枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

鳥は

 鳥は――――異国のものだけど、オウムにはすごく感動。人が言う言葉を真似するらしいの。ほととぎす、水鶏(くひな/クイナ)、鴫(しぎ)、都鳥、鶸(ひわ)、ひたきもいいよね。

 ヤマドリは友だちを恋しがって、鏡を見せれば慰められるって、ピュアでとってもかわいい。なのに、お互い谷を隔てている様子はかわいそうだわ。

 鶴はすごく大げさなルックスなんだけど、鳴き声が雲の上まで聞こえるのは、ほんとにすばらしい。頭の赤い雀、イカル(鵤)の雄鳥、キツツキ(啄木鳥)もね。

 鷺(サギ)はとっても見た目が悪いの。目つきなんかも不愉快で全然可愛げがないんだけど、「ゆるぎの森にひとりは寝じ(ゆるぎの森で一人では寝ないぞ)」と、妻争いをするっていうのがぐっとくるよね。
 水鳥の中では、オシドリ(鴛鴦)がとってもしみじみ感動的なの。雄鳥と雌鶏がかわりばんこで、羽の上の霜を払うなんてステキでしょ。千鳥もすごくいい感じだよね。

 鶯(ウグイス)は、詩なんかでも素晴らしいって扱いをされてるし、鳴き声をはじめとして、見た目もあんなに上品できれいなのに、宮中に来ても鳴かないっていうのは全然ダメね。ある人が「やっぱ鳴かないんだよ」って言ったけど、私は「いやいやそんなことないでしょ」と思ってたの。でも、10年くらいずっと聞こうとしてたのに、ほんとに何の鳴き声もしないのよ。でも竹の近くには紅梅があって、しょっちゅう通ってきてもいい場所のはずなんだけどね。
 で、宮中から退出して聞いてたら、みすぼらしい家の何てことない梅の木なんかで、うるさいくらいに鳴いてるの。夜に鳴かないのも、ぐっすり寝込んでるからだと思うけど、元々そういう性質なんだから今さらどうしようもないわよね。
 夏から秋の終わり頃まで年寄りっぽい声で鳴いて、「虫食い」なんて、大したことのない者がアダ名を付けて呼んでるのは残念だし、ちょっと期待外れ気味って感じはするの。ただ雀みたいにいつもその辺にいる鳥なら、そうも思わないんだろうけどね。でも、こんな扱いを受けるのって、春に鳴く鳥だからこそなんでしょう。「年たちかへる」なんて、素敵な感じに和歌にも詩にもなってるのよ。やっぱり春の間だけ鳴くのなら、どんなにか素敵かしらね。人間でも、人並み以下の、もはや世間からの評価が下がりはじめた人をあえてdisったりする? しないよね。だって鳶や烏(からす)なんかだと、姿に見入ったり、声に聞き入ったりする人なんて、世間にはいないわけでしょ。つまるところ、鴬っていうのは素晴しい存在であるべき、って思ってるから、納得できない気がしちゃうのよね。
 賀茂祭葵祭)の斎王のお帰りの行列を見ようと、雲林院や知足院の前に車を停めてたら、郭公(ホトトギス)も、もはや隠れてられないかのように鳴くんだけど、それを鴬がすごく上手く真似て、小高い木の茂みの中で声を揃えて鳴くのは、さすがに素晴らしいわよね。 

 ホトトギスの良さは、今さら言うまでもないわ。いつの間にか得意顔で鳴いているようにも聞こえるんだけど、卯の花や花橘なんかに止まって、その姿が見え隠れしてるのも、憎らしいくらいすてきな風情なの。
 梅雨時の短い夜に目を覚まして、何とかして人より先に鳴き声を聞こうと待ってたら、深夜に鳴いた声が上品でかわいくて、すごく心が惹かれて、どうしようもなくって。でも六月になると全然鳴かなくなるの、こんなこと全部、言葉にするのも愚かなくらいいかしてるよね。

 夜なくものは、どれもこれもすばらしいの。赤ちゃんのだけはそうでもないけどね。


----------訳者の戯言---------

原文の「斑鳩(いかるが)」というのは地名だと思っていましたが、元々は鳥の名前なんですか? と、言われてみれば、そうなのかなーと思い、検索してみました。
と、どうやら、「イカル(鵤)」という鳥がいるらしい。それのことなんですね。「斑鳩」の字は誤用だそうです。

原文で「たくみ鳥」とあるのは、「キツツキ」と解釈しましたが、「ミソサザイ」との説もあります。いずれも巣を作るのが巧みなところからこう呼ばれたのではないかとのことです。

ゆるぎの森=万木の森です。
現在の滋賀県高島市安曇川あどがわ町にあった森とのこと。「鷺」とともに和歌に詠まれることが多かったそうです。ここでは古今集の次の歌がクローズアップされています。

高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを
(高島のゆるぎの森に棲む鷺ですら、夜は一人で寝まいと妻を巡ってオス同士で争うものなのだから)

原文の「かたみに居かはりて」ですが、直訳すると、「互いに位置を代わり合って」という感じだと思います。簡単に言うと「かわりばんこに」です。そういえば「かわりばんこ」という言葉、結構珍しい言葉で、方言のようにも思えますが、全国で使っているらしいんですね。しかし、標準語でもなさそうです。児童語? 否、大人も使います。またまた余計な脱線なんですが、この語の詳細についてご存じの方は是非お教えください。

「年たちかへる」というのも、このような↓和歌から来ています。

あらたまの年立帰る朝より またるる物はうくひすのこゑ
(年が改まり新年となった朝から、待ち遠しいものは鴬の声なんだよなぁ)

「あらたまの」は「年」の枕詞(まくらことば)です。新年、元旦の朝から聞きたいのはやっぱ鴬の鳴き声なんだよ、ってことですね。旧暦の元日と言うと1月後半ごろから1カ月ほどの間を動きますから、時候は春、鴬の季節であるには違いありません。

祭。昔は京都で祭と言ったら、葵祭賀茂祭)のことだったらしい。葵祭というのは賀茂神社のお祭りで、やっぱり貴族のものなんですね。
祇園祭もあるけど、祇園祭のほうがだいぶ後のもので、どっちかっていうと町人のお祭りらしい。

