枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

大納言殿参り給ひて② ~上もうちおどろかせ給ひて~

 帝もお目覚めになって、「どうしてこんなところに鶏が!」なんてお尋ねになると、大納言殿の「声、明王の眠りを驚かす」っていう詩を高らかにお詠いになるのが、素晴らしくいかしてるものだから、凡人の(私の)眠たかった目もすごく大きく見開いちゃったの。「すごく今ぴったりの詩だよ!」って帝も定子さまもおもしろがられるのね。やっぱりこういうことって、素晴らしいものよ。
 その翌日の夜は、定子さまは夜の御殿に参上なさったの。夜中になって、私、廊下に出て人を呼んだら、「部屋に帰るのか? では、送って行こうかな」っておっしゃるから、裳や唐衣は屏風に掛けて出て行くと、月がすごく明るくて大納言殿の直衣がとても白く見えるのに、指貫を長く踏みつけて、私の袖を引っぱって「転ぶな」って言って連れてかれる途中、「遊子なほ残りの月に行く」と吟誦なさってるの、またすごく素晴らしいわ。
 「これくらいのことでお褒めになる」ってお笑いになるんだけど、いやいやどうして、やっぱいかしてるワケだから!そうせずにはいられないの!


----------訳者の戯言---------

伊周が詠ったのは「声、明王の眠りを驚かす」という一節のある漢詩です。都良香(みやこのよしか)の作で和漢朗詠集にあるようですね。

鶏人頑唱 声驚明王
鳧鐘夜臨 響徹暗天聴

書き下すとこう↓なります。

鶏人(けいじん)暁に唱ふ 声明王(めいおう)の眠りを驚かす
鳧鐘(ふしょう)夜鳴る 響暗天(あんてん)の聴きに徹る

意味は、
夜明け方に、鶏冠(とさか)をかぶった官人が暁の時刻を奏し、その声が聡明な王の眠りを覚ますのだ。
時刻を知らせる鐘が夜には鳴り、その響きが暗い夜空を伝い人々の耳に達して聴こえる。
という感じになります。


そしてもう一つ。「遊子なほ残りの月に行く」です。

佳人尽飾於晨粧 魏宮鐘動
遊子猶行於残月 函谷鶏鳴

佳人(かじん)尽(ことごと)く晨粧(しんしょう)を飾りて
魏宮(ぎきゅう)に鐘動(うご)く
遊子(ゆうし)なほ残りの月に行きて
函谷(かんこく)に鶏鳴く

意味としては、
離宮に暁の鐘がなると、美しい人はみんな朝の化粧をする。
函谷関に夜明けを告げる鶏は鳴くが、旅人は残る月の下やはり歩き続ける。
となります。

有名な漢詩のようで、以前「大路近なる所にて聞けば」の段でも出てきました。


シチュエーションに合わせた漢詩をいきなり詠うというのが、伊周の得意技だったようですね。しかし、やたら歌い出すのもなんだかなーとは思います。ミュージカルやないねんから。
とはいえ、相当の知識、造詣があるからできることなのでしょうし、だからこそ帝に教授できるほどなのでしょうしね。

定子さまのお兄さまったら素敵!と臆面なく褒める清少納言。しかし、花山上皇襲撃事件、長徳の変をやらかした人ですからね。そんなに頭が良いわけではありません。


長徳の変というのは、藤原伊周と弟の隆家がやらかしたところから始まる政変です。まじで。花山院闘乱事件(かざんいんとうらんじけん)とも言われます。
藤原伊周と隆家。ヤンチャです。武闘派というか、自分の彼女を花山法皇一条天皇の先代)に寝取られたと誤解して襲撃したらしい。もちろん本人たちは否定したらしいし、花山院も出家していた身で彼女がいたことを世間に露見させるわけにいかないから言い出せなかった。しかし事実ですから、噂にもなります。で、これを政争の具にされたわけです。道長が利用したんですね。

そもそも、伊周も悪いんです。上皇に弓引いてはダメでしょう。自業自得。脇が甘いのです。

定子の父というのは摂政関白内大臣藤原道隆という人で、つまり天皇に次ぐ権力者ですね。この父が病気で亡くなった後、後を継ぐかと思われていたのが息子、つまり定子の兄の藤原伊周だったんです。が、父・道隆の弟、つまり伊周の叔父・藤原道長と主導権争いをすることになってしまい、そこでまんまと自らハマったのが「長徳の変」ということになるでしょうか。

清少納言、大納言殿(伊周)のいかした「返し」を絶賛の段です。
ラヴィットにおける川島のツッコミみたいなものでしょう。


【原文】

 上も、うちおどろかせ給ひて、「いかでありつる鶏(とり)ぞ」など尋ねさせ給ふに、大納言殿の「声、明王の眠りを驚かす」といふことを高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目もいと大きになりぬ。「いみじき折のことかな」と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほ、かかる事こそめでたけれ。

 またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、「下るるか。いで、送らむ」とのたまへば、裳・唐衣は屏風にうちかけて行くに、月のいみじう明かく、御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖をひかへて、「倒るな」といひて、おはするままに、「遊子なほ残りの月に行く」と誦し給へる、またいみじうめでたし。

 「かやうの事、めで給ふ」とては、笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。