橋は
橋っていうと…あさむつの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山すげの橋。小津の浮橋。板を一枚架けただけの棚橋、器が小っちゃいんだけど、名前を聞くとおもしろいわね。
----------訳者の戯言---------
橋の名前の羅列です。それぞれ何がいいのかよくわかりません。
全部は調べてないんですが、だいたいは歌枕とかなのでしょう。あと、例によって名前がおもしろいとかでしょうか??
鵲(かささぎ)の橋は、七夕に牽牛星と織女星が出会うときには、カササギが翼を並べて天の川に橋を架けて渡すという伝説の橋です。この橋だけは想像上のもの、バーチャルですね、実体は鳥ですから。あ、実体は鳥じゃなくて無ですね。川は星の集合体ですか。
鵲(かささぎ)の橋と言えば、まず思い浮かぶのが、大伴家持のこの歌ですね。百人一首に入ってるやつです。
鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
(かささぎが渡したっていう橋に降りた真っ白な霜を見ると、夜もすっかり更けたなぁ、と思うよ)
これ、七夕の時に架かる鵲の橋なんだから、夏じゃないの?と思うんですが、霜が降りてるんですね。おかしいなーと思って調べてみると、宮中にある御殿と御殿との間の橋とか階段なんかを、いつからか天上に例えて「かささぎの橋」とか呼ぶようになったらしいんです。だから、大伴家持がこの歌を詠んだのは冬、宮中に宿直していた夜更けだったのだろうと言われてるらしいですね。
さて。あまりにシンプルすぎて書くことが無いので、せっかくなので、かささぎの橋にちなんで、七夕について日ごろ思っていることを書きます。
七夕の伝説もいくつかあるようですが、メジャーなのはこうですね。
働き者で腕もいい織姫に、せめて幸せになってほしいと、神様がマジメな牛飼いの青年を引き合わせた、と、ところが、この二人、付き合いだしたら毎日イチャイチャしたり遊び呆けたりで全然仕事しなくなったんだ、と。これではイカンなと神様、天の川のこっちと向こう側に二人を引き離して、年1回、7月7日の夜だけ会ってもいいよということになりましたとさ。
七月七日、年1度の逢瀬ですから、ロマンチックな話ですし、そんな二人に思いをはせるとか、あるいは願い事をする行事、それが七夕なんですね。
この「願い事」というのは、織女(織姫)が裁縫とか家事とかに秀でた人だったので、それにあやかろうというのが元々らしいです。で、毎年メディアでも、この伝説の二人のロマンチックな夜…をネタにさまざまな企画などが実施喧伝されています。
しかし、お気づきのとおり、これハッキリ言うと、バカップルの話でしょ。非常にイタいカップルなんよね。なので、自業自得っちゃ自業自得。だいたい、まだ若いのに仕事全然やめちゃって遊びまくる点においてダサい。という風に私、毎年心の中で思っているのです。
短冊に願い事を書いている園児のみなさん、仙台の方々をはじめとする七夕まつりファンのみなさん、ごめんなさい。書いてしまいました。が、そう思ってる人、結構いますよね? なことないですか、そうですか、私ぐらいですか、すみません。
さて、全然話は変わりますが、最後の部分、「棚橋」という名前が、度量が狭いみたいな感じで書かれていますが、それも何だか意味がよくわかりません。その名前の付け方って、面白いですかねぇ。平安時代的なセンスだと面白いんでしょうか。
むしろ棚橋と言えば、何といっても新日の棚橋弘至でしょう。平安時代に新日はないですけどね。
(追記)
七夕の元になったらしい逸話の初出は中国、3世紀頃らしいですから、だいたい1800年ぐらい前でしょうか。
ということで、そろそろ神様(天上の王様?)も、この二人、許してあげていいかなーとも思います。今さら無理だけど。1800年ですからね1800年。ま、半分ぐらい雨だったとしても900回ぐらいは会ってるし、本人たちももう倦怠期をとうに過ぎてるかもしれませんけどね。年1回ぐらいのほうが逆に新鮮でちょうどいい感じかもしれません。
若気の至り、と、我々ももう忘れてあげてもいいくらいなんですが、毎年、私のように「イタい夫婦」「バカップル」とかdisる輩もいるワケで、これも毎年七夕のイベントがあるからこそこうなるわけです。
ちょっとかわいそうな気もしてきましたね。
【原文】
橋は あさむつの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山すげの橋。をつの浮橋。一筋渡したる棚橋、心せばけれど、名を聞くにをかしきなり。