枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

日は

 日は、入り日ね。日が沈み込んでしまった山の端に、光がまだ残ってて赤く見えてるところに、薄い黄色っぽくなった雲がたなびいている様子には、すごくしんみりしちゃうの。


----------訳者の戯言---------

日は日没のがいいと言ってます。というか、日そのものではなくて、空の様子です、もはや。たしかに日中は太陽というのは眩しくて見えませんからね。それに紫外線も多いですし。女子からするとお肌にもよくありません。

というわけで、「日」といえば、太陽光線が強くなる季節です。
目には見えない太陽光の代表格として挙げられる紫外線(UV=Ultra Violet)ですが、大きく分けてUVAとUVBの2種類があります。波長が長いのがUVAで、波長が短いのがUVBだそうですね。実はUVCというのもありますが、これは地上には到達しないのだそうです。
最も波長が短いのがUVCで、いちばん長い、つまり可視光線に近いのがUVAということになります。


紫外線の効果は、概ね波長が短いほど有害とされています。その理由は、波長の短い光のうち特にUVCの光は細胞のDNAにダメージを与えるために、細胞が死んだり、突然変異を起こすからだと考えられています。
UVCの次に細胞のDNAにダメージを与え、シミを発生させるのがUVBです。UVBを受けた肌は炎症(赤くなる)を起こし色素沈着(黒くなる)します。一方、UVAは、一時的に皮膚を黒く(即時型黒化)し、UVBによる炎症から守る働きをしますが、その後肌は元の肌色に戻ります。

で、肝心のUVケア商品ですね。
毎年UVカット用のクリームやジェル、ローション、ミルクなどを買われると思いますが、何となーく数字がデカいほうがいいような気がして買ってしまいます。SPF50+ PA++++とかね。
どういうことなんでしょうね。

まず、SPFですが、「紫外線防御指数」のことをこう言うそうです。なんのこっちゃ。UVBを浴びて、肌が赤くなるまでの時間を何倍に延ばせるかを表したものだそうですね。たとえば、10分で赤くなる人がSPF50を使うと10分×50倍=500分。約8時間は防止できることになるそうです。
しかしこんな長いこと外出しませんし。朝から晩まで外で遊びませんし。というわけで、高いし案外無駄かも。それにSPF値が高いほうが肌への負担も大きくなる可能性もあります。
つまり、SPF20~30くらいのもので良いので2~3時間おきに塗り直してもいいのかもしれません。

PAは「UVA防御指数」。UVA波の防止効果を示したものだそうです。明確な基準がないので、数値ではなく“+”の4段階表示なんだそうですね。
それに。UVAってあまり害が無い、と先にも書きましたしね。ですから、何かどうでもよさそうです。PAとやら、+があればいい、ぐらいのもかもしれません。


というわけで、横道に大きく逸れましたが、日没の頃の太陽、夕日にはUVBが含まれていないそうです。
その辺はさすが清少納言。日は「入り日」と。女子力高めです。なわけないか。
ま、当時の女子がUVケアにこだわっていたのかどうかわかりませんが、どちらにせよあまり肌の露出はしていませんでした。もちろん顔も。ですから、結果的にUVケアはできていたのでしょう。もちろん色白が美人の条件でしたしね。

そろそろ季節ですし今回はついUVケアのことに行数を使ってしましました。私も何が言いたいのかわかりませんが、みなさまご参考に。


【原文】

 日は 入日。入り果てぬる山の端に、光のなほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

  • 発売日: 2015/03/17
  • メディア: 単行本
 

 

雪は

 雪は、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に降るのがすごく素敵なの。少し消えそうになっている時がね。また、そんなに多くも降らない雪が、瓦の継ぎ目の一つ一つに入り込んで、瓦が黒く丸く見えるのが、とても面白いのよね。
 時雨(しぐれ)、霞(あられ)は、板葺きの屋根に降るのがいいの。
 霜も板葺きの屋根、庭に下りるのがいいわね。 


