枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

職の御曹司におはします頃、西の廂にて⑬ ~二十日参りたるにも~

 そして、二十日に定子さまのところに参上した時にも、まずこのことを申し上げたのね。「身は投げた」って言って、蓋(ふた)だけを持ってきたお坊さんのように、遣いの者が空容器をすぐさま持って帰ってきたのにはガッカリだったこと、もし雪が残ってたら、容器の蓋に小さい山を作って、白い紙に歌をいい感じに書いて参上しようとしたことなんかを申し上げたら、すごくお笑いになったの。定子さまの側に控えてた女房たちも笑って、
「こんなに思い入れがあったのに、台無しにしちゃったわけで、罪作りなことしたわね。実は14日の夜、侍たちを行かせて取り捨てちゃったの。あなたの返事で、誰かが雪を捨てたって言い当ててたのには、めっちゃウケちゃったわ。その木守の女が出てきて、すごく手をすり合わせて懇願したんだけど、『定子さまのお達しなのよねぇ。あの里から来るような人(清少納言)にこのことを話してはダメ! 話したら、家を叩き壊しちゃうわよ』とか言って、左近の司の南の土塀あたりに雪は全部、捨てちゃったの。『すごく固くて、いっぱい残ってましたよ』なんて言ってたから、ほんと20日までは残ってたでしょうね。今年の初雪も、さらに降り積もってたかもしれないし。帝もこれをお聞きになって、『彼女、よくよく深く考えて、しっかり反対意見を押し通したんだね』なんて、殿上人のみんなにおっしゃったんですって。いずれにせよ、その作った和歌を詠んでみて! 今はこうやって全部、白状しちゃったんだから、おんなじこと。あなたの勝ちですわよ」
って、定子さまはおっしゃるし、女房も言うものだから、「どうして、そんなにつらいことを聞きながら、申し上げられるでしょう? できませんわ」なんて、ほんと真剣に情けなくなって、落ち込んじゃってたら、帝もお越しになって「ほんとに、この何年間か(中宮の)お気に入りの人と思ってたんだけど、これでは、あやしいナ、って思ったよ」とか、おっしゃるから、ますます情けなくって、つらくって、泣いちゃいそうな気持ちがするの。「もう、情けない、すごくつらい世の中ですわ、後から降り積もった雪をうれしいって思いましたのに、『それ、気に入らないわ、掻き捨ててね」っておっしゃいましたしね』って申し上げたら、「勝たせまいと思ったんだろうね」って、帝もお笑いになったの。


----------訳者の戯言---------

「身は投げた」って言って蓋だけ持って帰ったというのは、どういうことなのか? 何を意味するんでしょうか? よくわかりません。いきなり難題です。

まず、偈(げ)という仏典の詩があるそうです。元来、仏典において、詩句で思想や感情を表現したものは多いようで、もちろん元々はサンスクリット語で書かれたようですね。これを漢語(漢文)に翻訳したのが、まあ「偈」というものらしいです。漢語になると、今度は漢字で三言四言あるいは五言など×4句からなる詩文となったと。下記、そのいくつかの例です。

七仏通戒偈「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」
無常偈「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
法身偈「諸法従縁生 如来説是因 是法従縁滅 是大沙門説」