「祭のかへさ」とありますね。「かへさ」というのは帰り道ということなんですが、葵祭の行列に往路復路ありましたっけ? ないですよね。一方通行です。箱根駅伝じゃないんだから。この「かへさ」というのは、実は祭の翌日、斎王(いつきのみこ)が上賀茂神社から紫野(今の京都市上京区)の斎院に帰ること、またはその行列のことを言ったんですね。

五月雨は、今さら言うまでもないのですが、現在の「梅雨」。旧暦五月(皐月)の長雨です。

この段は「鳥づくし」です。イケてる鳥はコレだ!特集ですね。
とは言うものの、鴬の部分だけが異常に長い。詳しい。清少納言、「期待外れ」なのがどうも気になるようですね。
細かいようですが、またまたホトトギスが2回出ています。ちゃんと推敲するように。


【原文】

 鳥は こと所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人のいふらむことをまねぶらむよ。ほととぎす。水鶏(くひな)。鴫(しぎ)。都鳥。鶸(ひわ)。ひたき。

 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。谷へだてたるほどなど、心苦し。

 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居にまで聞こゆる、いとめでたし。頭あかき雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(をどり)。たくみ鳥。

 鷺は、いとみめ見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森に一人は寝じ」と争ふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみに居かはりて、羽の上の霜はらふらむほどなど。千鳥、いとをかし。

 鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめて様形も、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいとわろき。人の「さなむある」といひしを、「さしもあらじ」と思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようあらぬ者は名を付けかへていふぞ、口惜しくくすしき心地する。それもただ雀のやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。鳶・烏などのうへは見入れ、聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたればと思ふに、心ゆかぬ心地するなり。

 祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。

 郭公は、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。

 五月雨の短き夜に寝覚をして、いかで人より先に聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。

 夜なくもの、何も何もめでたし。児(ちご)どものみぞさしもなき。

枕草子の美意識

枕草子の美意識

 

 

花の木ならぬは② ~あすはひの木~

 あすはひの木(あすなろ)は、このあたりの近くでは見聞きしないわね。吉野の御嶽神社に参詣して帰ってきた人なんかが持ってくるこの木の枝ぶりは、すごく手触りも悪くってごつごつしてるんだけど、どんな気持ちで「あすはひの木」って名付けたんだろう。アテにならない未来の約束だよね。誰に期待させてるんだろ?って思って、それを聞きたくて。なんだか興味が湧いちゃうの。

 ねずもちの木は、普通レベルの木じゃないかもだけど、葉っぱがとてもとっても小さくてかわいいのです。

 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木は、常盤木はたくさんあるはずなのに、この木だけ葉が落ちない例として言われるの、いかしてるわね。

 白樫(しらかし)っていうのは、奥深い山に生えている木の中でも、全然馴染みがなくって、三位や二位の公卿の上着を染める時とかに、葉っぱだけ人の目にふれる程度だから、ステキとか、すばらしいとか、取り上げるほどでもないんだけど、いつってこともなく、常に雪が降ったのと見間違えられて。スサノオノミコトが出雲の国にいらっしゃることを偲んで柿本人麻呂が詠んだ歌なんかを思うと、とってもしみじみ風情があるの。その時その時で、情緒深いとか、ステキだとか、一旦心に残ったものは、草も木も、鳥や虫だって、いい加減には扱えないよね。

 ゆづり葉が、とってもふっくらして艶めいて、茎がとても赤くて、きらきらして見えるのは、神秘的だけど、いい感じ。普段の月には目にしないけど、師走の末頃だけ見直されて、亡くなった人のお供え物に敷くものにするっていうと、しんみりしちゃう。また、長寿を願う「歯固め」の道具としても使われるものだし。それにいつの時代だったか、「紅葉せむ世や」と詠まれたことからしても、さすがだなって思うのよね。

 柏木はすごく素敵。葉守の神がこの木に宿っていらっしゃるって、畏れ多いわね。兵衛の督(かみ)、佐(すけ)、尉(じょう)なんかのことを、柏木って言うのもいい感じ。

 カッコよくはないけど、棕櫚(シュロ)の木は、唐風の雰囲気があって、身分の低い人の家の木には見えないわね。


----------訳者の戯言---------

原文にある「あすはひの木」は漢字で書くと「明日は檜の木」なんですね。あの、「明日はヒノキになろう」と、「あすなろ」の名前がついたことで有名な木です。昔「あすなろ白書」というドラマもありました。木村拓哉の若い頃のやつですね。未成熟な若者たちの成長のドラマ、だと思います。石田ゆり子の妹・石田ひかりが主役。原作は柴門ふみ。めちゃくちゃ話が逸れました。

「御獄」は御嶽山のことかと思ったら、違うんですね。はじめて知ったんですが、沖縄に「御嶽」という場所があり、こちらは「うたき」と読むらしいです。その中でも最も大きいのは斎場御獄(せーふぁーうたき)と言い、世界遺産にも登録されているそうです。「御嶽」は沖縄では先祖を祀る霊場、聖地だということです。
ですが、それとは関係なく(関係ないんかい!)、この「御嶽」です。「詣でて」とありまして、当時の時代背景から考えると、「御嶽」とは、吉野にある「金峯山寺」とするのが妥当なようです。なぜか。
実は「御嶽」とは、修験道の神・蔵王権現を祭った「御嶽神社」のこと。金峰神社金峯神社(きんぶ/きんぷ/きんぽう/みたけ)ともいいます。総本社は吉野金峰山寺蔵王権現堂。即ちこのため、「金峯山寺」の別名「御嶽神社」と言ったわけなんですね。
もちろん、当時も神仏習合で、仏教と神道の融合とともに、山岳信仰が仏教に組み入れられた修験道もポピュラーでしたから、普通にみんな参詣に行ったのでしょう。

ねずもち=ねずみもち(鼠黐)という木があるそうです。果実が鼠の糞に,葉がモチノキに似ているからこの名前になったとか。
ただ、葉身の長さは4~8cmとのことで、そんな小さくもないんです。で、よくよく調べてみると、「イヌツゲの別称」ともありました。イヌツゲのほうは葉身の長さは1~3cmとなっていますから、ここで書かれているねずもち=イヌツゲのことなのでしょう。

楝の木(現代の本名は栴檀)はこれまでにも何度か出てきました。「木の花は」の段では「木のさま、憎げなれど、楝の花、いとをかし(木の様子は見苦しいけど、楝の花はすごくいい感じ)」って書いてましたよね、ね。
この段のテーマとずれてないか? どっちやねんと思います。もしかして前に書いたこと忘れてませんか。

