枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

畳は

 畳は高麗縁(こうらいばし)ね。また、黄色の地の縁が良いわ。


----------訳者の戯言---------

当時は「筵(むしろ)」に縁をつけたものを「畳」と言い、筵も畳もニュアンス的にはほとんど同じです。厚みはありますが。当時の部屋は板張りで、必要に応じてそれを敷いたんだそうです。
平安時代、畳は貴重品で、天皇や貴族の屋敷だけで使われていました。また、身分で畳の大きさ、厚さ、縁の生地や色が定められていたそうです。

高麗縁ですが、高麗端とも書くようです。読み方は「こうらいべり」または「こうらいばし」だそうです。
畳の縁 (へり) の一種で、白地の綾に雲形や菊花とかの紋を黒く織り出したものらしいですね。紋にも大小があって、親王や大臣など上のほうの人は大紋、一般の公卿とかは小紋のものを使ったそうです。

帝、院、三宮(皇后・皇太后太皇太后)は繧繝縁(うんげんべり)の畳を使いました。親王や高僧、摂関や将軍などの臣下でも「准后」(准三宮)という称号が与えられると三宮扱いになるため、繧繝縁を用いたようです。親王、大臣は大紋の高麗縁、公卿は小紋の高麗縁だったらしいですね。


黄縁の畳は当時主に地下人が使いました。六位の官人や寺社などです。
あれほど差別意識や特権意識の高い人なのに、この段ではいつもなら蔑むであろう地下人の使う黄色い縁を評価しています。対して繧繝縁が出てこなかった。かなり珍しいことだと思いました。黄砂の多い昨今、案外雨が降ればいいのかもしれません。


【原文】

 畳は 高麗縁(かうらいばし)。また、黄なる地の縁(はし)。

 

 

夏のしつらひは

 夏のしつらひは 夜。冬のしつらひは 昼。


----------訳者の戯言---------

「しつらい」というのは設備や装飾、調度類を整え、室内を飾ることです。
ご存じのとおり、「しつらふ(設ふ)」が飾り付ける、設備を整える、という意味の動詞で、動詞の連用形の名詞化(設ふ→設ひ)によって生まれた言葉ですね。当て字として、室礼、補理、舗設(いずれも「しつらい」)などの表記がありますが同じ意味です。

現代でも部屋などを整え、飾りつけることを「しつらい」「しつらえ」などと言います。どちらが正しいのか迷いますが、今はどちらでも間違いではないようですね。先に述べたように元々は「しつらい」なのでしょう。私見ですが「しつらえ」のほうは誤用が一般化したのだと思います。乗り換える、誂える、甘えるなどの動詞の連用形が名詞化し語尾が「え」となるもの(乗り換え、誂え、甘えなど)が多数あるので混同したんでしょうね。

そもそも、「設ふ」という行為は、宴や儀式などを行うハレの日に、お屋敷の部屋(母屋や庇など)に調度類を置いて室内を装飾したということなんだそうです。今で言うなら、特別な日のインテリアコーディネートという感じでしょうか。
「しつらひ」はファッションなどとともに、女性のマインドやセンスを際立たせる重要なポイントだったのでしょう。
今も昔もおもてなしの装いや室内装飾は重要です。ホスピタリティの現れであり、教養と言っていいのかもしれません。


というわけで、夏のしつらいは夜を重視すると。逆に冬は昼重視ということのようです。

夏は昼間が長いです。逆に言うと夜は短いはずなんですよね。しかし夏の夜は暑くて眠れないし、開口部を開け放すことも多いでしょうから人目にも触れやすいです。
「夏は、夜」と枕草子冒頭「春はあけぼの」の段でも書いてるとおり、風情があるのだからちゃんとしないとね、ってことなのでしょうか。

対して冬の夜は寒いから早々と寝てしまうのでしょうか。部屋も閉め切りますしね。たしかに冬の夜なんかは動くのも億劫です。どっちかというと昼間の活動を重視したのかもしれませんね。


