枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ねたきもの

 いまいましいもの。誰かのところにこっちから歌を送る時も、貰った歌に返歌を送る時にも、書いて遣わした後になって、文字を一つか二つ直したくなったような場合ね。あと、急ぎの縫い物をする時に、上手く縫えたと思って針を引き抜いたら、なんと、端を結んでいなかった時。それから、裏返しに縫っちゃったのも、(我ながら)くやしかったわね。

 南の院に定子さまがいらっしゃった頃、「急ぎで縫わなくちゃいけないお着物です。どなたもどなたも、時間かけないですぐに、みんなで縫ってしまってね」ってことで、生地を支給されたから、南側の部屋にみんな集まって着物の片身ずつ、誰が早く縫うかって競って、近くで向かい合いもしないで縫ってる様子って、まじイカレちゃってるわよね。で、命婦の乳母(めのと)がいちばん早く縫い終わって下に置いたんだけど、裄の長い方の片身頃を縫ってたのを、裏返しになってるのに気づいてなくて、糸も留めてなくって。慌てて席を立ったんだけど、背の部分を合わせてみたら、そもそも全然違ってたの。みんな大声で笑って、「早く、これを縫い直して!」って言うんだけど、「誰が間違って縫っちゃったって縫い直すかしら? 綾織の布だと模様があるから裏を見ないような人でも、ホントに!って思って直すでしょう、でも何にも紋様が無い着物なんだから、何を目印にするの? 直す人っているかしら? いないでしょ。まだ縫ってらっしゃらない方に直させなさいよ」って、聞く耳持たないもんだから、「そんな風に言って、まかり通るわけ? なわけないんだけどねぇ」って、源少納言中納言の君とかっていう人たちが、ダルそうに持って来て仕方なくお縫いになってたのを、命婦の乳母が遠くで座って見てたのはおもしろかったわ。

 いい感じの萩や薄(すすき)なんかを植えて鑑賞してたんだけど、長櫃を持った者が鋤なんか引っ提げてきて、掘りに掘って持って帰ってくのは、ホントやりきれなくって、腹立たしいのよ。身分の高い人がいる時はそんなことしないのに、厳しく止めようとしても「ほんの少しなので」とか言って帰るの、言うだけ無駄でムカつくわね。

 受領なんかの家に、しかるべき家の下僕がやって来て、偉そうな物言いをして。(でも、俺さまをどうすることもできないでしょ?)なんて思ってるのも、すごくイライラするわ。

 見たい手紙とかを誰かが横取りして、庭に下りて読んでるのも、めちゃくちゃ情けなくって、癪にさわるの。追っかけてって、御簾のとこにとどまってそれを見てる時って、実はすぐにでも飛び出して行きたい気持ちなのよね。


----------訳者の戯言---------

南の院というのは、東三条殿の南院のこと。この段の逸話は、東三条殿が父である藤原道隆邸となっていた頃で、定子が入内する直前なのでしょう。

命婦の乳母(めのと)、源少納言中納言の君というのは、定子付きの同僚の女房だと思います。名前の由来はよくわかりませんが。女房名がどのようにできてるのかについては「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて② ~物など啓せさせむとても~」などに書いてあります。

で、命婦の乳母、なかなかのワガママっぷりです。
まあ、昨今のオフィスでもありそうなシーンですね。それぞれの年齢やキャリアが詳細にわかれば、もっとおもしろいんですけど。

「長櫃(ながびつ)」とは「衣服・調度を入れる形の細長い櫃。棒を通して二人で担ぐ」(デジタル大辞泉)だそうです。

さて、ねたきもの。「いまいましい」「憎たらしい」「くやしい」といったような意味の言葉です。
イライラしたり、ムカついたり、癪にさわったりといったニュアンスもあるようで、ざっくり言うと「ムカついたことあるある」の段です。

それにしても裁縫については清少納言自身、おっちょこちょい過ぎですねー。
こんな知的な私なのに裁縫に関してはダメダメなの、みたいなカワイイアピールでしょうか。時々やりますね、清少納言。「御仏名のまたの日」では、知的だけどヘタレな私、みたいな感じもありましたしね。


【原文】

 ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。

 南の院におはします頃、「とみの御物なり。誰も誰もと、時かはさずあまたして縫ひてまゐらせよ」とて、たまはせたるに、南面に集まりて、御衣の片身づつ誰かとく縫ふと、近くもむかはず、縫ふさまもいともの狂ほし。命婦の乳母(めのと)いととく縫ひはててうち置きつる、ゆだけの片の身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけで、とぢめもしあへず、まどひ置きて立ちぬるが、御背あはすれば、はやくたがひたりけり。笑ひののしりて、「はやく、これ縫ひなほせ」といふを、「誰あしう縫ひたりと知りてかなほさむ。綾などならばこそ裏を見ざらむ人もげにとなほさめ、無紋の御衣なれば何をしるしにてか、なほす人誰もあらむ。まだ縫ひ給はぬ人になほさせよ」とて、聞かねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言中納言の君などいふ人達、もの憂げに取りよせて縫ひ給ひしを、見やりてゐたりしこそをかしかしりか。

 おもしろき萩・薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに掘りて往ぬるこそわびしうねたけれ。よろしき人などのある時は、さもせぬものを、いみじう制すれども、「ただ少し」などうち言ひて往ぬる、いふかひなくねたし。

 受領などの家にも、ものの下部などの来てなめげに言ひ、さりとて我をばいかがせむなど思ひたる、いとねたげなり。

 見まほしき文などを、人の取りて、庭に下りて見立てる、いとわびしくねたく、追(お[も])ひて行けど、簾のもとにとまりて見立てる心地こそ、飛びも出でぬべき心地すれ。

 

『枕草子』の歴史学 春は曙の謎を解く (朝日選書)