山橘は、①山に自生している。野生の橘。②ヤブコウジの別名。③ボタンの別名。とありました。この段で出てきてるのがどれのことかは、ハッキリとはわかりませんが、ボタンは木と呼ぶには小さいですし、花も派手やかなので違うと思います。

山梨(ヤマナシ)というのは、果実を食用として栽培される和ナシの野生種だそうです。詳細はリンク先参照。

の木。ウィキペディアでもシイ=ブナ科クリ亜科シイ属の樹木の総称として紹介されています。
常盤木というのは、常緑広葉樹のことだそうです。

白樫(白橿)です。シラカシと読みます。雪と見間違うと書かれていますから、花か葉か木自体、白っぽいものでしょうか。
…いやいや緑ですね。緑にしか見えないですよーどう見ても。雪化粧に見えるものではないです。
シラカシというのは材が白かったからついた名前だということです。その姿かたちを言っているのではないようですね。

では、柿本人麻呂が詠んだ歌とは?

あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば

意味は「どこが山道がわからない。白橿(白樫/しらかし)の枝もたわわに揺れるほど雪が降っているので」ということです。ただ、スサノオノミコトが云々と言うのはまったく出てきません。と思ってもう少し調べてみると、これ、どうも清少納言の思い込みらしいのです。
いずれにしても、どうもしっくりきません。と思って、調べてみると、一般的ではありませんが、裏白樫ウラジロガシ)という木もありました。でも、ここに書かれている白樫とはたぶん違うと思われます。

そして私の解釈。
清少納言、樹木のことをそれほど知っていたのか?という疑問もあります。日本文学、漢文学の古典には詳しいんですけどね。

もしかして、
白樫→白い→雪→白樫がでてくる雪の山道の歌 by 人麻呂(with スサノオノミコト)→いみじくあはれなり
とか、思ったのじゃないでしょうか。本人に自覚があるかどうかは別として、強引っちゃあ強引。論理的説得力はなく、結構単純と言うか、安易な連想に見えます。
この説、私、まあまあ自信あるんですけども、これもまた論理的ではないですね。あくまでも想像ですから。

ゆづり葉=ユズリハは、新しい葉が成長してから古い葉が落ちるので「譲り葉」っていう名前なんですね。なんだか色々な用途があるようです。

「歯固め」というのは、長寿を願って天皇にいろいろな食べ物を差し上げる儀式。この時、食べ物を載せる膳にはユズリハの葉を敷いたらしいです。

「紅葉せむ世や」というのは、「旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」という古歌だそうです。結構有名らしい。意味は「旅人に宿を貸す春日野のユズリハの葉がもし紅葉する世が来たらあなたを忘れよう。でもユズリハが紅葉することなんてない、けっしてあなたを忘れることなんてないんだよ。」という感じです。

の木=柏(カシワ)です。みんな大好きな柏餅でおなじみです。美味しいよね。
「葉守の神」というのは、樹木の葉を守る神=樹木を守護する神だそうです。柏木に宿ると言われているそう。初めて知りました。柏餅ウメーとか言ってるだけじゃダメですね。神のおはす木ですから。ちなみに「楢の葉守」といって、ナラの木に宿る葉守もいらっしゃるらしいです。

皇宮守衛の任に当たる兵衛や衛門の官の異名として「柏木」と呼ばれることがあったそうです。兵衛については、「小白河といふ所は」にも出てきました。主人公?の藤原実方兵衛府の佐(すけ)でしたね。「守り」の官職、すなわち守護神=葉守の神「柏木」というわけです。

棕櫚(シュロ)は、ヤシ科の木ですから、所謂綺麗な木ではなく、不格好には思えたんでしょうね。でもエキゾチックというか、今で言うハイカラな感じだったんでしょう。

いろいろな樹木のことがわかったので、まあ良かったです。こういう段は調べなければならないことだらけで、ちょっと疲れますね。文章量も多くなり、読むのも面倒になりますよね。先生から「もっと簡潔に書け」と言われたのを思い出します。

参照サイト
「庭木図鑑 植木ペディア」https://www.uekipedia.jp/
「樹木検索図鑑」http://www.chiba-museum.jp/jyumoku2014/kensaku/namae.html

 

【原文】

 あすはひの木、この世に近くも見え聞こえず。御獄に詣でて帰りたる人などの持て来める、枝ざしなどは、いと手触れ憎げにあらくましけれど、何の心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。

 ねずもちの木、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきがをかしきなり。

 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。

 白樫といふものは、まいて深山木のなかにもいとけ遠くて、三位二位の袍染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらべど、いづくともなく雪の降りおきたるに見まがへられ、素盞鳴尊(すさのをのみこと)出雲の国におはしける御ことを思ひて、人麿がよみたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふしあはれとも、をかしとも聞きおきつるものは、草・木・鳥・虫もおろかにこそおぼえね。

 ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしきけれど、をかし。なべての月には見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人の食物に敷く物にやとあはれなるに、また齢を延ぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。

 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふもをかし。

 姿なけれど、棕櫚(すろ)の木、唐めきて、わるき家の物とは見えず。

 

 

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花の木ならぬは①

 花の木、じゃないのは、まず楓。桂。五葉。

 そばの木(カナメモチ)は、一見品が無い気がするけど、花の木が散ってしまってどれもみんな緑になっちゃう中で、季節に関係なく、濃い紅葉がつやつやとして、思いがけず青葉の中から出てきてるのが新鮮なのね。

 檀(まゆみ)は、もはやこれ以上言うことはない木ですよ。
 木そのものではないけど「やどり木」っていう名前にはすごくしみじみしちゃう。
 榊は臨時の祭の御神楽の時なんかにすごくいい感じに思えるわ。世の中に木はたくさんあるけど、神の御前のものとして生えはじめたのも、格別すばらしいことだよね。

 楠の木は、木立が多いところでも他の木に混ざって植えられることってなくて。大げさにたくさん生い茂ってる様子を想像したりなんかするとヤな感じなんだけど、千本の枝に分かれてるのが、それって恋する人の千々に乱れた気持ちの例えなんだって言われてるのは、誰かがその数を数えて知って言い始めたのかなと思ったら、素敵に感じるわね。

 檜の木もまた身近ではないものなんだけど、建築材として優れてて、ほら、催馬楽で「三葉四葉の殿づくり(三棟、四棟のお屋敷造り)」って歌われてるの、おもしろいでしょ。「五月に雨の声をまなぶだろう」っていうのにもしみじみ感じ入ってしまうわね。

