枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ことばなめげなるもの

 言葉が無礼なものは…。宮咩(みやのめ)の祭文を読む人。舟を漕ぐ者たち。雷鳴の陣の舎人。相撲を取る人。


----------訳者の戯言---------

「なめげなり」は「無礼だ」「失礼だ」ということらしいです。「なめげ」は漢字では「無礼気」と書くそうですが、後から当てた字でしょうか。

さらに具体的に言うと、偉そうな態度とか、感じ悪っって思うあれですよね。あるいは「ぞんざい」とか、乱暴なとか、そういう感じでしょうか。
二階幹事長とかね、麻生太郎とかですかね、私の主観では。森喜朗とかもですか。政治家ばっかりですね。
あと、タメ口の人とかですか。フワちゃんとか。


宮の部(みやのべ)です。宮咩(みやのめ)と言うことが多いようですね。宮咩祭とも。
この宮咩というのは、平安時代以降、不吉を避け、幸福を祈願するために、正月と12月の初午(はつうま)の日に高皇産霊神(たかみむすひのかみ/たかみむすびのみこと/高御魂命)などの6柱の神を祀ったという、そのお祭りのことだそうです。
以前「近うて遠きもの」という段でも出てきました。

で、今回はその祭の祭文(さいもん)を読む人のことをdisってます。
このお祭りは宮中の年中行事ではなく、民間信仰の色合いが強いもののようで、各々の私邸とかでやったみたいです。
祭文というのは、神を祀るときに読む文。本来は祭りの時に神様に対して祈願や祝詞(のりと)として用いられる願文だったそうで、後には芸能化したようですが、平安時代における祭文には陰陽道の色彩の濃いものも多いらしく、祭文読みは下級の陰陽師がやってたのかもしれません。清少納言的に言うと、それほど上位の人ではないわけで、これまたその人たちの言葉遣いが気に入らなかったと。


舟を漕ぐ職業の人たちのこともdisっていますね。ま、言葉遣いが粗野だったのかもしれませんが、ここでも職業差別的な感じはしますね。


雷鳴(かみなり/かんなり)の陣。字のごとく、雷が鳴った時、宮中に陣を立てて警固したらしいです。雷に対して?
雷で警固ってどんだけ雷怖がってるねん、とは思いますが、帝も怖いんですね。科学的根拠を知らないですから。フランクリンが凧揚げ実験をしたのが1752年だそうですからね。
どうも昔の人たちは、雷は神の怒りだと思っていたようです。半分本気なのかどうなのか、定かではありませんが、具体的に何をしたかって言うと、弓の弦を打ち鳴らしたらしいです。弓を鳴らすことで、悪霊、けがれを払う、あるいは物の怪を退散させるという、おまじない的なものだったようですね。

というわけで、具体的には大きな雷が3回鳴ると、近衛の大将とか中・少将が弓矢を持って帝のところに行ったらしいです。清涼殿に行っったとか、紫宸殿に行ったとか、どちらかよくわかりませんがそんな感じらしいですね。
清涼殿は帝のプライベートスペースですし、紫宸殿はオフィシャル中のオフィシャルですから、なんか真逆です。ま、どっちでもいいんですがそういう風にネットでは書かれています。
で、将監(しょうげん)以下のスタッフも蓑笠を着て、紫宸殿に行ったとか、南庭に陣をなしたとか。これもどちらかはっきりしないんですが、しかし雷が鳴ったくらいでそんなに人数集めなくてもとは思いますね。

そして、ここに出てきた舎人たちももちろんやってきます。舎人というのは帝や貴人の身辺警護、雑用を担当したスタッフなんですが、そんなに身分も職位も高くはないです。清少納言が聞いたこの舎人たちの言葉も乱暴、無礼に感じたと言うんですね。


相撲を取る人も失礼な物言いをしたのでしょうか。でも、ごっつぁんです、ぐらいしかいわないでしょう。偏見ですが。
というか、当時はごっつぁんです、とは言わなかったでしょうね。ごっつあんなり。ですか? なわけねーですね。


そういうわけで相変わらず清少納言、身分の低い人、職業の賤しいらしき人たちに厳しいですね。


【原文】

 ことばなめげなるもの 宮の部(べ)の祭文(さいもん)読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴の陣の舎人。相撲(すまひ)。