枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月の御精進のほど② ~かくいふ所は~

 目的地は、高階明順(たかしなのあきのぶ)朝臣の家だったの。「そこも見物しましょ!」って私が言って車を寄せて下りたのね。田舎風で、よけいな装飾もなくって、馬の絵が描かれた障子、網代張りの屏風、三稜草(みくり)の簾なんかで、特別に昔の雰囲気を出してるのよ。家の様子も頼りなさげで、廊下みたいに細長くって、幅が狭くて奥行きもないんだけど、風情はあってね。ほんとにうるさく思うくらいに鳴きまくるほととぎすの声を、定子さまにお聞かせできないのは残念、あんなに来たがってた人たちを差し置いて、とも思ったりもしたわ。

 「こういう所では、こういうことを見るといいでしょうね」って朝臣がおっしゃって、稲を取り出して、若くてこざっぱりとした下女や、近所の家の娘なんかを連れてきて、5、6人で稲こきをさせたり、また、見たことないくるくる回る器具を二人がかりで挽かせて、歌を歌わせたりするのが珍しくて、笑っちゃう。ほととぎすの歌を詠もうとしてたのも忘れちゃったわ。
 唐絵(からえ)に描いてあるような懸盤でお料理が出されたんだけど、誰も見向きもしなくって、家の主人(明順朝臣)は「すごく粗末なものですけどね。こんな所に来た都の人は、下手をすると主人が逃げ出しちゃうくらい、食べ物を催促してこられるんです。なのに全然手をつけないのでは、都から来た人っぽくないですよ」なんて言って、座をとりなして、(朝臣)「この下蕨は私が自分で摘んで来たんです」なんて言ったり、(清少納言)「どうして、こんな女官なんかみたいにきっちり並んで座ってるんでしょ??」とか言って笑ったら、(朝臣)「じゃあ、懸盤から下ろしてお召し上がりくださいよ。いつも腹ばいに慣れてらっしゃる方たちですからね」って、お食事の準備で騒いでるうちに、従者が「雨が降ってきました!」って言うもんだから、急いで車に乗って。「さあ、ほととぎすの歌はここで詠みましょうよ」なんて言うんだけど、「それはまあ、そうなんだけど、道中でもいいじゃないですかぁ」なんて言って、みんな車に乗っちゃったのよね。


----------訳者の戯言---------

まず行ったのは、高階明順(たかしなのあきのぶ)の家でした。明順は定子の母(高階貴子)方の伯父にあたります。京都の郊外の別荘だったらしく、建物の造りやインテリアをあえて田舎風、カントリーテイストにしてあったようですね。

八色の姓(やくさのかばね)という制度があり、「真人」=皇族というのが最高位なんですが、その次の「朝臣」というのが、皇族以外の臣下の中では事実上一番上の地位にあたるとされています。まあ、当時の身分制度の基礎になっていた要素の一つと言えるでしょうか。かの在原業平がたしか朝臣だったと思います。

網代」は木や竹を編んだものです。「網の代わり」と書いたわけですから、形状は想像できますね。「枕草子」には実はこれまでにも何回か出てきていて、「春の網代」なんていうのが書かれた段もありましたね。本来、冬に使うべき漁業用の仕掛けでした。「網代車」という牛車もありました。檜の薄板を網代に組んで屋形を覆った車ということでしたね。

三稜草(みくり)は、「池は」の段で出てきました。「ミクリ科の多年草。各地の池や溝などの浅い水中に生える。高さ六〇~九〇センチメートル。地下茎がある。葉は根ぎわから生え剣状で基部は茎を抱く。六~八月梢上に小枝を分け球状の白い花穂をつける。雄花穂は花軸の上部に群がってつき、雌花穂はその下部にまばらにつく。果実は卵球形で緑色に熟す。茎でむしろなどを編む。漢名、黒三稜。やがら。三稜。」となっていました。(精選版 日本国語大辞典
今回出てきた三稜草は、筵(むしろ)ではなく、簾にしたようですね。

原文にある「くるべく」は漢字では「転べく」と書きます。「くるくる回る」という意味らしいです。

「懸盤(かけばん)」は、食器をのせる台だそうですね。

下蕨は、春、草の下などに生え出た小さいワラビのことだそうです。おいしいです(たぶん)。

さて、ほととぎすの声を聴きにドライブ!の②です。
定子さまの伯父様、高階明順朝臣のお宅で、結構遠慮なくやってます、この御一行。お米を挽くとこをみせてもらったり、カントリーライフをちょっぴり体験。田舎風のお料理もね。
とかやってると、歌を詠むのを忘れてました。ほととぎすの声を聴いたら歌を詠む、というのは、当時の都の貴族においてはワンセットですから、ここで詠んでおかないとねという感じですか、いやいやまあ、車の中で詠んでもいんじゃね?という意見も。

③に続きます。


【原文】

 かくいふ所は、明順(あきのぶ)の朝臣の家なりけり。「そこもいざ見む」といひて車よせて下りぬ。田舎だち、ことそぎて、馬の絵(かた)かきたる障子(さうじ)、網代あじろ)屏風、三稜草(みくり)の簾(すだれ)など、ことさらに昔のことを写したり。屋(や)のさまもはかなだち廊(らう)めきて端近(はしぢか)に、あさはかなれどをかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたるほととぎすの声を、口をしう、御前に聞こしめさせず、さばかり慕ひつる人々をと思ふ。「所につけては、かかる事をなむ見るべき」とて、稲といふものを取り出でて、若き下衆どものきたなげならぬ、そのわたりの家のむすめなど、ひきゐて来て、五六人してこかせ、また見も知らぬくるべくもの二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくて笑ふ。ほととぎすの歌よまむとしつる、まぎれぬ。唐絵(からゑ)にかきたる懸盤(かけばん)して、もの食はせたるを、見入るる人もなければ、家のあるじ、「いとひなびたり。かかる所に来ぬる人は、ようせずは、あるじ逃げぬばかりなど、責め出だしてこそ参るべけれ。無下にかくては、その人ならず」などいひて、取りはやし、「この下蕨(したわらび)は、手づから摘みつる」などいへば、「いかでか、さ女官などのやうに、着き並みてはあらむ」など笑へば、「さらば、取りおろして。例の、はひぶしにならはせ給へる御前たちなれば」とて、まかなひ騒ぐ程に、「雨ふりぬ」といへば、急ぎて車に乗るに、「さて、この歌はここにてこそ詠まめ」などいへば、「さはれ、道にても」などいひて、みな乗りぬ。

 

日本の古典をよむ(8) 枕草子

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