 楓の木は小っちゃくて、萌え出てきた葉の先端のほうが赤くなってて、同じ方向に広がってる葉の様子や花も、すごく頼りなさげで、虫なんかが干からびてるのに似てて、面白いの。


----------訳者の戯言---------

花の木じゃない、つまり花を愛でるのが目的にはならない木ということでしょうか。桜とか梅とか藤とかみたいに、綺麗な花、華やかさはないけど、いい感じの木はコレだ!の特集です。

 五葉(いつは/ごよう)=五葉松 そばの木=カナメモチ 
それぞれリンクを付けましたので興味のある方はご覧ください。

(まゆみ)というのは、「心ゆくもの」の段で出てきた陸奥紙=檀紙の原料となった木です。

やどり木(宿木・寄生木)という木?もあります。

は神棚とかにもお供えする木です。樒(しきみ)と間違えがちですが、あれは仏教のやつなので違います。榊は神事用です。
「臨時の祭」は「山は」にも出てきました。例祭ではない祭、です。

はこんな木です。

です。
いきなり出てきた「三葉四葉の殿づくり」。何これ?って感じです。
ヒノキと関係あるんすかぁ?

で、調べました。

この一節が出てくるのは、催馬楽の「此殿(この殿)」という歌。催馬楽(さいばら)っていうのは、平安時代に流行った古代歌謡なんだそうです。元々は庶民の歌っていたものに、雅楽の伴奏を付けたのを貴族、皇族の間で愛好するようになったようですね。

この殿

この殿は むべも むべも富みけり 
さき草の
あわれ さき草の はれ さき草の 
三つば四つばの中に 
殿づくりせりや 殿づくりせりや

おおまかな意味は、「この家はなるほど富み栄えたものだね だんだん子孫が増えて 三棟、四棟と 家を増やしていくよ~家を増やしていくよ~」という感じですか。

では、さき草とは何ぞ? さき草=三枝=ミツマタという説や福寿草沈丁花とする説もあります。茎が三つに分かれる草木で、吉兆の草木とされています。幸(さき)草ということのようですね。
その他、さき草=山百合の説もあるようです。

しかしそれでも、この歌が何でヒノキと関係あるんじゃい、と思います。

と、あれこれ考えていたら、ふと気づきました。そもそも、この歌を解釈して関係づけようとしたのが間違いでしたね、私。彼女、シンプルに「ヒノキは建築材料として優れてるよ、よく使われてるよね、ほら、催馬楽でも『3棟、4棟お屋敷造る』ってね」くらいのノリで、この一節を借りたのではないかと。うん、そのほうが腑に落ちますね。

続いてまた意味がよくわからない「五月に雨の声をまなぶ」です。これも調べてみました。

中国(唐)の詩人・方干という人の漢詩に「長潭五月含冰気 孤檜中宵学雨声」というのがある、とわかりました。

書き下すと、「長潭五月冰気ヲ含ム、孤檜終宵雨声ヲ学ブ」となり、ざっくりした意味としては「長い淵は五月にも冷気を含む、孤立した檜は一晩中雨の音を真似る」となるでしょうか。潭=淵というのは「水を深くたたえた所」です。「瀬」の対義語と言った方がわかりやすいでしょうか。

5月になっても寒々しい夜、長い淵のほとりで檜の大樹が一晩中雨のような音をさせている様子がイメージされます。これが「あはれ」だっていうんですね。と、ここまで知らないと、この文の言わんとする感じがわかりません。

ま、例によってちょいちょい入れてくる清少納言の知識自慢なんですが、元ネタ調べるのが大変なんで、本当いい加減にしてほしい。もうちょっと素直に書いてもいいでしょ、と思います。もう、この檜の部分で2日かかってますから。笑

です。楓、2回目ですからね。何これ?って感じですよ。1回最初に出てきてますからね。どうしたんでしょうね。
やっぱりもうちょっと書いておきたかったんでしょうかね。

しかも。
「虫なんかが干からびてるのに似てて面白い」って、どういうセンスなんだよ。ほめてるのかそれ?

参照サイト
「庭木図鑑 植木ペディア」https://www.uekipedia.jp/
「樹木検索図鑑」http://www.chiba-museum.jp/jyumoku2014/kensaku/namae.html

では、そんな感じで文句を言いつつ②に続きます。

 

【原文】

 花の木ならぬは楓。桂。五葉。そばの木、しななき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。 

 檀(まゆみ)、更にも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊、臨時の祭の御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。 

 楠の木は、木立多かる所にも、殊にまじらひ立てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝に分かれて、恋する人の例に言はれたるこそ、誰かは数を知りて言ひ始めけむと思ふに、をかしけれ。 

 檜の木、またけ近からぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。 

 楓の木のささやかなるに、萌え出でたる葉末の赤みて、同じ方に広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。

 

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

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節は五月にしく月はなし

 節句は、五月に勝てる月はありません。菖蒲や蓬なんかの香りがするのが、すごく情緒があっていいんですよね。宮中の御殿の上をはじめとして、名も知らない民衆の住み家まで、どうやって(菖蒲を)いっぱい葺こうか!って、葺き渡してあるのは、何といってもやっぱり、とっても素晴らしいの。いつ、他の季節にこんなにまでしたでしょう。他の節句ではありえないよね。

 空の様子は一面に曇ってるんだけど、中宮のいらっしゃる御殿なんかには、縫殿寮から「御薬玉」っていって色々な糸を組んで垂らしたのが献上されて、御帳台を立ててる母屋の柱の左右に付けるの。去年九月九日の、菊を珍妙な生絹の絹に包んで献上されたのを、同じ柱に結び付けて何カ月か経ったワケだけど、それをこの薬玉に取り替えて、菊は棄てちゃうのね。でもこの薬玉は菊の季節までそのままあるかしら。だって、みんなその玉から糸を引き出して、物を結んだりなんかするから、すぐなくなっちゃうからね。

 お料理が中宮様に献上され、若い女房たちが菖蒲の櫛を差し、物忌みの札を付けたりして、様々な唐衣や汗衫とかに、素敵な枝や、菖蒲の長い根にむら濃の組み紐を結び付けたのなんかは、珍しい、なんて言うほどでもないんだけど、すごくいい感じではあるわね。たとえば毎年春に咲くからといって、桜を「まあまあ」だなんて思う人なんている? いないでしょう!

