枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

きらきらしきもの

 光り輝く威厳のあるもの。近衛府の大将が帝の先払いをしてるの。孔雀経の読経。御修法(みずほう)。五大尊の御修法もね。御斎会(ごさいえ)。蔵人の式部の丞が白馬節会の日、大庭(おおば)を練り歩くの。その日には靭負(ゆげい)の佐(すけ)が、禁制の摺衣(すりぎぬ)を破らせるのよ。尊星王の御修法。季の御読経。熾盛光の御読経。


----------訳者の戯言---------

「きらきらし」は「煌煌し」と書きます。「光り輝いている、威容がある」という形容詞ですが、擬態語、オノマトペの「キラキラ」となんとなく合致しています。「きらきらし」というのは威厳がある、威光がある、威儀正しいという感じです。枕草子でもこれまでに、特に読経の様子とかに「きらきらし」という形容詞が使われていましたね。
日本語にはこういう語が意外とあって、「スベスベ」は滑滑。これが「滑滑し」となると「ぬらぬらし、ぬめぬめし」と読む場合もあります。オールスター感謝祭のローション相撲みたいな感じでしょうか? 平安時代にローションは無かったと思いますが。
このほか「ツヤツヤ」は艶艶、「フサフサ」は総総、「ヒラヒラ」は片片、という具合です。
日本語ならではという気がしますね。音とか質感を文字にしたのか、言葉が先にあってそれが擬音・擬態語化したのか、どちらなのかは定かではないですが。


まず、近衛大将の前駆(せんく/ぜんく/せんぐ等)が、威容があってよろしいということなんですね。想像ですが帝の前で馬に乗って、かっこよかったのだと思います。晴れ舞台ですね。


孔雀経というのは、正式には仏母大孔雀明王経というお経です。孔雀明王という仏法の守護尊の神呪、修法などを説いたもので密教とともに伝来しました。
ちょっとびっくりするんですが、孔雀(クジャク)という鳥は毒蛇を食べるらしいんですね。インドでは、キングコブラとか、そういった毒蛇に多くの人々が被害を受けたため、蛇の天敵であるクジャクが神聖視されるようになり、ヒンドゥー教で女性神(マハー・マユーリー)として神格化されたのだそうです。これが仏教に採り入れられて「孔雀明王」となり、蛇毒をはらうだけでなく、あらゆる病災を除き天変地異を鎮める、ってことでこれを本尊とする修法が行われたのだそうですね。
不動明王をはじめとして、明王というのは忿怒(ふんぬ)の面相をしていることが多いのですが、孔雀明王の面相は明王にはめずらしい慈悲相です。優しい顔をしています。


御修法(みずほう)というのは、特に、毎年正月八日からの七日間、天皇の健康や国家の安泰などを祈って、宮中の真言院(しんごんいん)で行われた修法の行事のことだそう。
修法というのは一般に密教で成仏や現世の利益などのため、壇を築いて法具や供物をととのえ、本尊や曼荼羅の前で経典や儀軌の説に則って作法を修することだそうです。真言や陀羅尼を唱え、心を仏の境地に集中するのだとか。俗に加持祈祷と呼ばれるものですね。修法にもいろいろあるようですが、ただ「御修法」とだけ言う場合は、この正月八日からの宮中のものを指すようです。


五大尊というのは、密教の五大尊明王五大明王のことです。不動明王を中心に降三世(ごうざんぜ)、軍荼利(ぐんだり)、大威徳、金剛夜叉の四明王。この五大明王を1明王ごとに中央と東南西北の別壇にまつり、五つの壇を連ねて修法を行いました。これが五大尊の御修法です。ちなみに先にも書きましたが、明王というのは忿怒の面相、怖い顔をしています。大日如来の命を受けて仏教の教えに従わない者たちをコワイ形相で教化するというわけですね。


御斎会(ごさいえ/みさいえ)。正月8日から7日間、大極殿(のちに清涼殿)に高僧を集め、金光明最勝王経を講義させるという、国家の安泰と五穀の豊作を祈願した法会が行われました。結願の日には帝の御前で経文の論議「内論議」が行われたそうです。先に出てきた「御修法」が密教のもので、こちらは顕教のものです。