----------訳者の戯言---------

檜皮葺(ひわだぶき)は、檜(ひのき)の樹皮を使って屋根を葺く方法です。
この時代には、私的な建築物では檜皮葺が用いられたそうで、例えば朝廷の公的な儀式の場である大極殿は瓦葺きでしたが、天皇の私邸である紫宸殿や清涼殿は檜皮葺とのことです。また貴族の私邸である寝殿造も檜皮葺だったそうです。

瓦が丸く黒く丸く見えるってどういうことよ?と思いましたが、瓦と瓦の継ぎ目を雪が埋めて、その四角の角や縁を見えなくしてるんでしょうか、それで、結果的に雪のない瓦の部分が黒く丸い形に残って見えるということなのだと思います。


時雨(しぐれ)というのは、主に秋から冬にかけて一時的に降ったり止んだりする雨のことを言うそうですね。

時雨といえば、つくだ煮でしぐれ、またはしぐれ煮というのがありましたが、なぜその名がついたのか?
諸説あるようですね。①さまざまな風味が口の中を通り過ぎることを時雨が一時的に降る様子に見立てたことから ②ハマグリの旬が時雨の降る時期と重なることから ③短時間で仕上げる調理法が時雨に似ていることから
だそうです。たしかに生姜が入っていて味に変化がありますね。そもそもはハマグリのつくだ煮だったそうです、しぐれ煮というのは。

なるほど。あまりひどく濡れないタイプの雨や霰のように液体感が少ないものは、板葺きがいいって言うわけですね。霜も板葺きの屋根、そして庭に霜が降りるのもいいと。割と普通なんですが。庭の霜。


前段の続きのような話です。今度は、清少納言的にそれぞれどこに降るのがいいか?ということですね。


【原文】

 雪は、檜皮葺(ひはだぶき)、いとめでたし。少し消え方になりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをかし。

 時雨・霰は 板屋。

 霜も 板屋。庭。

 

枕草子REMIX(新潮文庫)

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降るものは

 降るものは、雪。そして霰(あられ)。
 霙(みぞれ)はイヤなものだけど、白い雪が混じって降るのはいかしてるわ。


----------訳者の戯言---------

今回は「降るもの」です。降るものといえば雨と雪と霰(あられ)、霙(みぞれ)、あとは雹(ひょう)ぐらいでしょうか。

良い「降るもの」ですから、やはり雪やあられですね。みぞれも雪混じりのほうのみぞれですね。水っぽいやつはダメみたいです。
雨とかはやはり鬱陶しいんでしょうね。

では、他に降るものはないのでしょうか? 考えてみました。

そう言えば、光が降り注ぐ、とか言いますね。
物騒ですけど、槍が降るとか。あと、火山灰が降るとかですか。

星が降るとか言いますね。例えですけど。ムード歌謡っぽいですね。

花粉は降るとは言わないですかね、舞うでしょうか。
黄砂は降るでいいでしょうね? PM2.5はどうでしょうか。

というわけで、降るもの。

概ね、質量の大きなものが「降る」には相応しい感じがしますね。比較的軽いもの、揚力浮力のあるものは、舞う、飛散する、という言い方の方が合っている気がします。
光とか星のように比喩的に使うものは質量、比重にはあまり関係がないかもしれませんね。

では、桜のような花びらはどうでしょうか。あいみょんの歌で「桜の降る夜は」という歌がリリースされています。普通は、舞う、散る、と表現するのでしょうけど。ケツメイシコブクロもそうだったと思います。ただ、花びらでも量が多いと「降る」と表現してもいいのかもしれません。

桜蕊降る(さくらしべふる)という言葉があります。だいたいは、今は俳句とかの季語として使われる言葉のようですね。
桜の花びらが散ったあとに、萼(がく)と蕊(しべ)が花柄(かへい※「はながら」ではありません)とともに落ちることをこう表しました。花柄(かへい)っていうのは、花梗(かこう)とも言うんですが、花を支えている茎のような部分です。枝と花を繋いでいるところというか。