【原文】

 夏のしつらひは 夜。冬のしつらひは 昼。

 

 

火桶は

 火桶は、赤色や青色のものが良いわ。白いのに作り絵を施したのも良いわね。


----------訳者の戯言---------

今回はちょっと楽をしようと思い、最近話題のチャットGPTにこの段のことを聞いてみました。
枕草子のことは多少知っているみたいですが…。


【私】
枕草子の「火桶は」の段を現代語に訳してください。

【chatGPT】
「火桶は」の段は、『枕草子』の中でも有名な段落の一つであり、以下は現代語訳です。

火桶は、山城の国の夜には必ず用意するものである。それは、火を入れた籠のようなもので、いろいろな種類があり、炭火や木炭を使って、床の間の上に置かれる。火桶を使うことで、寒い夜でも部屋が暖かくなり、また明かりも確保できるため、夜の生活には欠かせないものであった。

しかし、火桶を使うことによって、煙や匂いが部屋に充満するため、適度な換気が必要である。また、火桶に火を入れる際には、十分な注意を払わなければならない。火事につながる可能性もあるため、火桶を使う際には、常に警戒することが必要である。

現代では、火桶を使うことはほとんどなくなりましたが、当時の人々にとっては、生活に欠かせないものであったことが窺えます。

【私】
間違ってると思います。
火桶は 赤色。青色。白きに作り絵もよし。 を現代語に訳してください。

【chatGPT】
おっしゃる通り、間違いがありました。申し訳ありません。以下が正しい現代語訳です。

火桶は、赤、青、白などの色を塗って、絵を描いたりして装飾することができる。色とりどりの火桶が並ぶ部屋は、とても華やかで美しい。火桶の種類も豊富で、床の間に置くための大きなものから、手軽に持ち運びできる小さなものまで様々である。火桶は、夜の暮らしに欠かせないものであり、その美しさや実用性から、人々の生活に根付いた道具であった。

【私】
火桶は、赤色や青色のものが良いわ。白いのに作り絵を施したのも良いわね。
というのはどうでしょう?

【chatGPT】
申し訳ありません、私の前回の回答も含め、誤った訳を提供してしまいました。正しい訳は以下の通りです。

"火桶は、赤や青、白などの色に塗ったり、模様を描いたりして飾ることができます。色とりどりの火桶が部屋に並ぶと、とても華やかで美しい雰囲気になります。火桶には、大きなものや小さなもの、様々な種類があります。火桶は夜の生活に必要不可欠なものであり、美しさや実用性から、人々の生活に欠かせない道具でした。"

大変申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

【私】
そんなにたくさん部屋に並べますかね?

【chatGPT】
火桶がいかに美しくて実用的であったとしても、一般的な家庭では多数の火桶を部屋に並べることはなかったでしょう。『枕草子』の文脈からも、一定の身分や富裕層の人々が、複数の火桶を所有していたということが伺えます。また、部屋に火桶を置く場合でも、その数や配置は、広さや形状に応じて調整されたことでしょう。

【私】
「白きに作り絵もよし」というのを、「白いものに作り絵を付けたのも良い」という風に訳してはダメですか?

【chatGPT】
「白きに作り絵もよし」という文は、現代語に訳すと、「白い火桶にも絵を描くことができる。」となります。つまり、白い火桶にも絵を描くことができるという意味です。したがって、「白いものに絵を付けるのも良い」という訳は適切だと言えます。申し訳ありませんが、私の前回の回答に誤りがありました。ありがとうございました。

【私】
「作り絵」というのは何ですか?

【chatGPT】
「作り絵」とは、絵の具などを使って、紙や布などに描いたり、切り抜いたりして作った模様やデザインを指します。一般的には、抽象的なパターンや幾何学的な形状を描いたり、花や鳥、動物などの自然物をモチーフにしたりすることが多いです。『枕草子』では、火桶に色とりどりの作り絵を施すことが、美しい装飾として語られています。

【私】
それはどの段に書かれていましたか?

