あかつきに帰らむ人は
夜更けの頃に帰ってく人は、服装なんかはそんなにきちっとキレイにしたり、烏帽子の紐をしっかり結んだりしなくってもOKだと思うのよね。とってもだらしなくって、見苦しい姿で、直衣、狩衣なんかが歪んでたって、誰がそれを見て、笑いものにしたり、けなしたりするかしら? しないわよ。
男の人はやっぱりそういう明け方の振る舞いこそ、いかしててほしいわね。なかなか起きられないで仕方なく渋々な様子の男子が、彼女に急き立てられて、「夜が明けちゃうわ、もう、みっともないよ」なんて言われて、嘆いてる風の様子を見たら、ホントに満たされなくって、憂鬱な気分になってるんだろうなってわかるもの。座ったままで、指貫なんか穿こうともしないで、まず女に近寄って昨晩言った言葉の続きを彼女の耳にささやいてね、何かするわけでもない感じなんだけど、帯なんかは結ぶようなのね。
格子を押し上げて、妻戸のあるところなら、そのまま彼女をいっしょに連れてって、昼間に逢えなくて気がかりで仕方ない、ってことなんかも言葉にして、滑り出ていくような姿、見送らずにはいられなくって。その余韻、なんてステキなんでしょう!
(そんなのとは逆に)思い出したように、めちゃシャキッと起きて、あちこち散らかしては、指貫の腰紐をゴソゴソと結んで、直衣や上着、狩衣も袖をまくり上げて、スルッと腕を差し入れて、帯をすごくきっちり結び上げ、ひざまずいて、烏帽子の紐をキュッと強く結んで、きっちりかぶり直す音がして。扇や畳紙なんかを昨晩枕元に置いてて、自然とあちこち散らかっちゃったのを探すんだけど、暗いんだからね、どうやったら見えるっていうの? 見えないよ。で、「どこ?どこ?」って、そのへん叩きまわって、見つけ出して。その扇でパタパタあおいで、懐紙をしまい込んで、「帰りますね」とだけ言うんでしょう。(やーね!)
----------訳者の戯言---------
暁(あかつき)っていうのは、暗いうちの夜明けを言うようですね。「あけぼの」よりは前でしょうか。現代語で言うと、未明というニュアンスです。どっちかっていうと深夜に近い感じです。
男女関係にオープンな時代ではあれど、明るくなって人目につくと、やっぱりみっともない感じがあったんでしょうかね。
なお、朝方を表す語については「木の花は」の段にいろいろ書いてあるので、ご覧ください。
「指貫(さしぬき)」というのは、以前から何回かも出てきていますが、裾を紐で引っ張って絞れるようになってる袴です。ドローコード付きのボトムス、とイメージしていいと思います。
「妻戸」っていうのは玄関の扉で、今で言う西洋風のドアの方式だったみたいです。引き戸ではないやつですね。引き戸は「遣戸」と言うようですね。
畳紙(たとうがみ/たとうし)というのは、結髪の道具や衣類などを包むための紙だそうです。
懐紙(ふところがみ/かいし)。「貴族は常に懐に紙を畳んで入れ、ハンカチのような用途の他に、菓子を取ったり、盃の縁をぬぐったり、即席の和歌を記すなどの用途にも使用し、当時の貴族の必需品であった」とウィキペディアに書いてありました。メモ帳でもあり、ポケットティッシュでもあり、という感じでしょうか。
今回は、彼氏が朝帰る時の様子です。イケてる男子とそうじゃない男子の比較ですね。女性誌とかの読者投稿でも出てきそうなネタです。当時の女子が読むと「あるある」かもしれないですね。
今回は当然、清少納言自身の体験を元にしているのでしょう。もしかすると多少の誇張や脚色もあるのかもしれませんが、描写が細かいし、臨場感はあります。「理想と現実」という可能性も考えられますね。
やっぱりね、女子たるもの、こういう甘い言葉とか言ってくれたり、ちょっとベタベタしてきたり、っていうのに弱いんですね。一見、ぐずぐずしてるのだって、自分と離れたくない気持ちの現れだって思えるワケで。帰る時にも名残惜しそうな雰囲気は必要です。少なくとも清少納言はそうなんでしょう。
これに対して、自分勝手なペースで、そっけないのとか、粗野な感じは嫌なのがよくわかります。その割にきちっと自分の身なりだけは整えてそそくさと帰るというのがダメなんですね。冒頭の出だしが、後半の男の行動としっかり被ってますものね。
いずれにしても、大人向けというか、教科書には絶対に載ってこない類の話です。本音が出ているので、私は面白かったですけど。
それにしても昔の服って結ぶとこ多い…。
【原文】
暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒もと、結ひかためずともありなむとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
人はなほ暁のありさまこそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな、見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げにあかず物憂くもあらむかしと見ゆ。指貫なども、ゐながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざするともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。
格子おしあげ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて名残もをかしかりなむ。思ひ出所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰ごそごそと結ひなほし、袍(うへのきぬ)も、狩衣、袖かひまくりて、よろとさし入れ、帯いとしたたかに結ひはてて、ついゐて、烏帽子の緒きと強げに結ひ入れて、かい添ふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上におきしかど、おのづから引かれ散りにけるをもとむるに、暗ければ、いかでかは見えむ、いづらいづらと、叩きわたし見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそいふらめ。
検:暁に帰らむ人は