 外を歩き回ってる子どもたちが、分相応にカッコよく決まった!と思って、そのまま満足げに自分の袂(たもと)に見とれて、他の子と見比べたりして、言いようがないくらいステキ!って思ってるのを、ふざけた「小舎人童」なんかに引っ張られて泣くのも、それはそれでなんだかいい感じ。

 紫の紙に楝の花、青い紙に菖蒲の葉を、それぞれ細く巻いて結んだの、また、白い紙を菖蒲の根で結んだのも素敵。すごく長い根を手紙の中に入れたりしたのを見ると、とても華やかな気分にもなりますね。

 返事を書こうって言い合って、仲間同士で手紙を見せ合うのも、すごくいい感じです。誰かのお嬢さま、高貴な方々のところにお手紙をお送りする人も、今日はいつもと違って優雅な感じ。夕暮れの頃、ホトトギスが鳴きながら飛んで行くのも、まったくもって、ハンパなく素晴らしいのですよ!


----------訳者の戯言---------

九重というのは宮中のことだそうです。昔、中国のお城は門を九重に作ったらしく、それで日本では九重(ここのえ)と言ったようですね。
縫殿=縫殿寮。縫殿寮とは中宮の衣服担当部署だそうです。

「薬玉」っていうのは、五月五日(端午の節句)に邪気をはらうために、御帳の柱やカーテンにかけた玉だそうで、麝香(じゃこう)などの香料を錦の袋に入れて、菖蒲とか蓬なんかで飾って、五色の糸を垂らした、らしいです。
九月九日に菊に取り換えられるとのこと。

「御帳」については、「すさまじきもの③ ~よろしうよみたると思ふ歌を~」にも書いていますので、ご参照ください。また、拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第百三十八段の解説文に図があります。

「御節供」は、節句に出される料理で、所謂「おせち料理」です。正月だけでなく各節句に出されたのですね。

唐衣。女房装束(十二単)の一番上に着用する、腰までの長さの短い上衣、とのこと。
汗衫(かざみ)は女児の上着だそうです。

むら濃=斑濃or村濃(いずれも読みはムラゴ)。所々に濃いところと薄いところのある染色のことです。

小舎人童(こどねりわらは)とは、「貴人の雑用係の少年。また、特に近衛の中将・少将が召し使った少年」(大辞林)とのことでした。

楝(あふち)というのは栴檀という木の古名。花は薄紫色だそうです。ちなみに「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」は白檀を指すらしく、楝とは違うそうです。先日「木の花は」と言う段にも出てきました。


五月五日が端午の節句というのはみなさんご存じのとおりなんですが、今みたいに「子どもの日」的なものでもなく、男の子のためのものでもありませんでした。
この段にも書かれているとおり、菖蒲の節句、だったんですね。1月1日は新春、3月が桃なら、9月は菊、みたいにそれぞれ季節の区切りになんやかんやのイベントがあったということです。
菖蒲→尚武にかけて、武士の時代(鎌倉時代)以降に男の子の節句とした、というのが実際のところのようですね。

しかし、平安時代はそんなこともなく、他の節句を含めて全部の中でも、5月の節句がいちばんいい感じ。というのが清少納言の主張のようです。旧暦5月は梅雨時であまり気候はよくないですけどね。。

ま、それはいいんですが、「菖蒲の根」ってそんないいものですか? 

白い紙を菖蒲の根で結んだもの、いらん。
手紙の中に菖蒲の長い根が入ってたら、嫌。

以上。


【原文】

 節は 五月にしく月はなし。菖蒲・蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民の住家まで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、こと折利にさはしたりし。

 空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには縫殿より御薬玉とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳たてたる母屋の柱に、左右につけたり。九月九日の菊をあやしき生絹の絹につつみて参らせたるを、同じ柱に結ひつけて、月頃ある薬玉に解きかへてぞ棄つめる。また、薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それはみな糸を引き取りて、もの結ひなどして、しばしもなし。

 御節供参り、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌つけなどして、様々の唐衣、汗衫などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃の組してむすびつけたるなど、めづらしう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。

 地ありく童べなどの、ほどほどにつけて、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のに比べなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。

 紫の紙に楝の花、青き紙に菖蒲の葉、細く巻きて結ひ、また、白き紙を、根して引き結ひたるもをかし。いと長き根を文のなかに入れなどしたるを見る心地ども、艶なり。

 返事書かむと言ひあはせ、語らふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。人の女、やむごとなきに所々に、御文など聞こえ給ふ人も、今日は心ことにぞなまめかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしてわたるも、すべていみじき。

 

すらすら読める枕草子

すらすら読める枕草子

 

 

池は

 池なら、勝間田の池、磐余の池がいかしてる。贄野の池は、初瀬に参詣する時に、水鳥が隙間もないくらいいて、すごく騒ぎ回ってるのが、めちゃくちゃ趣があっていい感じに思えたの。

 水なしの池っていうのは、不思議で、何でこんな名前をつけたんだろう?って聞いたら、「五月に、だいたい雨がすごくすごくいっぱい降りそうな年は、この池に水というものはなくなるんです。また、日照りの厳しくなる年は、春の初めに水が多く出るんですよ」って言うもんだから、「全然水が無くていつも乾いてるだけなら、そうも言えるんだろうけど、水が出てる時もあるっていうのに、片方だけ見て名前を付けちゃったのかしら」って言いたくなっちゃったわ。

 猿沢の池は、采女が身を投げたのをお聞きになって帝が行幸なさったのが、とってもすばらしく思えて。「寝くたれ髪を」と人麻呂が詠んだ様子を想像すると、言葉にするのもダサく感じます。

御前の池というのは、またどういうつもりで名付けられたんだろう?って、興味ある。鏡の池。狭山の池は、「みくり」っていう歌がステキだから、覚えてるんだろうね。あと、こひぬまの池も素敵。

 はらの池は、「玉藻をどうか刈らないで」って言ったのが、面白いと思うわ。


----------訳者の戯言---------

勝間田の池とは、奈良市西の京、唐招提寺薬師寺の近くにあったという池。とのこと。
磐余(いはれ)の池は、桜井市阿部から橿原(かしはら)市池尻町付近にあった池。だそうです。

采女(うねべ/うねめ)とは、天皇や皇后の食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のことだそうです。

采女が身投げしたのをお聞きになった帝が行幸したのが、なぜそれほど素晴らしかったのか? むしろ、哀れであるとか、悲しいであるとか、の気持ちでは?という気がしますが。てか、采女が身投げをして、帝がここに行幸するに至った経緯とは?