【chatGPT】
「火桶は、赤色や青色のものが良いわ。白いのに作り絵を施したのも良いわね。」という記述は、『枕草子』の第十段にあたる箇所です。

【私】
第十段に作り絵のことは描かれていないと思いますが。

【chatGPT】
申し訳ありません、私の誤解に基づく回答をしてしまいました。第十段には「火桶は、赤色や青色のものが良いわ。」とありますが、作り絵の記述は見当たりませんでした。正確な情報を提供できず、ご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。

【私】
枕草子の第十段は「山は」あるいは「正月一日」ではないでしょうか?
現代語訳をお願いします。

【chatGPT】
申し訳ありません、前回の回答にも誤りがありました。ご指摘ありがとうございます。

枕草子』の第十段は「山は」です。「火桶は、赤色や青色のものが良いわ。」という記述は、第七十二段にあります。

以下が第十段の現代語訳です。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。山際は、霞みちり、いづくもおしくも、あはれみだれそめにしわびしさに、ねんごろなるたまふれど、いまいづこともあれ、このくらいの小さなものに心を動かされて、いたづらに涙をぬぐふ。」

現代語訳:
「春の朝は、薄明かりが白み始めるとともに、少しずつ山々が紫色に染まっていく。空に浮かぶ薄い雲が細く伸び、風に揺られている。山の稜線は霞でかすんでおり、どこがどのような山なのか分からなくなる。しかし、その荒涼とした風景に、どこか切なく美しい情感が籠もっているように感じられ、心を打たれる。こんな小さな光景でも、心を揺さぶられて、つい涙を流してしまう。」


AI、めっちゃ間違ってます。それ第十段でなくて冒頭文ですから。しかも途中からそれらしく創作?してしまってます。調べてみてもどこにもこんな文章無いですからね! 文法も違ってるし、古文に現代語が混じってるし。めちゃくちゃやん。
それに謝ってばっかりですね。そして間違いにどんどん拍車がかかります。第七十二段に火桶のことが書いてあるとか嘘ですしね。というか、知ったかぶりが恥ずかしいレベルです。
なんか焦ってオタオタしてるようにも見えます。

ちなみに枕草子の第七十二段ですが、枕草子は底本によってナンバリングが違いますから、〇〇段と言われても特定が困難です。三巻本では「内裏の局、細殿いみじうをかし」、能因本では「たとしへなきもの」、堺本では「蒔絵は」となっています。
また、第七十二段を「ありがたきもの」としている訳本や現代語訳をされているウェブサイトなどもあるようですが、底本やその根拠はわかりませんでした。
枕草子の第〇〇段というのは後年付けられたものですから、AIもそのへんの情報には左右されず、情報を提供してほしいですよね。

なかなか面白いのですが、いつまでも相手をしていられません。せめて語意くらいは教えてほしいんですが。もう少し学習するのを待ちましょう。
とはいえ、私など超えられるのはすぐだと思いますが。


火桶というのは丸型の木製の火鉢です。桐の木などをくりぬいて作り内側に金属板を張りました。以前、沈水香木(沈香)で作った高級品も出てきたかと思います。火桶は平安時代の頃から上流階級の間に用いられ、外側に山水、洲浜、花鳥などを描いた絵火桶も用いられました。


「作り絵」というのは、大和絵の技法の一つだそうです。日本画の描き方の一つと言っていいかもしれません。墨線で下描きし、その上から彩色し、最後に人物の顔貌や衣の輪郭などを墨線で細かく描き起こすものです。平安時代源氏物語絵巻が典型的な例とされているそうです。 


というわけで、今回はチャットGPTにさんざん翻弄されてしまいました。楽をしようなどと考えるものではありません。


【原文】

 火桶は 赤色。青色。白きに作り絵もよし。

 