で、この桜の蕊が落ちて地面を赤く染める様子に美しさを見出だした言葉がこの「桜蕊降る」なんですね。蕾でもなく、五分咲きでもなく、満開でもない。花が散った後にまた心動かされるものがある、というのは、ちょっといいなと思いますね。
今年も桜が咲き始めました。さて今年、私はどんな桜を見るのでしょうか。
本文訳と全然関係なかったですね、すみません。


【原文】

 降るものは 雪。霰(あられ)。霙(みぞれ)はにくけれど、白き雪のまじりて降る、をかし。

 

 

岡は

 岡は、船岡(ふなおか)。片岡。鞆岡(ともおか)は、笹が生えてるのがいかしてるわ。かたらいの岡。人見の岡。


----------訳者の戯言---------


船岡は現在の船岡山です。京都市北区にありますが、これまでにも何度か出てきました。「野は」の段でも紹介しましたね。現在の船岡山は、緩やかな道を登って行くと広い公園があります。地元・北区の住人たちの憩いの場なのだそうです。


片岡は、「原は」の段に出てきました。詳細は「原は」に書いていますのでご参照いただきたいのですが、「あしたの原」という原とセットで扱われる、良いところらしいです。

かの柿本人麻呂は次のような歌を詠んだそうですが、そのあたりです。

明日からは若菜つまむと片岡のあしたの原はけふぞ焼くめる
(明日からは若菜を摘もうってことで、あしたの原は今日、野焼きをするんだろうかな?)


鞆岡(ともおか)というのは今の長岡京市にあります。元々は観賞用とされていた孟宗竹が昔から有名だったそうで、今は長岡京市というとタケノコの産地としても有名ですね。

梁塵秘抄」に、

この笹は何処の笹ぞ舎人らが 腰に下がれる鞆岡の笹
(この笹はどこの笹なんだろう?? 舎人(とねり)達が腰に下げてた鞆岡の笹ですよ)

という神楽歌があるそうです。ということで、笹のある風景がいかしてたのでしょうね。


かたらひの岡というのは、語らひ?の岡ということでしょうか。どこにあるかはよくわかりませんでした。語らふ、というのは、親しく語り合うこととか、じっくり話し合うことを言いますから、そういうネーミングの岡が興味深かったのでしょう。


人見の岡というのは、京都の嵯峨野にあったらしい岡です。
住吉物語」に

手もふれで今日は余所にて帰りなむ 人見の岡のまつのつらさよ
(手も触れないで、今日はお互いに知らなかったことにして帰りましょう。人見の岡で待っておられた少将殿を恨めしく思いながらも)

という歌が出てきます。
住吉物語」というのは、継子いじめの物語の代表作と言われています。シンデレラ的な物語ですね。その中で、主人公の姫君が、この物語のお相手となるプリンスと初めてまみえた時に、詠んだ歌なんですね。
それぞれにその存在は知っていた二人、プリンス(男君)=少将はかつて彼女の噂を聞いてたびたび恋文を送っていましたが、継母が自分の実の娘(つまり腹違いの妹)と結婚させてしまったのです。

正月のある日、姫君と二人の腹違いの妹は嵯峨野に出かけました。そこで先回りしていた男君は初めて姫君を目の当たりにし、恋心を再燃させるのですが、その嵯峨野での歌のやり取り、その中の一首がこの歌なのですね。


しかし、そもそも岡って何?丘とは違うの?と思いますが、実はほとんど同じです。小高いところを「おか」と言います。漢字はどっちでもいいんですよ。高さ的には山とまでは言えないところですかね。
現代はたいてい丘が使われていて、岡のほうは固有名詞に使われてることが多いです。