実はこの逸話は「大和物語」という平安時代中期の和歌説話集に出ています。以下のようなことが書かれています。もしかしたら一般にも有名な話だったのでしょうか。

奈良時代のある帝の頃の、ある采女のお話です。
彼女は美人でスタイルもよかったので、いろいろな貴族が言い寄って求婚したそうです。しかし、一切相手にはしなかったそうです。
なぜなら、この采女は帝のことだけを心より慕っていたから。で、ある時、帝がこの采女をお召しになったそうなのです。しかし、一度だけで、二度とはお召しになりませんでした、と。

しかしこの采女は、二度目がおとずれないことをとても悲しく、昼夜、恋しくわびしく思っていたそうです。

帝は一度は采女をお召しになったけど、特別に何とも思われなかったんですね。
帝ですから、そのようなことは、まま、普通にあることだったんでしょう。

でも、そうはいっても、采女は宮中で日常的に帝を拝見していたわけで。采女はこのまま生きてるのがとてもとても辛く、いたたまれない気持ちになりました。そしてある夜、秘かに御所を抜け出して、猿沢の池に身を投げてしまったのでした。

ただ、「かつては寵愛されたのに帝が心変わりしたために、自らの境遇を儚み、帝を恨んで、身投げをした」というのとはちょっとニュアンスが違うように私は思います。客観的に見ると帝と采女の距離感はそれほどまで近いものではなかったのではないでしょうか。むしろ横恋慕に近いんですが、一夜召されただけに、采女の方は余計に想いが募ってしまったということなんでしょう。

で、しばらくは采女が身投げしたことを帝はご存知ではなかったんですが、何かの拍子に誰かが帝に言ってしまったんですね。それで、帝がものすごく哀れにお思いになって、池のほとりに行幸なさって、人々に歌をお詠ませになったそうです。その時に柿本人麻呂が詠んだのがこれ。

吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
(私の愛しい彼女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見るのは本当に悲しいことだなぁ)

この歌に、帝が返して詠みました。

猿沢の池もつらしな我妹子が玉もかづかば水ぞひなまし
(猿沢の池も酷いよなぁ、私の愛しい彼女が池に飛び込んで玉藻の下に沈んだのなら、水を干上がらせてくれれば、彼女だって死なずにすんだものを)

切ない話ですが、帝にしてみれば、これが今さらながらできる最大限の鎮魂。人びとに歌を詠ませて、自分も詠むと。この件(くだり)を知っていれば、清少納言が「いみじうめでたけれ」と感じたのも頷けます。悲哀だけでなく、帝の行為、お気持ちに感動してるわけですね。特にそれを象徴するのが、人麻呂がこの歌を詠んでる様子だということです。

ところで、この帝って誰? 時代から言うと、聖武天皇元明天皇元正天皇あたりと推察されます。ハッキリとはわかりませんでした。

釆女というのは、地方豪族の子女で、特にルックスのいい娘が選ばれたそうです。これは天皇の妻妾になるという側面もあったからでしょう。身分的にはそれほど高くはありません。
ただ、容姿端麗で教養も高かった、しかも天皇しか触れられないので、世の中的には、高嶺の花というか、憧れの対象だったそうです。しかし「大和物語」では、多くの求婚があったとか書かれています。それ、いいのかなぁ。天皇の女に手を出してヤバくね?いいのか? そこ、誰か教えてください。

さて「御前」です。
「オマエさー、都合のいい時だけ父親ヅラすんなよな」「オマエェ? それが親に向かって言う言葉か!」的な感じではありませんでした、昔は。
「お前だけだよ」これもちょっと違うかな。
お察しのとおり、逆に「あなた様」という意味の尊敬語でした。今さらですか。

で、何で「あなた様の池」なん?ウケるよね―。って話です。

「みくり」は、「三稜草」と書くようです。「ミクリ科の多年草。各地の池や溝などの浅い水中に生える。高さ六〇~九〇センチメートル。地下茎がある。葉は根ぎわから生え剣状で基部は茎を抱く。六~八月梢上に小枝を分け球状の白い花穂をつける。雄花穂は花軸の上部に群がってつき、雌花穂はその下部にまばらにつく。果実は卵球形で緑色に熟す。茎でむしろなどを編む。漢名、黒三稜。やがら。三稜。」となっていました。(精選版 日本国語大辞典

で、どうもこの歌↓が有名なのかなと思います。古今集に入ってます。

恋すてふ狭山の池のみくりこそ 引けば絶えすれ我や根絶ゆる
(恋するということは、狭山の池のみくりと同じで、引き抜けば根が切れて枯れてしまうでしょうか、私の恋も彼の通いが根絶えてしまうのでしょうか)

鏡の池、こひぬまの池は、結局場所も詳細もわかりませんでした。清少納言、理由も書いてないです。でも、名前から惹かれることが多い傾向にあるので、そんな感じかなーとは思います。でも今は無い池です。

「玉藻な刈りそ」も和歌ですよね。と思って調べたら、違いました。というか、有名な和歌ではないようで、結局、出典何かわからずです。

意味からすると、「~な~~そ」というのは、どうか~~してくれるな。~~しないで。です。古文の授業で、たしか習いました。穏やかな禁止というか、そんな感じです。

ですから、「玉藻をどうか刈らないでね」です。でも何これ? 何かそういう「言われ」はあるのだと思いますが。

今回は、よくわからない部分もあったりしつつ、消化不良気味。ま、昔の池の話ですからね。まーいいか、という感じで次に進みます。ルーラ!


