枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

便なき所にて

 都合の悪いところで男子と逢ってたんだけど、胸の鼓動がすごく速くなったのを、「何でそんなにドキドキしてるの??」って言ったその男に

逢坂(あふさか)は胸のみつねに走り井の 見つくる人やあらむと思へば
(逢坂、、逢う時は走り井が湧き出すみたいにいっつも胸が騒いでるの、誰か、私たちを見つける人がいるんじゃないか?って思うとね)

ってね。


----------訳者の戯言---------

「便なき」というのは、「便なし」の連体形で、都合の悪い〇〇、具合の悪い〇〇、ということになります。

逢坂の関は、歌枕でもあり、この枕草子でも何度も出てきます。
関の清水、関水、という語も和歌には幾度も出てきており、やはりこの近くに湧き水があったのはたしかなようですね。
井戸というと一般には穴を掘って地下水を汲み上げる場所ですが、掘削した井戸ではなく泉や流水から飲み水を汲みとるところも井(走り井)と言います。


具合の悪い所ということですから、人目を避けて逢う、誰かに見られてはまずい、いわゆる、忍び逢いと言われるようなものなのでしょう。
「逢う」というキーワードを「逢坂」という歌枕で表して、気持ち、感情の迸り、湧き上がる思いを、その逢坂の名物でもある「走り井」の湧き出す様子に喩えるという高等テクニックです。


ま、あたしもこういう恋をするのよ、フフフ、とでも言いたかったのか!?


【原文】

 便なき所にて、人に物を言ひけるに、胸のいみじう走りけるを、「など、かくある」と言ひける人に、

逢坂(あふさか)は胸のみつねに走り井の見つくる人やあらむと思へば