枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

日のいとうららかなるに⑤ ~海はなほいとゆゆしと思ふに~

 海はやっぱりすごく怖いって思うんだけど、ましてや海女(あま)が獲物を捕るために潜るのは辛いことだわ。腰につけてる紐が切れたりしたら、どうしよう?っていうんでしょ? せめて男がするのならそれでもいいんだけど、女はやはり平常心ではいないでしょう。舟に男は乗って歌なんか歌って、海女の栲縄(たくなわ)を海に浮かべて動き回るの。危険だし心配だなぁっていう気持ちにはならないのかしらね。舟の上に上がろうっていう時、その縄を引くのだって。男が慌てて縄をたぐり入れてく様子って、もっともなことだわ! 舟の端を押さえて吐き出した息なんかはほんとただ見てる人でさえ涙がこぼれるくらいなのに、海に潜らせて、海の上をあちこち漂ってまわる男は、直視できないくらいあきれるほど嫌な感じだわね!


----------訳者の戯言---------

海女(あま)という仕事はかなり古いもののようで、古事記とか日本書紀にも出てくるらしいですし、万葉集にも詠まれてるそうです。

栲縄(たくなわ)というのは命綱ですね。一端を舟に、他の一端を海女の腰に結びつけた縄です。楮(こうぞ)などの皮でより合わせた縄だそうですね。楮というのは、クワ科の低木で、和紙の原料にすることが多いようです。繊維が長くてしっかりしてるので縄にも使われたということなのでしょう。

「しほたる」は漢字では「潮垂る」なんですね。「しずくが垂れる」という意味なんですが、転じて「涙で袖が濡れる」「涙をこぼす、流す」といった意味になります。

「目もあやに」というのは「目もあやなり」の形容動詞の部分「あやなり」が連用形になったものです。「きらびやかで直視できない様子」を言うことが多かったようですが、「直視できないほどひどい」時にも使ったようですね。ここでは悪い方の意味です。


というわけで、かなり海女のビジネスパートナーである男をdisってます。女に潜らせて、上って来た女はすごく苦しそうなのに男はテキトーに漂ってるばかりで…見てらんねーぐらいありえねー、と言ってますね。

たしかに。
ヒモ的なものを連想させますよね。
しかしそれにしても何故、海女は女性ばかりがやっているのか? 体力的、つまり筋力や肺活量は男性のほうが上回っているだろうに。
ということで、いろいろ調べました。

まず、①女性のほうが皮下脂肪が多く冷たい海で長時間耐えられる という説があります。実は身体的に女性向きだというんですね。たしかにそれも一理あります。
これに加えて、女性は自分の呼吸の長さをわきまえて潜水するので事故が少ないけれど、男性は無理して潜るので事故を起こしやすく、そのため潜水を禁止されたという理由もあるようです。
また、本文にもありましたが、縄を使ってパートナー引き上げる漁法は海女漁の中でも「フナド(舟人)」と呼ばれ今も残っています。筋力のある方が引き上げる役を担ったのでしょう。
さらに、体力的には劣る女性による素潜り漁は獲り過ぎを避けることができる。つまり、次の年もその次の年も綿々とその近海で漁を続けるための知恵であったとも言えます。自然に逆らわず安定して獲物を得られる方法を経験により学んでいたのかもしれませんね。

次に、②男は沖に漁に出てたくさん獲るので浅い磯で漁をするのは女性の仕事になった という説です。
漁法による分業システムですね。男性は船を操って沖に漕ぎ出しカツオ漁や網漁等を行い、女性は家事をやりながら半農半漁の生活を営み、畑仕事や沿岸部での海藻取り、潜水による魚貝類の採取に従事した。これも妥当な論拠かもしれません。

③朝廷や神社に納める神聖な鮑(あわび)を納めるのは海女の重要な仕事であった という説もあります。
そもそも鮑は100年生きると言われており古代中国より不老不死の薬として信じられ、珍重されてきました。さらにそれにより長寿の縁起物でもあるともされてきたのです。実際の寿命は15年から20年ほどだそうですが、それでもかなり長生きではありますね。

鮑は日本でも古来より親しまれ、2000年前から伊勢神宮に奉納される品の一つとされているそうです。

古事記」や「日本書紀」に登場する伊勢神宮の初代斎宮倭姫命(やまとひめのみこと)が、海女の「おべん」から鮑を差し出され、それを食べたところ、あまりの美味しさに驚き、それ以来、伊勢神宮に献上するように命じたのが始まりだそうなんですね。これに長生きの縁起物であることが相まって貴重な献上アイテムになったのは想像に難くありません。

ちなみに熨斗(のし)紙や熨斗袋の右上に付いてる長細い六角形のものがありますが、その真ん中に入ってる黄色っぽい細長いものは鮑です。お気付きのとおり、延(の)した鮑。長寿の縁起物として、こういうところに今も根付いているんですね。

海女のメッカである志摩は元々伊勢の一部の地域で、伊勢神宮天照大神が女性の神であること、また、天照大神をお祀りする斎王も女性が選ばれたように、海女も女性の役割であったという考え方があります。海女が女性である理由の一つは案外そういう理由もあったのかもしれません。

こうしてさまざまな要素が複合的に重なり、海女=女性というシステムを作って行ったのかもしれません。明文化されていない、暗黙のルールが生まれたと。そしてそれが現代まで脈々と受け継がれているのだと私は思います。


さて、前段の「うちとくまじきもの=気が許せないもの」にあった「舟の旅」の流れで書いてきたこの段。やたら舟は恐ろしいとした挙句、海女を虐待してるように見えた男をhateするという的外れな結論になってしまいました。
歴史的に受け継がれてきた海女の仕事の妥当性や重要性を見落とし、船上の男性をバディとみる濃密な信頼関係を否定する、という誤った論理展開になってしまったのは非常に残念です。


ところで、清少納言が「船の端をおさへて放ちたる息などこそ、まことにただ見る人だにしほたるるに」と書いたのは、所謂海女の「磯笛」を聴いたから、だったのかもしれません。
海面に戻った時に「ピューーイッ」という口笛のような音を出す、海女さん特有の呼吸法。ハァハァするよりも、口を細めてこのように息を吹き、肺の空気を吐き出すことによって、効率的に酸素を使えるらしく、息も楽に整えられるのがこの方法らしいですね。ただ、それが切なく、物悲しく聴こえる人もいるようです。
清少納言にはむしろそのへんの情趣も描いてほしかったですね。


【原文】

 海はなほいとゆゆしと思ふに、まいて海女のかづきしに入るは憂きわざなり。腰に着きたる緒の絶えもしなば、いかにせむとならむ。男(をのこ)だにせましかば、さてもありぬべきを、女はなほおぼろげの心ならじ。船に男は乗りて、歌などうち歌ひて、この栲縄(たくなは)を海に浮けてありく、あやふく後ろめたくはあらぬにやあらむ。のぼらむとて、その縄をなむ引くとか。惑ひ繰り入るるさまぞことわりなるや。船の端(はた)をおさへて放ちたる息などこそ、まことにただ見る人だにしほたるるに、落し入れてただよひありく男は、目もあやにあさましかし。