五月の御精進のほど⑥ ~夜うち更くる程に~
で、夜が更けてきた頃、彼がお題を出して、女房に歌をお詠ませになったの。みんな躍起になって、苦心して歌をひねり出してるんだけど、私は定子さまの近くに控えてて、お話し申し上げたり、別のことばっかり言ったりしてるのを、内大臣さま(藤原伊周)、ご覧になって、「何で歌は詠まないで、そんなに離れて座ってるの? 題を取って詠んでよ」って私にお題を下さろうとするんだけど、「定子さまからこれこれこのようなお言葉をいただいて、歌を詠まなくってもいいことになってますから、考えてもないんですよ」って申したのね。「おかしな話だよね。ホントにそんなことってある? どうして中宮さまはそんなことをお許しになったのかな。全然ありえないことだよ。よし、じゃあ他の時は知らないけど、今日の夜は詠んでよ!」なんて、私に強制してこられたんけど、きれいさっぱり聞き入れないでいたら、女房たちみんなが詠み出して、その出来栄えの良し悪しをジャッジしてる時、定子さまがちょっとしたお手紙を書いて、私にお投げになったの。見たら、
元輔が後と言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる(かの元輔の後継者と言われるあなたなのに、今宵の歌会の仲間たちからは外れてるのよね!!)
って書いてあるもんだから、最高に可笑しくってね。めっちゃ笑っちゃったから、「何ごとなの?何ごとなの?」って大臣もお尋ねになったのよ。
その人の後と言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし(元輔の子だと言われない身だったなら、今夜の歌会ではまず最初に詠みもしたんでしょうけどね)
って私、「(父の名声に)遠慮しなければ、千首の歌だって、今からでもするするっと出てくるでしょうけれど」って定子さまに申し上げたのね。
----------訳者の戯言---------
前回⑤の最後に登場したのは、内(うち)の大殿(おほいどの)、つまり内大臣の藤原伊周です。定子の兄であり、すなわち道隆の子です。実はまだ若いんですね、定子とは3歳くらいしか違いませんから。一条天皇の元に妹・定子が入内し、父・道隆の権力が絶大だった時に一気に昇進して内大臣になったということですね。
この頃の政治的な事情については「大進生昌が家に①」の訳者の戯言の部分に少し書いていますから、ぜひご参照ください。
原文で「けぎよう」とあります。「気清し=さっぱりしている」の連用形「けぎよく」の音便変化で「けぎよう」になっているようです。
さて、「庚申」の夜ですから、時間もたっぷりあり、定子のお兄さんがやってきて、お題を出しての歌会になりましたと。先日からのこともあり、清少納言、私は歌詠まないわよ、というスタンスでしたが。
結局、詠んでますがな。
【原文】
夜うち更くる程に、題出して、女房に歌よませ給ふ。みなけしきばみ、ゆるがし出だすも、宮の御前近くさぶらひて、もの啓しなど、こと事をのみ言ふを、大臣(おとど)御覧じて、「など、歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」とてたまふを、「さる事うけたまはりて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」と申す。「ことやうなる事。まことにさることやは侍る。などか、さは許させ給ふ。いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など、責め給へど、けぎよう聞きも入れで候ふに、みな人々よみ出だして、よしあしなど定めらるる程に、いささかなる御文を書きて、投げたまはせたり。見れば、
元輔が後と言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。いみじう笑へば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
「その人の後(のち)と言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし
つつむこと候はずは、千の歌なりと、これよりなむ出でまうで来まし」と啓しつ。
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