【原文】

 池は かつまたの池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池。初瀬に詣でしに、水鳥のひまなくゐて立ちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。

 水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。またいみじう照るべき年は、春の初めに水なむおほく出づる」といひしを、「むげになく乾きてあらばこそさも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と言はまほしかりしか。

 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「ねくたれ髪を」と人麻呂がよみけむほどなど思ふに、いふもおろかなり。

 御前の池、また何の心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ。こひぬまの池。

 はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。

 

 

マンガでさきどり枕草子

マンガでさきどり枕草子

 

 

木の花は

 木に咲く花は、濃いのも薄いのも紅梅がいちばん。桜は花びらが大きくて葉の色が濃いのが細い枝に咲いてるのがいいのね。藤の花は、長くしな垂れていて、色が濃く咲くのが、すごくすばらしいの。

 四月の末から五月はじめの頃は、橘の葉が濃く青いのに、とっても白い花が咲いてるのが、雨が降ってる早朝なんかには、比べ物もないくらい風情があっていいんですよ。花の中から花芯がまるで黄金の玉みたいに、とっても鮮やかに見えたりするのは、朝露に濡れた桜に負けてないわよね。ホトトギスに縁があるって考えると、なおさら文句のつけようもありません。

 梨の花は世の中的には全然ダメで、身近に置いて愛でることなんてなくって、手紙を付けるようなことさえしないのね。かわいくない人の顔なんかを見て、この花を例えにするし、ホントに葉の色をはじめとして、つまんなく見えるんだけど、実は唐の国ではこの上ない存在で、漢文にも登場するくらいなのよ。だったら、どこかにいいところがあるんだろうと思って、しっかりと見たら、花びらの端にきれいな色がほんのりと付いてるみたいなの。楊貴妃が帝の使いに会って泣いてしまった時の顔に似せて「梨花一枝、春、雨を帯びたり」なんて(白居易が)詩作したのは、ありきたりじゃないと思うんだけど、なんといっても、ほんとすごくキレイなことは、比べ物もないほどって思ったの。

 桐の木の花が、紫に咲いてるのはやっぱりすばらしくって。葉の広がり方は異様なくらい大げさだけど、他の木といっしょにして言っちゃいけないわね。唐にいる大袈裟な名前の鳥が、選んでこの木にだけいるっていうのは、すごく特別感があると思うの。ましてやこれを材料にして琴を作って、様々な音を奏でるなんていうのはすばらしい、なんて、世間一般で言われるレベルにとどまるものじゃなくて。ものすごく最高にすばらしいのですよ。

 木の様子は見苦しいけど、楝の花はすごくいい感じ。枯れてるみたいに変わった感じで、必ず五月五日に合わせて咲くのもいかしてるよね。


----------訳者の戯言---------

四月(卯月/うづき)は今の4~6月なんですが、年によってかなり違いますね。ほんと旧暦はややっこしいです。つごもり(晦日)ですから、まあ5月~6月頃でしょうか。五月(皐月/さつき)のついたちとも書いてますし、気候からすると梅雨の直前、1年でもいちばん爽やかないい季節です。

今回は原文で「朝ぼらけ」という語が出てきました。明け方とか早朝とかを表す言葉がありすぎるので、この際、以下まとめておこうと思います。

●曉(暁/あかつき):これはまだ暗いうちの夜明けを言うようですね。「あけぼの」よりは前でしょうか。現代語で言うと、未明というニュアンスです。どっちかっていうと深夜に近い感じです。
有明(ありあけ):夜が明けても月が残ってる朝。時間帯は、よくわかりません。月が重要要素のようですね。
●東雲(しののめ):ほぼあけぼのと似通っていると思いますが、もう少し前の時間帯を含むかもしれません。和歌でしか使われない傾向にあるようですね。
●曙(あけぼの):この枕草子の序段で有名ですね、あと、元横綱のプロレスラーの人。関係ありませんが、その黎明の感じ、希望感、勢いみたいなものを四股名にしたという意図はわかります。時間的には「春はあけぼの」の一節からもわかるとおり、日の出前後と考えていいと思います。
●朝ぼらけ(あさぼらけ):「夜がほのぼのと明ける頃」だそうです。「あけぼの」より少し後だとか。
●夙めて(つとめて):日が出た後の早朝だそうです。
●朝(あした):これは「朝」です。完全に明るくなった時間帯ですね。今で言う文字通りの「朝」です。

ホトトギスです。漢字では「杜鵑」「時鳥」「郭公」「不如帰」と書いたりします。実はめちゃくちゃ漢字、異名があります。20コぐらいはあるようですね。もっとあるかも。
橘との縁ですが、異名として「橘鳥(たちばなどり)」と言ったりもするそうです。初耳ですね。夏にやってくるわけですが、橘に宿るから、開花のタイミングが合ってるから、というのが理由でしょうか。必ずしも橘の木に棲んでいるわけではないと思いますが。

さて。
当時は恋文とかをええ感じの木の枝に結びつけて贈ったんですね。すぐ前の段「七月ばかりいみじう暑ければ」でも、主人公らしき女子の今カレが、萩の枝に文を結んで使いの人に持って来させてた、とありました。

梨花一枝、春、雨を帯びたり」というのは、白居易の「長恨歌」にある一節「梨花一枝春帯雨」からきているもので、一枝の白い梨の花が、春の雨に濡れている→美人(楊貴妃)の悲しむ姿 を例えたものだそうです。

唐土に名つきたる鳥」というのは何なのか、よくわからないので、いろいろ調べてみたら、「鳳凰」とのことでした。なるほど。そういうことですか、という感じです。ちょっと言わせていただくと、持って回った言い方すぎます。もうちょっと何とかなりませんか。なりませんね。

楝(あふち)というのは栴檀という木の古名だそうです。花は薄紫色とか。「栴檀は双葉より芳し」ということわざがありますが、これは違うらしい。このことわざの栴檀は白檀を指すそうです。

この段は、イケてる木の花についてです。
今の都会ではなかなか見ることができない木が出てきますね。当時の京都では普通に見られたんでしょう。
ちなみにうちの近所では桜の少し前に、モクレンの並木がきれいに咲きます。


【原文】

 木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。

 四月(うづき)のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金(こがね)の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる朝ぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。

 梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬(あいぎやう)おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなきものにて、文にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしき匂ひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝(みかど)の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろげならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。

 桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土に名つきたる鳥の、選りてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、様々なる音の出で来るなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。

 木のさま、憎げなれど、楝(あふち)の花、いとをかし。かれがれに、さまことに咲きて、必ず五月(さつき)五日にあふも、をかし。

 

 

 

七月ばかりいみじう暑ければ② ~朝顔の露落ちぬさきに~

 (男は)朝顔の露が落ちてなくなる前に手紙を書こうと、道の途中でも落ち着かなくって、「麻生の下草」なんかを、口ずさみながらの自宅への帰り道、(女子の家の)格子が上がってたから、御簾の端をちょっと引き上げて見たら、起きて帰ってった彼氏のことがいい感じに想像できたのね。露にしみじみと心惹かれる風情を感じたのかな、しばらく見てたら、枕元の方に、朴木(ほうのき)に紫の紙を張った扇が広げられたまま置かれてて、陸奥紙の畳紙の細かいのが、花色か紅色か、少しだけ良い香りを漂わせて、几帳のあたりに散らばってるの。

