近うて遠きもの
近くて遠いもの。宮咩祭(みやのめのまつり)。思いやりのない兄弟や親戚の仲。鞍馬のつづらおりっていう道。12月の大晦日と1月1日の間。
----------訳者の戯言---------
宮のべの祭り。宮咩の祭(みやのめのまつり/宮咩祭)とも言うそうです。というか、宮咩祭のほうが正式名称のようですね。禍(わざわい)を避け幸福を祈願して、正月と12月の初午(はつうま)の日に、高御魂命=高皇産霊神(たかみむすひのかみ)=高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、大宮津彦(読み方不明?)、大宮津姫=大宮能売神(おおみやのひめ)、大御膳津命(おおみけつのみこと?)、大御膳津姫(おおみけつひめ?)、笠間の神の合わせて六柱の神をまつった祭、とのことです。
しかし神様の名前っていうのは、よくわからないですね。古事記と日本書紀、また他の文献でも違うようですし、そもそもあの辺の書物は漢文で書かれていますから、読み方ははっきりとはわからないものなんでしょう。
で、この祭が近くて遠い?と思いましたが、12月から1月までは近いけど、その年、1月の祭が終わってから同年の12月までは遠いってことではないでしょうか?違いますか?
兄弟の距離感。なるほどね。近くにいる兄弟姉妹といっても、心の距離は遠い、ということでしょうか。そういう関係もあるんでしょうね。わかる気はします。年老いた親御さんを誰が面倒みるんだと揉めたり、亡くなったら遺産相続争いとかもあります。ただ、大人になるとそんなにベタベタはしないですよね。兄弟姉妹でも、気遣いはするし、遠慮もします。もちろん、嫌いなところもある。そして大好きだったりもします。けれど子どものころのように仲良く遊ぶわけでもない。人間というのは複雑ですね。
遠水難救近火 遠親不如近隣(遠水は近火を救い難く、遠親は近隣に如かず)という言葉があり、「遠くの親類より近くの他人」の語源なんですが、隣人同士が仲良くするのが大事ってことです。もちろん、遠くても親戚と仲良くすることは大事でしょう。私は、どっちもおろそかにしていますから、あまり偉そうなことは言えませんが。
鞍馬寺というのは、ご存じのとおり、源義経(幼名は牛若丸)が幼少期に預けられたお寺です
そして、鞍馬山の奥の方にある僧正が谷には天狗が住んでいたそうで、牛若丸はその天狗に稽古をつけてもらいました。天狗っていうぐらいですから、妖(あやかし)なんでしょう。けど、神でもあったらしいです。「天の狗(いぬ)」「あまつきつね」とも言われます。この鞍馬山の天狗は鞍馬山僧正坊(くらまやまそうしょうぼう)と呼ばれていたそうですね。また、鞍馬寺の本尊の一つは魔王尊と呼ばれる天狗なのだそうです。やはり鞍馬というのは天狗に縁があるところなのでしょうか。
「鞍馬天狗」という大佛次郎の時代小説もありました。昭和時代にはドラマ化もされたようですね。
幕末の京都を舞台に「鞍馬天狗」と名乗る謎の勤皇の志士が新撰組相手に戦う、というフィクションです。たしか、新選組はかなり悪者に描かれていたと思います。そういえば近年では、るろ剣の剣心も勤皇派でしたね。
また話がそれました。
ここでも出てきましたが、鞍馬山には、幾重にも曲がりくねって続く坂道=つづら折りという道があったようです。「つづら折り」自体は普通名詞ですが、今も鞍馬山には「九十九折参道」として残っていて、山麓の叡山電車の鞍馬駅から鞍馬寺の仁王門までの道をこう呼んでいるようですね。
九十九というと「つくも」と読むことが多いですが、これは「つづら」と読むようです。
直線距離はそんなにないけど、歩いたら相当な距離があった、ということでしょう。
大晦日から元旦の間。と書いていますが、現代に暮らす私たちには近くも遠くもないですね。普通に、ドラえもんとか紅白とかガキ使とか格闘技とか見て、その後、おもしろ荘とか、カウントダウンTVとか見ますしね。ライブ行ったりとか、渋谷や道頓堀とかでカウントダウンしたりする人もいますしね。私はしませんけど。
昔は、一瞬なんだけど年は改まるので、こう思ったんでしょう。そんなん、考えすぎですけどね。
【原文】
近うて遠きもの 宮のまへの祭り。思はぬ兄弟(はらから)・親族(しぞく)の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。十二月(しはす)の晦日(つごもり)の日、正月(むつき)の一日(ついたち)の日のほど。