枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

職におはします頃

 職の御曹司にいらっしゃる頃、八月十日過ぎの月の明るい夜、定子さまが右近の内侍(右近内侍)に琵琶を弾かせて端のほうにお座りになってるの。女房の誰かれは各々おしゃべりしたり、笑ったりしてるんだけど、私は廂の間の柱に寄りかかって、何もしゃべらず黙っていたら、「どうして、そんなに静かなの? 何か言って! 寂しいじゃない」っておっしゃるもんだから、「ただ秋の月の心を見ていたのです」って申し上げたら、「そうも言えるわね」っておっしゃるのよね。


----------訳者の戯言---------

右近の内侍(右近内侍)は、これまでにも出てきました。内侍というからには、後宮内侍司の女官であろうと考えらえます。一条天皇付きのスタッフなのでしょう。枕草子にはこれまでにも何度か登場しており、「うへに候ふ御猫は②」「うへに候ふ御猫は③」「職の御曹司におはします頃、西の廂にて③」「職の御曹司におはします頃、西の廂にて⑧」に出てきています。

また出ました。原文の「さうざうし(き)」です。テストに出るやつですね。騒々しいのかと思いきや、「物足りない」「心寂しい」という意味です。漢字は「索索し」。高校生のみなさん、先生の謀略にひっかからないようにしてくださいね。あと、入試の時も。

8月10日過ぎで、もちろん、これ旧暦ですから、仲秋の名月の頃です。
「仲秋」は旧暦の8月のことです。元々旧暦の7、8、9月を「秋」としていまして、7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋と呼んだそうなのです。で、そこから8月の十五夜月を「仲秋の名月」や「中秋の名月」と称するようになりました。

さて、この段、面白いのでしょうか。私はそれほどでもないと思います。短いですしね。短いのは訳する者からするとありがたいからいいんですけどね。

秋の月の心を見るというのは、自らを内省する行為であり、瞑想に近いかと思います。そのため無口になってしまっていたのだというわけでしょうか。いや、単にきれいだなーと情趣を感じていただけかもしれませんが。

しかし、清少納言のことですから、ついついその裏に何があるのか?と考えてみました。
関係あるのかどうかわかりませんが、「寒山詩」というのが中国・唐の時代に著されています。詩集みたいなもので、名前を見聞きしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。その中に次のような詩があります。一部抜粋ですが。

吾心似秋月 碧潭澄皎潔
(吾が心秋月に似たり 碧潭清くして皎潔たり)

意味は「私の心は秋の月に似てて 青緑の深い淵が清く澄みきっているようだ」という感じでしょうか。このあたりを意識していたとすれば、彼女が静かに黙ってしまっていた、というのもうなずける気はします。

この段には大したオチがありません。同様に私の戯言にもオチらしいものがなく残念です。


【原文】

 職におはします頃、八月十余日の月明かき夜、右近の内侍に琵琶ひかせて、端近くおはします。これかれもの言ひ、笑ひなどするに、廂の柱に寄りかかりて、物も言はで候へば、「など、かう音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに」と仰せらるれば、「ただ秋の月の心を見侍るなり」と申せば、「さも言ひつべし」と仰せらる。

 

NHK「100分de名著」ブックス 清少納言 枕草子

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