枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

菩提といふ寺に

 菩提というお寺で、結縁の八講が開催されたので、参詣したんだけど、ある人から「早く帰ってきてください、すごく寂しいので」と便りをしてきたから、蓮の葉の裏に、

もとめてもかかる蓮の露をおきてうき世にまたはかへるものかは
(いくら帰って来てと求めても、蓮の葉に置く露のようなありがたいお説経を聞かずに、再び浮世に帰るなんてできますかしら? できませんよね)

って書いて返したの。

 ホント、お説経がすごく尊くって、しみじみと浸れる素敵な感じだったものだから、そのまま泊まろうかなと思って、(あの家路を忘れた)湘中の帰りを待ってる家人がきっと感じた「待つ人のもどかしさ」も忘れてしまってたのよ。


----------訳者の戯言---------

菩提という寺と出てきますが、ここでは固有名詞です。所謂、一般の「菩提寺」とは違うようですね。
ウィキペディアで調べると現在全国7つの存在が記されています。もちろんその限りではないでしょうが。

結縁というのは、仏縁を結ぶために世俗の人が僧を招いて行う法華八講だそうです。八講は前の段「説経の講師は」にも出てきました。法華経8巻を朝夕1日2回×4日間、計8回講義して完了する法会のことです。

で、そもそも仏縁って何?と、ふと思います。なんとなく、わかるような気もするんですが、念のため調べてみました。「仏との間に結ばれる縁。仏の導き。」とありますね。
ですから、「結縁」というのは、私なりに解釈するなら、仏様の教えや導きを獲得する、っていうことなのでしょう。今は仏門には入れないけど、縁を結んでおこうと。

さうちう。何だそれ? で、ググってみたら、トップに出てきたのが「橋本佐内」。「さうち」にヒットしたんですかそうですか。読み方「さない」なんですけどねぇ。橋本佐内といえば、昨年の大河「西郷どん」にも出てきた人ですね。風間俊介が演ってました。

全然関係ねーよ。

もしかして「そうちゅう」かと思い、ググってみたら、曹沖と出ました。かの曹操の息子です。で故事を調べたんですが、なかなか聡明で性格もすばらしい人(子)だとわかりました。12歳で亡くなったらしいですけどね。
そういうわけで「曹沖」「泊まる」「家」というワードも関連付けてググったんですが、全然わからない。残念ですが、これも関係なしと結論しました。

仕方なく、他の訳文をあたったところ、「湘中老人」という人のことだとわかりました。専門家が言っているのでまちがいないでしょう。「湘中老人」というのが「黄老」(黄帝老子、またはその二人を祖とする道教の思想)の本が面白すぎて、読みふけってたら家への道を忘れてしまった、という故事が「列仙伝」という本に出てるらしいんですね。で、湘中老人の家族が帰宅を待ちかねていらいらすることがあったと。で、ワタクシそういう気持ちも忘れちゃったヨ、ということのようです。

これ、また例の清少納言の知識自慢ですね。「列仙伝」読んでますよ、そこに書かれてる故事、知ってますよ~的なやつです。いやぶっ込んでくるの、いいんですけど、正式名称、もしくはせめて漢字で書いといてくれよー、と思うのは私だけか?
最後の一文で数時間かかったじゃないですか。

今回は愚痴を言いながらで、すみません。次はちゃんとやります。


【原文】

 菩提といふ寺に、結縁の八講せしに、詣でたるに、人のもとより「とく帰り給ひね。いとさうざうし」と言ひたれば、蓮の葉のうらに、

もとめてもかかる蓮(はちす)の露をおきてうき世にまたはかへるものかは

と書きてやりつ。

 まことにいとたふとくあはれなれば、やがて泊まりぬべくおぼゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。


検:菩提といふ寺に

 

これで読破! 枕草子 上

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