というわけで。ま、いつものとおり、イイ感じの岡ってこれよ!という段でした。


【原文】

 岡は 船岡。片岡。鞆岡(ともおか)は、笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡。人見の岡。

 

 

 

細殿の遣戸を

細殿の遣戸をめちゃくちゃ朝早い時間帯に押し開けたら、御湯殿(おゆどの)の馬道から下りてくる殿上人の着崩れした直衣、指貫がひどく綻(ほころ)んでて、色々な衣がはみ出してるのを押し込んだりなんかして、北の陣のほうに歩いてくんだけど、開いてる戸の前を通り過ぎるってことで、纓(えい)を前面に引き倒して顔を隠して行っちゃうのも面白いわ。


----------訳者の戯言---------

細殿(ほそどの)というのは、殿舎の「廂の間」の中でも、細長いもののことを言ったようです。仕切りをして、女房などの居室(局)として使ったらしいですね。廂の間は母屋の外側に付加されてる部屋。「廂」というのは「ひさし」のことなのですね。
遣戸というのは引き戸のことです。

「とう」は、「とし」つまり「早い」「速い」の意味の「疾し」の連用形「とく」の音便変化だと思います。

御湯殿(おゆどの)というのは、清涼殿の北西、後涼殿に続く渡殿 (わたどの) にある、天皇が沐浴する部屋。

馬道(めどう)っていうのは殿舎と殿舎を結ぶために造られた厚板を敷いた簡単な通路のことを言いました。馬を中庭まで引き入れるときに、その一部を取りはずせるようにした切馬道(きりめどう)というのもあったようですね。

北の陣というのは、今内裏の東の門のこと。「今内裏」はそう言えば結構最近出てきましたね。「一条の院をば今内裏とぞいふ①」でした。
といっても、しばらく私がサボってましたから、最近でもないんですが。

纓(えい)というのは、冠の後ろに垂れている部分。昔の装束で帽子みたいなのに付いてる長細いぴらぴらしたやつです。帽子じゃなくて冠なんですけどね。

というわけで、前々段あたりから、「とある日常の中で見た印象的なワンシーン」みたいな段が続いていて、これもその一つ。「とある」といえば「とある魔術の」とか「とある科学の」ですが、割と好きです。白井黒子とか。

久しぶりにアップしたのですが、少しずつでもいいからサボらずにやっていかないといけないなぁと思っています。反省。


【原文】

 細殿の遣戸をいととうおしあけたれば、御湯殿(おゆどの)に馬道(めだう)より下りて来る殿上人、なえたる直衣・指貫の、いみじうほころびたれば、色々の衣どものこぼれ出でたるを押し入れなどして、北の陣ざまにあゆみ行くに、あきたる戸の前を過ぐとて、纓(えい)をひき越して顔にふたぎて往ぬるもをかし。

 

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

雪高う降りて

 雪が高く積もるぐらい降って、今も相変わらず降り続いてるんだけど、五位の人も四位の人も端正で若々しい人が袍(うへのきぬ)の色がすごくキレイで、石帯(せきたい)の痕(あと)がついてるのを、宿直姿(とのいすがた)の腰にたくし上げて。紫の指貫も雪にいっそう引き立てられて色の濃さが際立って見えるのを着て、袙(あこめ)は紅か、そうじゃなかったら、ハッとするような山吹色のを外にチラ見せしてね、傘を差してるんだけど、風がすごく吹いて横なぐりに雪が吹きつけてくるもんだから、傘を少し傾けて歩いて来たら、深沓(ふかぐつ)や半靴(ほうくか)なんかのはばきまで雪がすごく白く降りかかっているのは、おもしろく思えるわね。


