アナタ、三十過ぎてるでしょ、朱買臣が奥さんを説得した年齢にはまだなってないけどね」と、ピシャリとお断りする清少納言。つれないよな。

なのに、「清少納言サンにこんなこと言われちゃいましたよー」と、帝に報告までしちゃう宣方。素直というか、カワイイじゃないですか。

清少納言的には、ちょーっそれ帝に報告って、頭おかしいでしょ!って感じです。disりながらも、案外まんざらでもない、楽しんでいるようでもあるし、口が軽いし信用できないわ、と本気で思っていたのかもしれません。
いずれにしてもこの段、宰相の中将(藤原斉信)からはじまったお話ですが、結局、源中将のおもしろさに持っていかれました。

これに対して、藤原斉信には清少納言、まるで目がハートマークになっているかのような好意的な書き方。しかし、先にでも書いたとおり、定子の父で関白の藤原道隆が亡くなり、後継者の覇権争いが繰り広げられたころです。藤原斉信は、元々は定子サロンに近かった人物ですが、後に権力を握るライバル、藤原道長に急接近したことで宰相の中将に昇進した人でもあります。清少納言的には、この貴公子を礼賛しながらも、もしかすると、ピッカピカだけど、キレ者すぎて油断できないわね、という意識も多少あるかもしれません。邪推でしょうか。

一見、能天気に見える清少納言自身も、時代の荒波に翻弄されてたのかもしれません。後の権力者、藤原道長とも親交があったようですからね。
何せ「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の人です。その辺のサワリのところは「関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて①」「関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて② ~中納言の君の~」に私も書いています。よろしければご一読を。

ということも、ふまえつつ、この段は例によって清少納言の知識自慢、アドリブ自慢、モテモテ自慢もふんだんに盛り込まれており、楽しめる内容にはなっています。素直にそのまんま読むもよし、社会的背景や心の裏側も想像しながら読むもよしです。


【原文】

 内裏(うち)の御物忌なる日、右近の将監(さうくわん)みつなにとかやいふ者して、畳紙(たたうがみ)にかきておこせたるを見れば、「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。『三十の期に及ばず』はいかが」と言ひたれば、返りごとに、「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」とかきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはいましめけれ』とて、宣方は、『いみじう言はれにたり』といふめるは」と仰せられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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