とまあ、私にはよくわかりませんが、このように仏教の根本思想を簡潔に表現したものとして、有名なものがあるそうです。

今回出てきた「身は投げつ」というフレーズは、この中でも「無常偈」(=諸行無常偈)に関連していて、「半偈」という逸話が残っています。

雪山童子(せっせんどうじ)という求道者がその昔、いたそうです。雪山というのはヒマラヤのことだそうですね。まあ、仏教の生まれたのはインドですから、それも納得です。

帝釈天というのは、天界に住む仏教の守護神の一人とされているそうですが、その帝釈天がある時、この雪山童子の求道の姿勢に疑いを持って、本気度を試そうとしました。羅刹=悪鬼に姿を変えて、「無常偈」の前半部分(諸行無常 是生滅法)を教えたと。しかし、後半部分をどうしても知りたいと願い出たところ、羅刹は食うための人肉を求め、それと引き換えに教えると約束。このため雪山童子は自らの身体を捧げて、この偈の後半部分、つまり「半偈」(生滅滅已 寂滅為楽)を得ようとしたのですね。
こうして「無常偈」を獲得した雪山童子は、人々に遺すため方々にこの「無常偈」を記し、その上で、羅刹に身体を捧げるため、高い木に登って身を投げたのだそうです。
地面に落ちないうちに、化けていた羅刹は帝釈天に戻って、雪山童子の身体を受け止め、ひれ伏して懺悔し、さらには未来に悟りを得られた際には、お救いいただくようにと願い出さえしたとのこと。すげー。という、この雪山童子、後世のお釈迦様でありました、という話。

で、この↑逸話の「身を投げた」というところだけピックアップしたのが、ここの部分。上のような逸話の紹介必要ですか? いりませんか、そうですか。

「左近の司」は、左近衛府のこと。宮中の警備や行幸の時、警護に当たる役所です。

さて私の感想。

定子、アンタが黒幕だったんかい!
しかも手下の女房、脅迫やばい。庭師の家壊すゾって…。いや、これどっちもけっこうな執念というか、思い入れ強い。案外勝ち負けにこだわる人々。雪が残るかどうかぐらいで…。

最終的には白状しちゃったんで、まあ良いんですが、清少納言的には納得いかなかったと。

予想通りこの段、めちゃくちゃ長くて、やはり読むのに約1カ月かかりました。
雪山の話メインなんですが、サブキャラの常陸の介、式部省の丞の源忠隆、そして斎院の手紙とか、いろいろ話は飛びまくり。清少納言、いろいろ書きたいのはわかりますが、もうちょっとテーマを分けて書いてもいいような気もしましたね。

これ、たぶん枕草子ファンのみなさん、おっしゃることなんでしょうけど、清少納言の「定子さま愛」がハンパない、というのが結論。もちろん、書いたのは後年のこと。枕草子の日記的章段はだいたい中宮定子の「よかった頃」を後から書いてるわけですから、結局はあれこれ愚痴も言ったけど、いい思い出ね、ということですね、はい。


【原文】

 <さて、>二十日参りたるにも、まづこのことを御前にてもいふ。「[身は投げ]身は投げつ」とて、蓋の限り持て来たりけむ法師のやうに、すなはち持て来しがあさましかりしこと、物の蓋に小山作りて、白き紙に歌いみじく書きて参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへつれば罪得らむ。まことは、四日の夜、侍どもを遣りて取り棄てしぞ。返りごとに言ひ当てしこそいとをかしかりしか。その女出で来て、いみじう手をすりて言ひけれども、『仰せごとにて。かの里より来たらむ人に、かく聞かすな。さらば、屋うちこぼたむ』など言ひて、左近の司の南の築土などにみな棄ててけり。『いと固くて、おほくなむありつる』などぞいふなりしかば、げに二十日も待ちつけてまし。今年の初雪も、降り添ひなまし。上も聞こしめして、『いと思ひやり深くあらがひたり』など殿上人どもなどにも仰せられけり。さても、その歌語れ。今はかく言ひあらはしつれば、同じこと勝ちたるななり」と御前にも仰せられ、人々ものたまへど、「なでふにか、さばかり憂きことを聞きながら啓し侍らむ」など、まことにまめやかにうんじ、心憂がれば、<上もわたらせ給ひて、>「まことに、年頃はおぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと見し」など仰せらるるに、いとど憂く、つらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いで、あはれ、いみじく憂き世ぞかし。後に降り積みて侍りし雪をうれしと思ひ侍りしに、『それはあいなし、かき棄ててよ』と仰せごと侍りしよ」と申せば、「勝たせじとおぼしけるななり」と、上も笑はせ給ふ。


検:職の御曹司におはしますころ、西の廂にて 職の御曹司におはしますころ 西の廂にて 職の御曹司におはします頃西の廂にて 職の御曹司におはしますころ西の廂にて