 

蒔絵は

 蒔絵は唐草文様が良いわ。


----------訳者の戯言---------

蒔絵(まきえ)は、漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を蒔くことで器面に定着させる技法です。奈良時代に発達し、平安時代、貴族社会ではポピュラーになったようですね。


唐草文様は、葉や茎、または蔓植物が伸びたり絡んだりした形を図案化した植物文様です。複数の曲線や渦巻き模様を組み合わせることで、蔓(つる)が絡み合う様子を表したんですね。もちろん「唐草」という固有の植物があるわけではありません。 

この模様は元々は古代ギリシア古代エジプトなどに起源を持ち、アラブ諸国ではモスクの装飾としてよく用いられました。そのためヨーロッパでは「アラベスク(アラブ風の)」とも呼ばれてるんですね。大層に言うと、アラベスクっていうのはモスクの壁面装飾に見られるイスラム美術の様式で、幾何学的文様を反復して描くもの全般を言うみたいです。唐草はその一つという解釈で良いように思います。

さてその唐草模様ですが、日本へは中国の唐王朝支配下シルクロードを経由して伝わったとされています。つまり奈良時代(710~)から日本にあるもののようですね。

蔓植物は生命力が強く途切れることなく蔓をのばしていくことから、そもそも唐草には「繁栄・長寿」などの意味があり、縁起のいい文様なのです。さらに蔓(つる)は音読みでは「マン」で「万」と読み替え、それが帯のように連なってることから帯を音読みで「タイ」→「代」と読み替えたそうですね。「蔓帯」→「万代」と、一族の万代の子孫繁栄や長寿を象徴するものとして迎えられたということなのです。

こうして唐草は日本人に大変好まれたらしく、昔は唐草模様の風呂敷が各家にあったようですね。なんと婚礼用の嫁入り道具を包む際にも使われていたくらいで。人気がピークとなった昭和40年頃には年間150万枚も売れてたそうで、大げさではあるものの一家に一枚はあるという感じだったそうです。ちなみに日本の人口が1億弱、世帯数2千数百万、戦後高度経済成長期の後期ですね。

というわけで現在一般に「唐草模様」として認識されることが多いのは、緑地に白の唐草模様がある風呂敷のそれです。
しかし。唐草模様と言えば、コントやマンガで泥棒の小道具であったり、ダサい感じでしか使われません。なぜなのでしょう?

泥棒が唐草模様の風呂敷を担いでいるというのは、上記のとおり唐草柄の風呂敷がどの家にもあるため、空き巣に入った際にはそれがまず引き出しなんかに入ってました。泥棒も手ぶらで侵入してたんですね。その家で入手した風呂敷に盗品を包んで逃げたというわけです。しかも、どこの家にもあるので担いで外を歩いていてもあまり不審に見えませんでした。このようなことから、漫画、とくにサザエさん赤塚不二夫をはじめとするギャグ漫画や4コマで使われたのだと思います。

また唐草模様の風呂敷がお笑いのアイテムとなったのは、やはり昭和40年前後に活動していた東京ぼん太というコメディアンあたりが起源ではないかと考えられています。もちろんそれ以前に、唐草模様が所謂「ダサいもの、田舎っぽいもの」であるという共通認識はあったのでしょう。

いずれにしても唐草模様の風呂敷は現代においては、お笑いの小道具になっています。おそらくそれも徐々に衰退はしていくでしょうが、60年ほど経っても「泥棒と言えば唐草模様」というのはある意味すごいですね。
なお、天才バカボンバカボンの着物は一見、唐草模様のように見えますが渦巻き模様です。
また、獅子舞の胴体も緑色の生地でできていて、唐草模様になっているものも見かけますが、あれは本当は華鬘文(毛卍文/けまんもん)という柄で、唐獅子の身体の巻き毛を図案化したものです。


というわけで今回は唐草模様ネタに終始したかのようになってしまいました!
ちなみに「唐草×蒔絵」でGoogle画像検索するとこのような感じになります。

こうして見ると蒔絵の唐草模様は、風呂敷ほどお笑い要素はなく、結構ポピュラーな感じがします。これならコントではなく、推してもいいのかもしれません。


【原文】

 蒔絵は 唐草。

 

 

鏡は

 鏡は、八寸五分(約25.8cm)のがいいよね!


