枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宰相の中将⑤ ~宰相になり給ひし頃~

 宰相(参議)におなりになった頃、帝の御前で、「あの方は詩をすごくお上手に吟じられるのです。『蕭會稽之過古廟』なんかも、誰があんなに上手く吟唱できるでしょう? できないでしょう。もうしばらくの間だけでも(蔵人の頭として)お仕えすればいいのに。残念ですわ」なんて申し上げたら、すごくお笑いになって、「そこまで言うのなら、任命しないことにするよ!」なんておっしゃるのも可笑しいわ。
 でも、宰相におなりになったから、頻繁に出会えなくなってほんとに残念な思いをしてたんだけど、源中将は、彼(斉信)に負けまいと思って、もったいぶって歩きまわるもんだから、宰相の中将の噂話を持ち出して、「『未だ三十の期に及ばず~』っていう詩を、全然誰も真似ができないくらいに、上手く吟じられたんです」なんて言ったら、「どうして私が彼に劣るだろうかね? 勝ってるでしょうよ」って吟唱なさったんだけどね、「全然似ても似つかわないわ」って言ったら、「情けないよなぁ。何とかして彼みたいに上手く吟じたいもんだよ」っておっしゃるから、私、「『三十の期~』って詠うところが特にカンペキにすごくチャーミングでしたわね」なんて言ったら、悔しがって笑ってはいたんだけど、斉信さまが近衛の陣に着席なさった時、傍らに呼び出して、「こんなこと言うんですよ! やっぱ、そこんとこ教えてくださいよー」っておっしゃるから、笑って教えてたってこと、私は知らなかったんだけど、私の部屋のところに来て、すごく彼によく似た感じで吟じたのを不思議に思って、「それは誰ですの?」って聞いたら、笑い声になって、「いいことをお教えしましょう。これこれこういうワケで、昨日、陣にいた時に教えてもらったから、さっそく似てたんでしょうねー。『誰です?』って優しい感じでお聞きになるし…」って言うから、わざわざ習いに行かれたっていうのがおもしろくって、これさえ吟じたら(私が)出てきておしゃべりするもんだから、「宰相の中将の人徳が現れてるよ。中将のいる方に向かって拝まないといけないよね」なんて言うの。実は自室に下がってても、「今は中宮さまの御前にいます」とか、使いの者に言わせる場合でも、源中将がこの詩を吟じたら、「ホントはいました~」なんて言っちゃうのね。定子さまにもこんなことがあったことを申し上げたら、お笑いになるのよ。


----------訳者の戯言---------

「蕭會稽之過古廟」と書いたのは、「上州大王陪臨水閣詩序」という漢詩のようです。

上州大王陪臨水閣詩序

蕭会稽之過古廟
託締異代之交
張僕射之重新才
推為忘年之友

蕭会稽が古廟(こべう)ヲ過(よ)キシ、託(つ)ケテ異代ノ交リを締(むす)ベリ~という感じの詩。なんのこっちゃ。会稽郡の丞となった蕭允が、途中延陵で呉の季礼の廟を通り過ぎた時~時代は違うけど志を同じ者ってことで交わりを結んだ、、というようなお話ですが、それでもよく意味がわかりません。あ、わからなくてもいいですか? ま、そういう有名な詩があったということで。

さらに「未だ三十の期に及ばず」という漢詩が出てきます。調べてみると、「見二毛(ニ毛ヲ見ル)」というタイトルの詩でした。

見二毛(ニ毛ヲ見ル) 源英明

吾年三十五 未覺形體衰
今朝懸明鏡 照見二毛姿
疑鏡猶未信 拭目重求髭
可憐銀鑷下 拔得數莖絲
   (中略)
顏回周賢者 未至三十期
潘岳晉名士 早著秋興詞
彼皆少於我 可喜始見遲

吾年三十五、未ダ形体ノ衰ヲ覚エズ。今朝明鏡ヲ懸ケ、ニ毛ノ姿ヲ照ラシ見ル~(中略)~顔回ハ周ノ賢者、未ダ三十ノ期ニ至ラズ。潘岳ハ晋ノ名士、早ク秋興ノ詩ヲ著ハス~という詩のようですね。「未だ三十の期に及ばず」の部分は、「顔回は周の賢者で、三十歳にならない前に~云々」ということかと思います。意味、よくわかりません。
ここのお話の中では、詩の内容はあんまり関係ないんですがね。

というわけで、そのような漢詩を上手く吟唱される宰相の中将(斉信)を絶賛する清少納言。そしてその吟じ方を教えてもらって、真似をする源中将(宣方)です。しかし、清少納言、宰相の中将のすばらしさを際立たせたいの、わかりますけど、宣方さまを笑いものにし過ぎですよね。
しかも中宮定子さまにまでチクって、笑われてるんですよ。前の記事にも書きましたけど、カワイソ過ぎますよ。
ということで、ようやくこの段の最後⑥に続きます。


【原文】

 宰相になり給ひし頃、上の御前にて、「詩をいとをかしう誦(ずう)じ侍るものを。『蕭會稽(せうくわいけい)之(の)過古廟(こべうをすぎにし)』なども誰か言ひ侍らむとする。しばしながら候へかし。口惜しきに」など申ししかば、いみじう笑はせ給ひて、「さなむいふとて、なさじかし」などおほせられしもをかし。されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相の中将の御うへを言ひ出でて、「『未だ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦(ずう)じ給ひし」などいへば、「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」とてよむに、「さらに似るべくだにあらず」といへば、「わびしのことや。いかであれがやうに誦(ずう)ぜむ」とのたまふを、「『三十の期』といふ所なむ、すべていみじう愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりて笑ひありくに、陣につき給へりけるを、わきに呼び出でて、「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」とのたまひければ、笑ひて教へけるも知らぬに、局のもとにきていみじうよく似せてよむに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、笑みたる声になりて、「いみじきことを聞こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』とにくからぬけしきにて問ひ給ふは」といふも、わざとならひ給ひけむがをかしければ、これだに誦(ずう)ずれば出でてものなどいふを、「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」などいふ。下にありながら、「上に」など言はするに、これをうち出づれば、「まことはあり」などいふ。御前にも、かくなど申せば、笑はせ給ふ。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)