枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

御方々、君達、上人など

 定子さまのご家族の方々、若君さまたち、殿上人など、定子さまの御前に人がたくさんいらっしゃるから、廂の間の柱に寄りかかって、女房とおしゃべりなんかしてたら、何かの物を投げて下さったから、開けて見たら、「愛しましょうか、やめましょうか。一番じゃないのはどんな気分?」って書いてらっしゃるの。

 御前で雑談なんかをするついでに、「まったく、相手から一番に思われないって、いったい何になるのかしら、どうしようもない、だったらただすごく憎まれてひどい扱いを受けたほうがまだマシなんじゃないかなぁ。2番、3番なんかだったら死んだ方がいいわよ。やっぱ一番でいたいわよね」なんて言ったら、「一乗の法っていうことですね」とかって、女房たちもみんな笑う、例の話のつながりみたいね。

 定子さまが筆、紙なんかを下さったから、「九品蓮台の間には、下品(げぼん)といふとも」(九品蓮台の中に入れるんなら、下品(げぼん)でも十分なのです)なんて書いて差し上げたら、「やたらと気が滅入るような感じ。全然よくないわよ! 一度言い切っちゃったことは、そのまま貫くべきですよ」っておっしゃるの。「それは相手によって変わりますわ」って申し上げたら、「それがいけないの。一番愛してる人に一番愛されたいって思うべきでしょ!」っておっしゃるの、素敵だわ。


----------訳者の戯言---------

原文の「くんず」は「屈ず」です。「気が滅入る」とか、「しょげる」みたいな感じのようですね。

一乗の法。「乗」は彼岸に行く乗り物のことだそうです。「一乗」は第一の乗り物ということで、「法華経」を指すらしいです。2番、3番なんかダメ、一番でなくちゃって言ったので、これに例えて返したということなのでしょう。

「九品蓮台(くほんれんだい)の間には、下品(げぼん)といふとも」と出てきました。何だこれ。
極楽浄土には9つの階位があるとされているらしく、蓮の葉でできた台があるんだそうですね。これを九品蓮台と言うそうです。
まず上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つの段階があります。それをさらに3つずつに分けて9つのレベル(上上品・上中品・上下品・中上品・中中品・中下品・下上品・下中品・下下品)に分かれているそうです。
極楽浄土の九品蓮台のどれかに往生できるんだから、「下品」でもOKですよ、ということですね。

事業仕分けで「2番じゃだめなんですか?」と言ったのは蓮舫さんですね。
桜田さんがレンポウとわざと間違えてましたが、あの人はどうなったんでしたっけ? どうでもいいですか。

でも、定子さまはやはり2番じゃだめ、っていう意見のようです。
中宮定子と清少納言の相思相愛を、清少納言自らが書いている、気持ちのいいようなそうでもないような、個人的にはあきれてスルーしてもいいくらいです。

しかし枕草子ファンにはたまらない段でしょう(たぶん)。


【原文】

 御方々、君達、上人など、御前に人のいとおほく候へば、廂の柱によりかかりて、女房と物語などしてゐたるに、物を投げたまはせたる、あけて見たれば、「思ふべしや、いなや。人、第一ならずはいかに」と書かせ給へり。

 御前にて物語などするついでにも、「すべて、人に一に思はれずは、何にかはせむ。ただいみじう、なかなかにくまれ、あしうせられてあらむ。二三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ」などいへば、「一乗の法ななり」など、人々も笑ふことのすぢなめり。

 筆、紙などたまはせたれば、「九品蓮台の間には、下品(げぼん)といふとも」など、書きて参らせたれば、「むげに思ひ屈(くん)じにけり。いとわろし。言ひとぢめつることは、さてこそあらめ」とのたまはす。「それは、人にしたがひてこそ」と申せば、「そがわるきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ」と仰せらるるも、をかし。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

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枕草子評釈―しっかり古典を読むための

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