----------訳者の戯言---------

鏡です。前の段は化粧道具箱でしたから、さもありなんですが。
清少納言の頃の鏡はもちろん今のようなガラス製ではありません。よく歴史の教科書で見かけるような円形の銅の鋳物です。金属をピカピカに磨いて映してたんですね。たいていは裏側に装飾が施されていました。

そもそも銅鏡は弥生時代中期に中国大陸から朝鮮半島経由で日本に伝来しました。国産の鏡が作られたのは弥生時代後期からだそうです。それが奈良時代になると鏡を作る技術も進歩してきて、中国製のものに負けないほどになったらしいですね。

当初は、お寺とかで装飾具として用いられていましたが、平安時代に化粧道具として貴族社会に広がり、その後は庶民の生活の中にも浸透していきました。平安時代の鏡の裏には花や鳥が描かれるものが多かったようですね。

ちなみにガラスの鏡は14世紀始めにイタリアで初めて作られたそうです。日本に初めてガラスの鏡を伝えたのは1549年、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルなんだそう。学校で学ぶ歴史上の人物の中では超有名人です。髪型にも特徴がありますし、日本史の中ではほぼ初出の欧米人ですしね。キャラが立ってます。ペリーとか、マッカーサーとか、その後もいろいろ出てきますけど、インパクトのある存在なのはたしかでしょう。
それでも江戸時代まではガラスの鏡はまだ一般的ではなかったようです。明治以降普及し今では鏡はどの家にもあります。100均でも買えるほどの生活必需品ですね。

とはいえ、昔の鏡は三種の神器の一つでもあったように、宝物でもあり、また霊力を備えたものとしても扱われました。
三種の神器の中でも最も重要で神聖な宝物が、日本書紀の中で真経津鏡(まふつのかがみ)、今は一般に八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれるものです。
三種の神器は皇室を守護する御神体の意味を持っていますが、中でも八咫鏡(真経津鏡)は最高神であり皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)の分身とされています。鏡が神話に初めて登場するのは天の岩戸事件の時で、岩戸に閉じこもった天照大神が外の宴、例の天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊ってたのを覗いた時に大神の顔を写した鏡がこの真経津鏡。これによって天照大神の分身としたのですね。

八咫鏡は現在伊勢神宮に御霊代(みたましろ)、つまり御神体として奉斎されています。皇居にはこれを象ったものがあるそうです。
作者のほうはあまり有名ではないですが、石凝姥命伊斯許理度売命/いしこりどめのみこと)という神。天照大神が岩戸に引き籠ったってことで、すぐさま鏡を作ることができるというのもやはり神様ならではですね。


八寸五分。
1寸≒3.03cm、1分≒0.303cmですから、8寸5分=8×3.03+5×0.303=24.24+1.51=25.7575758cm≒25.8cmになります。約26センチってことで良いでしょう。


化粧道具としての鏡の話からかなり飛んでしまいました。すみません。
鏡ですが、裏の装飾とか柄のことではないようです。なんと、サイズ。しかし直径26センチってデカすぎないですか?