----------訳者の戯言---------

袍(うえのきぬ/ほう)。上着のことです。

帯というのは、この時代には、束帯姿で袍につける革ひものことを言ったそうです。石帯(せきたい)ですね。黒漆を塗った牛の皮に、玉、瑪瑙(めのう)、犀角(さいかく)、烏犀(うさい)などの飾りを付けたもの。
犀角というのは、サイの角なんですね、あの動物のサイ。白いのと黒いのがあって、黒色のものを烏犀(角)と言ったらしいです。

宿直姿(とのいすがた)というのは宿直装束 (とのいそうぞく) をつけた姿。略式の衣冠または直衣(のうし)で、束帯(そくたい)より軽装だったようです。

「ひきはこえ」は「ひきはこゆ」の連用形です。衣服の裾(すそ)をたくし上げることをこう言いました。

衵(あこめ/袙)は、「男性が束帯装束に着用するもの」とか「宮中に仕える少女が成人用の袿の代用として用いたもの」とのことです。ここでは男性のですね。いちばん外側に着る着物のさらに中に着るやつです。

原文の「おどろおどろしき」です。時々出てきますね。
「おどろおどろし」の連体形です。古語では「おおげさな」という意味。もしくは「ものすごい」くらいの感じでしょうか。「いかにも恐ろしい」「気味が悪い」という意味もあったようですが、今に至ってはこっちのほうだけが残った感じです。以前も書いたのですが、夢野久作横溝正史江戸川乱歩の小説の雰囲気ですね。

深沓(ふかぐつ)というのは、革で深く作った沓(靴)だそうです。黒漆を塗り、雨や雪のときにはいたらしいですね。ショートレングスのレインブーツみたいなものでしょうか。HUNTERとかのショートブーツ、みたいな感じですかね、違いますか。
で、半靴(はうくわ/ほうか)です。深沓(ふかぐつ)を簡略化したもので、やや浅くて、金具つきの靴帯がないらしいんですね。ショートブーツに対して、こちらはブーティって感じでしょうか? ブーティはくるぶしが見えます基本。で、画像を調べてみたんですが、半靴も深沓もショートブーツですね。そんな変わらないです。ただ、くるぶしが見えるショートブーツをブーティって言って売ってるのもありますから。どっちにしろ細かいこと、言っちゃだめってことでしょうかね。

「はばき」っていうのは、外出するとき脛(すね)に巻き付けたものらしいです。後世には脚絆(きゃはん)と言われるようになりました。

さて、この段は、ある大雪の日の光景です。
バックグラウンドが白ですから、色の鮮やかな衣が際立つんですね。脛当てが雪で白くなるするぐらい吹雪いているというのが、いかしてるぅ、ってことなんですね。いわゆる叙景的な描写をした段です。たぶん教科書的に言うと、清少納言が目にしたものを感じたものをそのままにビビッドに描いた的な文章、となるのでしょうけど、私の評価はそれほど高くないです。清少納言は「をかし」でしたが、私はあんまりおもしろくなかったです。


【原文】

 雪高う降りて、今もなほ降るに、五位も四位も、色うるはしう若やかなるが、袍(うへのきぬ)の色いと清らにて、革の帯の形(かた)つきたるを、宿直姿に、ひきはこえて、紫の指貫も雪に冴え映えて、濃さまさりたるを着て、袙の紅ならずは、おどろおどろしき山吹を出だして、傘(からかさ)をさしたるに、風のいたう吹きて横さまに雪を吹き掛くれば、少し傾ぶけて歩み来るに、深き沓・半靴(はうくわ)などのはばきまで、雪のいと白うかかりたるこそをかしけれ。

 

 

身をかへて、天人などは

 生まれ変わって天人になるなんていうのはこういうことなのかしら?って見えるものは、普通の女房としてお仕えしてる人が御乳母になった場合ね。唐衣(からぎぬ)も着ないで、裳(も)だって、オーバーに言うとしたら着けてないような格好で、御前で添い寝をして、御帳台の中を居場所にして、女房たちを呼びつけて使い、自分の局(部屋)に用事の使いを出したり、手紙を取り次がせたりなんかしてる様子は、言葉で表しきれないくらいだわ。

