枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

右衛門の尉なりける者の

 右衛門府の尉(じょう)になった者が身分の低い男親を持ってて、人が見たら顔向けできない!って心苦しく思ってたんだけど、伊予の国から都に上るっていう時に海の波の中に落とし入れたのを、「人の心ほど情けないものはない」ってあきれてたんだけど、7月15日にお盆の供養をするということで準備を急ぐのをご覧になって、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり)が、

わたつ海に親おし入れてこの主の盆する見るぞあはれなりける
(海に親を落として死なせておいて、この人が盆の供養をするのを見ると、しみじみと身に沁みて物悲しいことだよ)

とお詠みになったのは、いかしてると思ったわ。


----------訳者の戯言---------

尉(じょう)。四等官の一つで、三番目です。三等官ですね。
律令制では長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)という四等官制がとられていました。「かみ」は最上位を表し、「すけ」はその補佐、三等官が「じょう」、さらにそれを補う四番目の管理職が「さかん」でした。

官庁、役所によって表記は違いますが、読み方はどこでも「かみ、すけ、じょう、さかん」です。
衛門府の場合は「督(かみ)」「佐(すけ)」「尉(じょう)」「志(さかん)」で、「尉」には大尉(たいじょう)、少尉(しょうじょう)がありました。
今もその名残りがあるのは軍隊→自衛隊ですね。明治時代に軍隊ができた時、四等官の名前から大尉(たいい)や中尉、少尉などが置かれました。佐から転じて大佐(たいさ)とか中佐とかもできたのですね。

それはともかく、尉(じょう)ですから、そこそこのランクの官位です。「判」つまり決裁権を持つかどうかという点で判官=尉(じょう)は、志(さかん)とは格がかなり違ってきます。概ね五位以上の家に生まれれば「判」権限を持つ判官(じょう)以上、六位以下なら「判」権限を持たない主典(さかん)以下という、出自による格差が厳然と存在していたのです。 


だから、生まれは「えせなる」親からだったとはいえ、この男性は異例ともいえる出世をした有能な人物だったと言えるでしょう。しかし、その出自を恥じて親を海に落として殺めてしまったんですね。そんなことしなくても十分評価は高かったはずなのに。


阿闍梨あじゃり)というのは、弟子の模範になるような位の高い僧侶のことだったとも言われていますが、今は真言宗の一般の僧侶が持つべき最低限の資格ともされているそうです。ここでは「先生」ぐらいのニュアンスかもしれません。

道命(どうみょう)というのは清少納言と同時代の僧侶です。父は藤原道綱。ということは、枕草子でもよく出てくる関白・道隆の異母弟の子ということになります。中宮・定子の従兄なんですね。清少納言よりは年下、定子よりは3歳ほど年上、というお坊さんです。

「わたつ海(わたつうみ)」というのは、元々「わたつみ(海神/綿津見)」→「うみ(海)」という意味になり、「み」の部分が「海」と認識され、「う」が挿入されてできたという、経緯が何がどうなってるのやらわからない語です。とにかく「海」でいいんですが。


親殺しをしたのに、自らその親のお盆の供養をしてるー、とdisった歌ですね。そしてその歌を褒めている感じでしょうか。
しかし、そもそも何が問題かというと、自分たちが身分社会、階級社会をつくって差別をしている側である、という視点が抜けていることです。道命も、もちろん清少納言も。もうどうしようもない人たちですね。


さて、この記事を書いている先日、お盆休みが終わりました。
そもそも「お盆」は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事(仏会)から来ている習慣です。本来は旧暦の七月十三日から4日間行われるものなんですね。旧暦に基づいていますから時季的には今の暦で8月半ばであるのは間違いではありません。最初は旧暦7月の暦に基づいてやっていたのでしょうけど、毎年日が変わるのが面倒だなということになったのかもしれません。今は現行のカレンダーの7月の13~15日からちょうど1カ月ずらした8月15日前後あたりで各企業がお盆休み、夏季休暇を設定するのが一般的になっています。これなら毎年一斉に揃えられるという利点があるのでしょう。

この時季は農耕にせよ漁などをするにせよ、一年でも最も暑さが厳しく休息が欲しい時季でもあります。先祖を今一度思い起こし供養するのはもちろん、盆踊りのような娯楽や数日の休暇を取ること、実家に戻って家族と過ごすこと。それは民の中に自然と醸しだされた生活の知恵だったように思います。


【原文】

 右衛門の尉なりける者の、えせなる男親を持たりて、人の見るにおもてぶせなりとくるしう思ひけるが、伊予の国よりのぼるとて、浪に落とし入れけるを、「人の心ばかり、あさましかりけることなし」とあさましがるほどに、七月十五日、盆たてまつるとて急ぐを見給ひて、道命阿闍梨

  わたつ海に親おし入れてこの主の盆する見るぞあはれなりける

とよみ給ひけむこそをかしけれ。