枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

説経の講師は③ ~そこに説経しつ~

 「どこそこで説経があった」とか「八講が開かれたのよ」なんて人が話してたら、「あの人は来てた?」「どうだった?」とかって、毎回必ず聞くのは、やりすぎだよ。でも全然参加しないっていうのもそれはそれでなんだかねぇ。身分の低いっぽい女子でも、結構聞きに行くらしいのに。だからって、最初の頃は歩いて行くことなんてなかったの。時たま、よそ行きの壺装束ファッションで、とってもきれいにメイクした人はいたみたい。でもそれもほとんどは参詣に来てたようで。説経なんかに、特別多くは行かなかったのね。
 (女子がこぞって説経に行く)最近のトレンドを、もしかつて説経の会に出てた人が長生きしてて見てたとしたら、どんなにか非難するでしょうね。


----------訳者の戯言---------

「壺装束」というのは、女性が外出したり旅行に行ったりするときの衣装、とのことです。特別な日のファッション、所謂「よそいき」ですね。

だいたい当時は、高貴な人というのは牛車で出かけたわけですから、歩いてお出かけするのは、かなりカジュアルなのだと思います。彼女が言う「身分の低い感じの女子」をはじめとして、みんな歩いて説経イベントに行くようになったのが「最近の風潮」だったのでしょう。

で、結局、清少納言は「説経会」には行くべきと思っているのか、いないのか。

ハマって度が過ぎるほど行くのはナンだけど、全然行かないのもよくないし。昔は女子はあんまり行ってなかったけど、今はこんな感じで。昔の人からしたら嘆息モノでしょうよって話ですね。割とあいまいなところに着地しています。いや、エッセイなので、それはそれでいいんですけどね。

訳者としては、なんじゃこりゃ???って感じの文が次々に出てきて、その度に立ち止まり、なかなかすんなり読めなくて、苦労した段でした。


【原文】

 「そこに説経しつ、八講しけり」など人の言ひつたふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、さだまりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではあらむ。あやしからむ女だに、いみじう聴くめるものを。さればとて、はじめつ方ばかりありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそはあめりしか。それも物詣でなどをぞせし。説経などには、ことにおほく聞こえざりき。この頃、そのをりさし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかりそしり、誹謗せまし。


検:説経の講師は

 

むかし・あけぼの 上 小説枕草子 (文春文庫)