【原文】

 鏡は 八寸五分(ふん)。

 

 

櫛の箱は

 櫛の箱は、蛮絵のものがすごくいいわ。


----------訳者の戯言---------

櫛の箱(櫛箱)は文字どおり櫛など、髪を結う道具を入れておく箱です。当時からそのようなものはあったみたいですね。今で言うところのメイクボックスです。

蛮絵(ばんえ/盤絵)。有職文様の中で、草花、鳥獣などを丸く描く文様を蛮絵と言いました。調度品の蒔絵文様としてもこれは使われたようです。
この種の円文様はササン朝ペルシアに多く見られたようで、西方の蛮国から伝わった模様という意味で「蛮絵」となったとか、この模様の形が丸い盤形であるため「盤絵」である、など、字義については諸説があるようですね。
Googleで画像を検索するとこんな感じの一覧になりました。

熊っぽくない熊とか、ライオンっぽくない獅子とか、鶴っぽくない鶴とかがデザインされています。
今で言うと、シナモロールはウサギではなく犬、ばつ丸はペンギン、クロミはウサギですが、パッと見よくわかりません。サンリオのキャラだけではありません。ドラえもんにしても猫型ロボットですからね。仮面ライダーはバッタの改造人間ですし。そういった感じでしょうか? 違いますね。

先日は硯箱で、雲鳥(くもとり)が良いと書いてましたが、清少納言としては櫛箱はこの蛮絵なんですね。どれも割といかつい感じに見えますが、こういうのがメイクボックスにはいかしてたのでしょうか。


【原文】

 櫛の箱は 盤絵(ばんゑ)、いとよし。

 

 

貝は

 貝は、うつせ貝(貝殻)。特に、蛤。そしてすごく小さな梅の花貝だわね。


----------訳者の戯言---------

虚貝(うつせがい/空貝)というのは貝殻のことです。巻き貝の殻も、二枚貝の殻のことも言ったみたいですね。何の貝のことを言ってるのでしょうか? ただうつせ貝(貝殻)と言われても…ですよね。
ということで、とにかく貝は貝殻よね!ということのようです。
もちろん、貝殻の良さはありますが、貝と言えば、まずは蛤のお吸い物、アサリのパスタ、しじみ汁、そして生ガキ、アワビステーキetc. やはり中身でしょう。

それでもあえて貝殻と言う理由には、当時の遊び「貝合(かいあわせ)」の存在があったものかと思います。
うれしきもの」という段に「物合(ものあわせ)」という、遊びと言うには本気度の高いなかなかおもしろいイベントが出てきました。詳しくはリンクからご覧いただければと思いますが、ざっくり言うと、左右二組に分かれて課題の品物なんかを持ち寄らせて、審判を立てて何回戦かを戦い、左右チーム総合の勝敗を決めるというものなんですね。

どちらかというと、貝合わせと言えば、蛤の貝殻で神経衰弱みたいなのをやる、と思いがちです。ビジュアル的にも、蛤の貝殻に絵を描き金箔とか蒔絵で装飾したようなのがポピュラーな感じ。夫婦和合の象徴として嫁入り道具に持たせたなどとも言われるあれをイメージするわけですが、あのゲームは元々「貝覆い」と言われたもので、平安末期以降のものだそうですね。
枕草子の頃は、先にも書いたとおり、平安貴族が蛤の形や大きさ、色合いなどをを競う遊びだったというのが正しいようです。

貝合わせ、というとレズビアン用語としてこの語を使う場合もあります。一種のスラングと言っても良いでしょうけれど、詳解は控えますので興味のある方はググってください。


というわけで、ハマグリの貝がらが№1だわ。ということなのでしょう。
そして、梅の花貝(ウメノハナガイ)というのが実際にあるの?と思っていたら、ありました。ツキガイ科の二枚貝。貝殻は球形で、たしかに梅の花びらに似ています。殻の表面は白っぽい色、または淡黄色、内面は純白です。殻長6ミリくらいと言いますからかなり小さいですね。食べないと思います(たぶん)。貝細工に使ったりするらしいですね。


【原文】

 貝は 虚貝(うつせがひ)。蛤(はまぐり)。いみじう小さき梅の花貝。