 雑色(ぞうしき)が蔵人になったのも、素晴らしいわ。去年の十一月(しもつき)の臨時の祭に御琴(みこと)を持ってた時は一人前とは思えなかったけど、若君たちと連れ立って歩く様子を見たら、どこの人なの?ってさえ思えちゃう。でも他の部門から蔵人になった場合なんかは、そんなにすごくは思わないの。


----------訳者の戯言---------

女房というのは、袿(うちき/うちぎ)、内衣、表衣(うわぎ)などの上に唐衣(からぎぬ)と裳(も)を着けて正装としたわけですが、唐衣は、その女房装束(十二単)の一番上に着用する、腰までの長さの短い上衣です。裳はボトムスですね。巻きスカートみたいなやつです。
この二つを着ないでいる、ということは、ま、正装からするとだらしない感じなのかもしれませんが、家のリビングで下着で過ごしてるほどではありませんね。下にちゃんと服を着ているわけですから、それほどびっくりするほどのことではないと思います。なのに、清少納言がわざわざ書いているということは、まあ女房としてはそこそこのラフさ加減なんでしょうね。

雑色(ぞうしき)は文字通り雑用係です。無位の下級役人とされていますが、中には優秀で蔵人になる人もいたのでしょう。

神社にはそれぞれの例祭ではなく、臨時に行なう祭があります。単に「臨時の祭」というと特に、毎年旧暦11月、下(しも)の酉(とり)の日に行なう賀茂神社の祭のことを言うことが多いようですね。特に十一月と出てくると賀茂の臨時祭となります。

そういえば「なほめでたきこと」という段が前にありましたが、あれは春で石清水八幡宮の臨時祭の頃のことでした。


で、今回はそもそもそれほどでもなかったけど、一気に出世をした人のことを書いています。しかし御乳母については、これ結構disってませんか? なんか必要以上に感じ悪く書いてるような気がします。ま、成り上がりというか、そういう部分もあったのかもしれません。元々同クラスの立場だったのが、上役になって、偉くなったものよね的な妬みみたいなものが感じられます。

蔵人は蔵人所の雑色が蔵人になった場合は絶賛。ただ、他の部署から蔵人になってもそれほどではないらしいです、清少納言的には。ジョブローテーション的に蔵人になるよりは、蔵人所生え抜きのほうがいい、ということですかね。他部署から来た人を差別してますね。内勤から営業に転属してきた人をイジメたり、逆に営業販売から総務とかに行ってイジメられたりするの、昭和的ですね。もっと昔ですか。
蔵人所は帝の側近部門として特別感があるのでしょうから、ジョブローテーションでやってくる人もエリート候補のはずなんですけどね。
ま、今の民間企業で言うと、社長室のスタッフみたいなものでしょうか。文中にもありましたが、長くいると将来の幹部候補(君達)とも懇意になれるというメリットがありそうです。


【原文】

 身をかへて、天人などはかうやあらむと見ゆるものは、ただの女房にて候ふ人の、御乳母(めのと)になりたる。唐衣(からぎぬ)も着ず、裳をだにも、よう言はば着ぬさまにて御前に添ひ臥し、御帳のうちを居所(ゐどころ)にして、女房どもを呼びつかひ、局(つぼね)にものを言ひやり、文(ふみ)を取りつがせなどしてあるさま、言ひつくすべくもあらず。

 雑色(ざふしき)の蔵人になりたる、めでたし。去年(こぞ)の十一月(しもつき)の臨時の祭に(=雑色が)御琴(みこと)持たりしは、人とも見えざりしに、君達(きんだち)とつれだちてありくは、いづこなる人ぞとおぼゆれ。(=雑色の)ほかよりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。


検:身をかへて天人などは

 

枕草子

枕草子

  • 作者:清少 納言
  • 発売日: 2018/05/16
  • メディア: Audible版