枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

遠くて近きもの

 遠くて近いもの。
 極楽。舟の旅。男女の仲。


----------訳者の戯言---------

前の段は近くて遠いもの、だったんですが、この段は遠くて近いものです。
どう違うんや? 一見遠いように感じるけど、実際には近いもの。ん?

極楽というのは、みなさんご存じのとおり、仏教でいう極楽浄土の「極楽」です。
ざっくり言うと、「幸せのあるところ」なんだとか。この世で功徳を積むと、亡くなった後、行けるそうですね。ただ、この世にも極楽はありますよ。銭湯とか温泉で「極楽極楽」って言ってるおじさんとかいますし。偽物ですけどね。ていうか、慣用的に使ってるだけ。細かいこと言ったらだめですが。

意味としては、天国みたいなものでもあります。けれど、宗教的にみるとこれまた微妙には違うそうですから、一緒くたにすると、それぞれの立場の方から叱られますね。ただ、修辞的慣用的にはほぼ同じです、天国も極楽も。気持ちええとこ、シアワセなとこであることに変わりはありません。昇天も同義ですよ。

そこで、みなさん、極楽を遠いと感じますでしょうか?
私はやはり「遠い」ほうに一票です。さほど信仰心の強くない者からすると、身近ではないものですね。
仏教が身近にあった平安貴族のメンタリティとしては、私よりは多少近いものだったかもしれませんが、イメージとしてはやはり「遥か遠くのもの」なのでしょう。ただ、一心に念仏すれば、死後すんなり極楽に往生できるんですよ、という教えもあるわけで。そいうった思想がここに表されたと言えそうです。

ただ、清少納言って、実はそれほど信仰心強くないんですよね。どの口が言うか、って話ではあります。
説経の講師は①」の段で、説経の講師は、顔がかっこいいこと!顔がイケてない講師は罪つくりだと思います。とか書いてます。
また、同じ段の②では、説法の会場にイケメンでオシャレな男のコたちが登場してきて、かなり興奮してましたしね。

舟の道とは? 「道」というのは、道中とか道行きという言葉がありますが、それだと思われます。東海道中膝栗毛の「道中」ですね。旅、旅行ということだと思います。舟の旅は、乗っていると、自身は動かなくても自然と目的地に着くように感じられますから、遠いように思ってたけど、近かったよ!と実感したのでしょう。でこぼこ道や山道を越えて行く陸路の旅よりも、昔は舟の旅にはるかに「近さ」を感じたんですね。

現代は、旅客機、鉄道、もちろん船もそうですが、様々な交通機関があり、自力で移動しなくてもすーっと連れて行ってくれるのが当たり前になっていますから、そういう実感はほとんどありません。便利なことに生まれた時から慣れてしまっているんですね。

さて、人の仲。人の仲って? ざっくりしています。よくわからないので調べて見たら、能因本のほうでは「男女の中」となっていました。
つまり、男女の間柄というのは、本来相容れずお互い理解しがたいものではありますが、いったん恋におちると極めて密接な関係になる、ということなのでしょうか。
それとも、離れていても心は近くにある、ということでしょうか?
遠いようで近い。今も昔も、男女の仲というのはようわからんという話です。


【原文】

 遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。

 

新編日本古典文学全集 (18) 枕草子

新編日本古典文学全集 (18) 枕草子

  • 発売日: 1997/10/24
  • メディア: 単行本