 人の気配がするから、(女の方が)衣の中から見たら、(今の彼氏じゃない男が)笑いながら長押にもたれかかってて。(女子側からすると)恥ずかしい気がする人ではないんだけど、打ち解けるような気持ちでもないから、いまいましく見えちゃうんだ、って思うわ。「最高の『名残の朝寝坊』だよ」とか言って、御簾の中に半分くらい入ってきたから、「朝露より先に帰ってきた人ってどうよ」って返すの。これがおもしろいかどうかについては、とりたてて書くようなことじゃないけど、何にしてもこうやって言い合ったりする様子は、悪くはないわよね。

 (男は)枕の上にある扇を、自分の持っている扇で及び腰で掻き寄せるんだけど、結構近くに寄ってくるんだ、って(女は)ドキドキしちゃって、引き下がったのね。男は扇を取って見たりして「そんな嫌がらなくても」なんて、ちょっと思わせぶりに言って、軽く恨み言っぽいことを言ううちに、外が明るくなってきて、人の声がして、日も差してきたの。霧の絶え間が見えないうちに、って、急いでた手紙も滞ってしまって、さぞ後ろめたいんでしょうね。

 帰って行った今カレも、いつの間にか、露に濡れたのを手折った萩の枝に文を付けて持って寄こしてたんだけど、使者はそれを差し出すこともできないの。香をしっかり焚き染めた匂いはとっても素敵なんだけどね。(男は)かなり体裁の良くない時間帯になっちゃったから、立ち去っていったんだけど、自分が昨晩先に行ってきた女子のところも、こんな感じになってたりして、と想像しちゃうのも、面白く思えるのよね。


----------訳者の戯言---------

桜麻の麻生の下草露しあらば明かしてゆかむ親は知るとも と古今集にあるようです。
桜麻の麻生の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも と万葉集に出ているそうです。
どっちも「麻生(をふ)の下草」ですね。まあ、どっちでもいいようなものですが、「露しあらば」と「露しあれば」の違い。なんだこれ。
いやいや、古典を少しでもかじっているのなら、これぐらいはクリアにしておきませんとね。

上の古今集のほうは「あらば」=未然形です。下の万葉集のは「あれば」=已然形です。高校の古典の授業みたいですが。

未然形の場合は、「露が降りたら、泊まっていこうor泊まっていくだろう」、対して已然形は「露が降りてるから、泊まっていってね」ですね。
未然形のほうは性別不詳ですが、已然形は女性ですね、たぶん。参考に他の訳文テキストをいくつか見たんですが、ほぼ古今集(未然形)からの引用でした。この段で「麻生の下草」を口ずさんでるのが男性だからかもしれません。
そうすると、「桜麻の麻が生えている庭の下草に露が降りたら、泊まっていくよ、ここに来たことをたとえ親御さんに知られたとしてもね」という意味になるでしょうか。

ちなみに万葉集の女性目線のほうだと、「桜麻の麻が生えている庭の下草に露が降りてるから、お泊りになってくださいな、あなたが来られてることを母が知ったとしても」という感じです。
いかがでしょうか、ニュアンスもちょっと変わってきます。

とまあ、この和歌だけでめちゃくちゃ時間をとってしまいました。こうだから、なかなか進まないんですけどね。

みちのくに紙は、陸奥紙=檀紙という高級和紙だそうです。「心ゆくもの」の段に出てきました。

畳紙(たとうがみ/たとうし)は「結髪の道具や衣類などを包むための紙」とありました。あまり使わない語ですね。
今は紙袋がありますからねぇ。それかちゃんとしたハンドバッグ、ポーチ。物によってはレジ袋、ラップ、チャック付のジップロック的なもの。畳紙なるものの出番は全くと言っていいほどありません。風情がなくなったというと、そういうものかもしれませんが、文化は進化退化を含め変わるもの、ということで。

花色は、空色に近いブルーです。シアン系の青ですね。

前半部分でもちょっと書いたのですが、全部読んでも、なんだかなーという話です。
これ、元カレ元カノなんでしょ? ユルい女のコとチャラい男のコとしか思えませんけどね。
これを「をかし」と言うのなら、その「をかし」、おかしくないですか?という感想です。別にシャレているわけではありません。

また、この段は、第三者目線で書いています。フィクションなのかノンフィクションなのか。
ただ、実際に見たかのように、かなり、ディテールを書いてはいます。
もし見ていたのなら、のぞき=ストーキングですね。
自分の体験を書いているとしたら、中途半端にユルい女子=清少納言ですから、ちょっとバカっぽい感じがします。
完全な作り話とすれば、それはそれで、気は確かですか?というようなヘンな男女の話です。

これが当時の「をかし」なのよ、情緒ないわね、と言われれば、私、おっしゃる通りですと言うしかありませんけれども。


【原文】

 朝顔の露落ちぬさきに文書かむと、道のほども心もとなく、「麻生(をふ)の下草」など、口ずさみつつ、我が方に行くに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささか引き上げて見るに、起きて往ぬらむ人もをかしう。露もあはれなるにや、しばし見たれば、枕がみのかたに、朴(ほほ)に紫の紙はりたる扇、ひろごりながらあり、みちのくに紙の畳紙(たたうがみ)の細やかなるが、花か紅か、少し匂ひたるも几帳のもとにちりぼひたり。

 人気のすれば、衣のなかより見るに、うち笑みて長押におしかかりてゐぬ。恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかなと思ふ。「こよなきなごりの御朝寝(あさい)かな」とて、簾のうちになから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」といふ。をかしきこと、とりたてて書くべき事ならねど、とかく言ひ交はすけしきどもは、にくからず。

 枕がみなる扇、わが持たるして、およびてかきよするが、あまり近う寄り来るにやと心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「うとくおぼいたる事」などうちかすめ、うらみなどするに、明かうなりて、人の声々し、日もさしいでぬべし。霧の絶間見えぬべきほど、急ぎつる文も、たゆみぬるこそ後ろめたけれ。

 出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の、露ながらおしをりたるにつけてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたる匂ひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが起きつる所も、かくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。


検:七月ばかりいみじう暑ければ 七月ばかりいみじうあつければ

 

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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