では顕教とか密教とか言うけど何なの?どう違うの?という話です。ご存じの方も多いと思いますが、ざっくり言うと、
顕教衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕した教え
密教=真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教え
ということです。真言宗の開祖・空海がこのように教えました。空海の言ったことですから当然密教が優位という事なんですね。相対するものであることは間違いないですが、宮中では共存していたわけです。


式部省というのは朝廷の中でも重要な役所でした。文官の人事や宮中行事儀礼を司ったり、役人の養成機関である大学寮を統括したりということで、式部省の管理職にもスタッフにも深い見識が求められてたようすね。朝廷内でも力のある役所という位置づけであったようです。
蔵人というのは兼務をする人も多かったようで、式部の丞が六位蔵人を務めることもありました。六位蔵人で式部大丞または式部少丞を兼職した者は、特に昇殿を許されたために「殿上の丞(てんじょうのじょう)」とも言われたそうです。

白馬節会(あおうまのせちえ)というのは、正月七日に帝が白馬を見て一年の邪気を祓う儀式なんだそうですね。
青馬というのは白または葦毛の馬だそうです。もともはと青馬と書いていましたが、平安中期から白馬と書くようになったらしいです。読み方は「あおうま」のままです。

大庭というのは、宮中の紫宸殿の前面(南)の庭のことです。


靫負の佐(ゆげいのすけ)というのは、「衛門府(えもんふ)」の次官。衛門の佐(すけ)のことです。衛門府のことを訓読みで「ゆげひのつかさ」と言ったらしいですね。「ゆぎおひ(靫負ひ)」→「ゆげひ」のようです。靫というのは弓を入れる容器なのだそうです。なるほど。
通常、衛門府の官人は検非違使を兼任しました。ということで衛門府権佐が検非違使佐を兼任したのですね。
このケースは舎人とかの下級職員とかが禁制の着物であった摺衣(すりぎぬ)を着ていて、検非違使佐(衛門府権佐)がこれを咎めて、その摺衣を破らせたというシーンのようです。

以前も書いたことがあるのですが、当時は「禁色(きんじき)」という、朝廷で一定の地位や官位等の人以外には禁じられた服装がありました。今なら立派なパワハラですが、着て良い特定の色や生地の質なんかが決められてたらしいです。ここで出てきた「摺衣」はダメだったようですね。摺衣というのは文様を彫り込んだ木版の上に布を置いて、これに山藍の葉を摺り付けて作る生地で作ったもののようです。

ま、ノーネクタイのオフィスカジュアルとはいえ、ダメージデニムやタンクトップを着て会社行ったら課長に叱られる、みたいなものでしょうか。ちょっと違いますね。国の法律みたいなものですから。破り捨てないといけのも仕方ないのかもしれませんね。


尊星王(そんしょうおう)とは、北極星を神格化したものといわれ、国土を守護し、災厄を除き、福寿を増益するという菩薩なのだそうです。尊星王法などと称する修法をよく行って国の安穏を祈願したそうですね。


季御読経(きのみどきょう)。宮中で毎年春秋の二季、2月と8月に大勢の僧侶が大般若経を読経する儀式だそうです。


熾盛光(しじょうこう)の御読経は、天変兵乱等の災厄を除くために、「熾盛光大威徳消災吉祥陀羅尼」という陀羅尼を読んだそうです。熾盛光というのは熾盛光仏頂如来のことです。大日如来仏頂尊なんですね。仏頂というのは文字どおり仏の頭の頂のことで、肉髻(にっけい=頭頂部の椀状の盛り上がり)というのが仏様の頭にありますが、あれが神格化したものだそうです。不思議です。偉大な仏の智慧と光を発せられているそうです。


きらきらしきもの。キラキラっていうよりも、もう少し重いというか、威厳がある感じですね。仏教行事を多く挙げています。しかし清少納言の場合、信心というより、いかしてるかどうかが重要な判断基準です。


【原文】

 きらきらしきもの 大将(だいしやう)の御前駆(みさき)追ひたる。孔雀(くざ)経の御読経。御修法。五大尊(ごだいそん)のも。御斎会(ごさいゑ)。蔵人の式部の丞(ぞう)の白馬(あをむま)の日大庭練りたる。その日、靫負(ゆげひ)の佐(すけ)の摺衣(すりぎぬ)破(や)らする。尊星王の御修法。季の御読経。熾盛光(しじやうくわう)の御読経。