枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

口惜しきもの

 残念なものとは? 五節や御仏名に雪が降らないで、雨が空を暗くして長々と降ってるの。節会なんかに、しかるべき宮中の物忌みが重なっちゃった時。準備万端、今か今かと待ってたイベントなんだけど、差し支えがあっていきなり中止になっちゃった場合。管弦の遊びのスタンバイをして、見せたいものもあったんだけど、使いを遣ってお招きした人が来ないのもすごく残念だわ。

 男も女も僧侶でも、仕えてる所とかから、同僚といっしょに寺にお参りして、見物に行くのに、車から衣装がお洒落な感じにはみ出してて。言ってみれば、度を過ぎてて、一般には見苦し過ぎ、ってさえ思われるほどなんだけど、わかってる人に、馬ででも車に乗ってても、出会うこともなくって、見られないままで終わっちゃうのは、すごく残念なの。でもそれじゃあおもしろくないから、身分は低いけどセンスのいい趣味人なんかで、人々に言いふらしてくれそうな人がいたらなーって思うのよ、かなり異常だけどね。


----------訳者の戯言---------

くちをし。「口惜し」です。元々は「朽ち+惜し」で、自分の目の前で「だんだん悪い状態になって行く=朽ち果てる」状況をわかっていながら、それを食い止める力が自分にはない、「朽ち果てるのを、止められない無力感」を表わす言葉だったそうですね。「残念だ」「くやしい」「がっかりだ」の意味となります。

「五節」はこれまでにも何度か出てきましたが、新嘗祭、もしくは大嘗祭の時に行われる「五節の舞」「五節の舞姫」のことでした。新嘗祭大嘗祭)は旧暦の11月、二回目の卯の日(旧暦11月13日~11月24日のいずれか)だったそうですから、時期で言えば今の12月頃ですね。宮中祭祀のひとつ。今で言うと収穫祭とでも言うべきものです。

御仏名については、「御仏名のまたの日」にも書きました。旧暦の12月19日から三日間行われるらしいですから、こちらは1月くらいですか。

節会。節日、他重要な公事のある日に、天皇が臣に酒食を賜る儀式です。元日、白馬(あおうま)、踏歌、端午、豊明(とよのあかり)の五節会のほか立后立太子、任大臣、相撲(すまい)などがあったそうです。

トンガリ過ぎてるおしゃれ、カッコよすぎるコーディネート、斬新なファッション、なんていうのは、それなりのセンスを持ってる人じゃないと評価すらできないわけで。せっかくのオシャレなんですから、わかる人に見てもらいたいんだよねーってことですね。清少納言、結構、おしゃれにはうるさいというか、かなりのファッション通でファッションチェックはピーコさんばりですし、おそらく、自分のコーディネートなんかも凝りまくってるんでしょう。

なので、誰でもいいからオシャレさがわかる人に見てもらって、言いふらしてほしい、って。自分でもイカレてるってのわかってますけどね、と。

今ならインスタのリポストとか、ツイッターのリツイみたいな感じでしょうか。ま、清少納言は現代で言うところの有名ブロガーでありましょうし、ウェブマーケティングにおける所謂インフルエンサーになりうる人でしょう(今なら)。

そこそこ有名な人なんだから、もうちょっと、どっしり構えててもいいのにね、と思うのは私だけでしょうか。


【原文】

 口惜しきもの 五節、御仏名に雪降らで、雨のかきくらし降りたる。節会(せちゑ)などに、さるべき御物忌(いみ)のあたりたる。いとなみ、いつしかと待つことの、さはりあり、にはかにとまりぬる。あそびをもし、見すべきことありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いと口惜し。

 男も女も法師(ほふし)も、宮仕(づかへ)所などより、同じやうなる人もろともに寺へ<も>詣で、ものへも行くに、このましうこぼれ出で、用意(ようい)、よく言はば、けしからず、あまり見苦(みぐる)しとも見つくべくぞあるに、さるべき人の、馬(むま)にても車にても行きあひ、見ずなりぬる、いと口惜し。わびては、好き好きしき下衆(げす)などの、人などに語りつべからむをがなと思ふも、いとけしからず。

 

むかし・あけぼの 上 小説枕草子 (文春文庫)