枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

池は

 池なら、勝間田の池、磐余の池がいかしてる。贄野の池は、初瀬に参詣する時に、水鳥が隙間もないくらいいて、すごく騒ぎ回ってるのが、めちゃくちゃ趣があっていい感じに思えたの。

 水なしの池っていうのは、不思議で、何でこんな名前をつけたんだろう?って聞いたら、「五月に、だいたい雨がすごくすごくいっぱい降りそうな年は、この池に水というものはなくなるんです。また、日照りの厳しくなる年は、春の初めに水が多く出るんですよ」って言うもんだから、「全然水が無くていつも乾いてるだけなら、そうも言えるんだろうけど、水が出てる時もあるっていうのに、片方だけ見て名前を付けちゃったのかしら」って言いたくなっちゃったわ。

 猿沢の池は、采女が身を投げたのをお聞きになって帝が行幸なさったのが、とってもすばらしく思えて。「寝くたれ髪を」と人麻呂が詠んだ様子を想像すると、言葉にするのもダサく感じます。

御前の池というのは、またどういうつもりで名付けられたんだろう?って、興味ある。鏡の池。狭山の池は、「みくり」っていう歌がステキだから、覚えてるんだろうね。あと、こひぬまの池も素敵。

 はらの池は、「玉藻をどうか刈らないで」って言ったのが、面白いと思うわ。


----------訳者の戯言---------

勝間田の池とは、奈良市西の京、唐招提寺薬師寺の近くにあったという池。とのこと。
磐余(いはれ)の池は、桜井市阿部から橿原(かしはら)市池尻町付近にあった池。だそうです。

采女(うねべ/うねめ)とは、天皇や皇后の食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のことだそうです。

采女が身投げしたのをお聞きになった帝が行幸したのが、なぜそれほど素晴らしかったのか? むしろ、哀れであるとか、悲しいであるとか、の気持ちでは?という気がしますが。てか、采女が身投げをして、帝がここに行幸するに至った経緯とは?

実はこの逸話は「大和物語」という平安時代中期の和歌説話集に出ています。以下のようなことが書かれています。もしかしたら一般にも有名な話だったのでしょうか。

奈良時代のある帝の頃の、ある采女のお話です。
彼女は美人でスタイルもよかったので、いろいろな貴族が言い寄って求婚したそうです。しかし、一切相手にはしなかったそうです。
なぜなら、この采女は帝のことだけを心より慕っていたから。で、ある時、帝がこの采女をお召しになったそうなのです。しかし、一度だけで、二度とはお召しになりませんでした、と。

しかしこの采女は、二度目がおとずれないことをとても悲しく、昼夜、恋しくわびしく思っていたそうです。

帝は一度は采女をお召しになったけど、特別に何とも思われなかったんですね。
帝ですから、そのようなことは、まま、普通にあることだったんでしょう。

でも、そうはいっても、采女は宮中で日常的に帝を拝見していたわけで。采女はこのまま生きてるのがとてもとても辛く、いたたまれない気持ちになりました。そしてある夜、秘かに御所を抜け出して、猿沢の池に身を投げてしまったのでした。

ただ、「かつては寵愛されたのに帝が心変わりしたために、自らの境遇を儚み、帝を恨んで、身投げをした」というのとはちょっとニュアンスが違うように私は思います。客観的に見ると帝と采女の距離感はそれほどまで近いものではなかったのではないでしょうか。むしろ横恋慕に近いんですが、一夜召されただけに、采女の方は余計に想いが募ってしまったということなんでしょう。

で、しばらくは采女が身投げしたことを帝はご存知ではなかったんですが、何かの拍子に誰かが帝に言ってしまったんですね。それで、帝がものすごく哀れにお思いになって、池のほとりに行幸なさって、人々に歌をお詠ませになったそうです。その時に柿本人麻呂が詠んだのがこれ。

吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
(私の愛しい彼女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見るのは本当に悲しいことだなぁ)

この歌に、帝が返して詠みました。

猿沢の池もつらしな我妹子が玉もかづかば水ぞひなまし
(猿沢の池も酷いよなぁ、私の愛しい彼女が池に飛び込んで玉藻の下に沈んだのなら、水を干上がらせてくれれば、彼女だって死なずにすんだものを)

切ない話ですが、帝にしてみれば、これが今さらながらできる最大限の鎮魂。人びとに歌を詠ませて、自分も詠むと。この件(くだり)を知っていれば、清少納言が「いみじうめでたけれ」と感じたのも頷けます。悲哀だけでなく、帝の行為、お気持ちに感動してるわけですね。特にそれを象徴するのが、人麻呂がこの歌を詠んでる様子だということです。

ところで、この帝って誰? 時代から言うと、聖武天皇元明天皇元正天皇あたりと推察されます。ハッキリとはわかりませんでした。

釆女というのは、地方豪族の子女で、特にルックスのいい娘が選ばれたそうです。これは天皇の妻妾になるという側面もあったからでしょう。身分的にはそれほど高くはありません。
ただ、容姿端麗で教養も高かった、しかも天皇しか触れられないので、世の中的には、高嶺の花というか、憧れの対象だったそうです。しかし「大和物語」では、多くの求婚があったとか書かれています。それ、いいのかなぁ。天皇の女に手を出してヤバくね?いいのか? そこ、誰か教えてください。

さて「御前」です。
「オマエさー、都合のいい時だけ父親ヅラすんなよな」「オマエェ? それが親に向かって言う言葉か!」的な感じではありませんでした、昔は。
「お前だけだよ」これもちょっと違うかな。
お察しのとおり、逆に「あなた様」という意味の尊敬語でした。今さらですか。

で、何で「あなた様の池」なん?ウケるよね―。って話です。

「みくり」は、「三稜草」と書くようです。「ミクリ科の多年草。各地の池や溝などの浅い水中に生える。高さ六〇~九〇センチメートル。地下茎がある。葉は根ぎわから生え剣状で基部は茎を抱く。六~八月梢上に小枝を分け球状の白い花穂をつける。雄花穂は花軸の上部に群がってつき、雌花穂はその下部にまばらにつく。果実は卵球形で緑色に熟す。茎でむしろなどを編む。漢名、黒三稜。やがら。三稜。」となっていました。(精選版 日本国語大辞典

で、どうもこの歌↓が有名なのかなと思います。古今集に入ってます。

恋すてふ狭山の池のみくりこそ 引けば絶えすれ我や根絶ゆる
(恋するということは、狭山の池のみくりと同じで、引き抜けば根が切れて枯れてしまうでしょうか、私の恋も彼の通いが根絶えてしまうのでしょうか)

鏡の池、こひぬまの池は、結局場所も詳細もわかりませんでした。清少納言、理由も書いてないです。でも、名前から惹かれることが多い傾向にあるので、そんな感じかなーとは思います。でも今は無い池です。

「玉藻な刈りそ」も和歌ですよね。と思って調べたら、違いました。というか、有名な和歌ではないようで、結局、出典何かわからずです。

意味からすると、「~な~~そ」というのは、どうか~~してくれるな。~~しないで。です。古文の授業で、たしか習いました。穏やかな禁止というか、そんな感じです。

ですから、「玉藻をどうか刈らないでね」です。でも何これ? 何かそういう「言われ」はあるのだと思いますが。

今回は、よくわからない部分もあったりしつつ、消化不良気味。ま、昔の池の話ですからね。まーいいか、という感じで次に進みます。ルーラ!


【原文】

 池は かつまたの池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池。初瀬に詣でしに、水鳥のひまなくゐて立ちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。

 水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。またいみじう照るべき年は、春の初めに水なむおほく出づる」といひしを、「むげになく乾きてあらばこそさも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と言はまほしかりしか。

 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「ねくたれ髪を」と人麻呂がよみけむほどなど思ふに、いふもおろかなり。

 御前の池、また何の心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ。こひぬまの池。

 はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。

 

 

マンガでさきどり枕草子

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