枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

読経は

読経は、不断経(絶え間なく読み続ける経)。


----------訳者の戯言---------

不断経というのは、24時間、昼夜間断なく経文を読むことらしい。特に「大般若経」「最勝王経」「法華経」などを一定期間にわたって読んで、安産や病気治癒の祈願、亡くなった方の供養等々をすることがあったそうです。

短いです。
読むのが楽でいいですね。不断経というものも聞いたことがないのでよくわからないです。しかし、おもしろいのかどうかわかりません。


【原文】

 読経は 不断経。

 

 

たのもしげなきもの

 頼りなさそうなもの。
 飽きっぽくて、妻のことをほうったらかしにしてしまいがちな婿が、ほとんど夜に寄りつかない事態。嘘つきの人が、それでも人の願いをかなえるような顔して大切なことを引き受けるの。
 風が強いのに、帆を上げてる舟。70~80歳の人が具合悪くなって、何日も経ってる時。


----------訳者の戯言---------

頼りなさげなもの、信用できないもの、あぶなっかしいもののあるある、という感じですか。
もっと言うと、それアカンのちゃうん? ていうか、ヤバイんちゃうん? ダメダメーっていうレベルですね。

まじめな話。
今回の新型コロナウィルス感染でも、70歳代、80歳代の方は重症化することが多いそうで。具合悪い状態が続くと心配なのは今も同じです。もはや悠長なことを言ってる場合ではないし、もちろん、もっと若い方でも重症化することがあるようなので、気をつけなければいけません。
現在は私も外出を控えていますから、このブログの更新自体はかなり進んでいます、良いことなのか悪いのかわかりませんが。今は「外出しないこと」がやるべきこと。積極的なstay homeということで、粛々と過ごしたいと思います。


【原文】

 たのもしげなきもの 心短かく、人忘れがちなる婿の、常に夜離れする。そら言(ごと)する人の、さすがに人の事成し顔にて大事請(う)けたる。

 風はやきに帆かけたる舟。七八十ばかりなる人の、心地あしうて、日頃になりたる。

 

 

昔おぼえて不用なるもの

 昔は評判が良かったけど今は役に立たないものっていうと…。
 繧繝縁(うげんべり)の畳が劣化して節が出てきてるの。唐絵(からえ)の屏風が黒ずんで、表が破れたもの。絵師の目が見えなくなってるの。7、8尺(2.1~2.4m)の鬘(かつら)が赤く褪色したもの。海老染めの織物が色あせてくすんできてるの。色好みの人が年老いて衰えちゃったの。
 風情のある家の木立が焼失しちゃったの。池なんかはそのまま残ってるけど、浮草や水草なんかが茂ってしまってね。


----------訳者の戯言---------

原文には、繧繝(うげん)ばし、とありますが、今は「繧繝縁(うげんべり)」というのが一般的なようです。
最も格の高い畳縁で、天皇、皇后、上皇、皇太后などが使うものだそうで、めちゃくちゃカラフルです。現在は皇室一般で使われてるらしい。当然といえば当然ですが、雛人形でも使われてます。神仏像などでも使うそうですね。

畳の節というのは、こぶのように盛り上がってるところのことを言うらしいです。そんなところがあるのかどうか知りませんが、まああるんでしょう。そもそも平安時代の畳がどういう構造だったのか、調べてみたのですが、よくわかりませんでした。

唐絵(からえ)というのは、当時の中国風の絵です。唐絵は高級品だったんでしょうね。

尺というのは長さの単位で、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、1尺=約30cmです。なので、7~8尺というと、2.1m~2.4mほどです。そんな鬘(かつら)、いるんですか?
と思いますが、平安時代の貴族の女性はめちゃくちゃ髪が長かったようですから、別に普通です。

科学的根拠に基づくと、概ね毛髪は1日に0.03mm~0.05mm伸びるのだそうです。ということはひと月に約1cm~1.5cmほど伸びるということになります。となると、年に長くても20㎝がMAXかと思います。そして概ね頭髪は4~6年で生え変わるそうです。伸びる速さも、1本の毛髪の寿命も個人差があるでしょうけど、だいたいこんな感じらしいですね。ですから、普通はロングヘアの人でも1mあまりまでしか伸ばせないというのが、妥当なところだと思います。

しかし、平安絵巻などを見ると、1mどころではありません。当時の成人女性は平均身長140cmぐらいだったらしいですが、身長とおんなじくらいとか、それ以上にある感じに見える人もます。ほんまか?
絵ですからね、誇張もあるかもしれませんし、個人差もあるかもしれません。
ちなみにギネスブックには、日本人ではありませんが、8mぐらいの髪の毛の人が世界一のロングヘアとして載っているそうですから、ありえないわけではないんでしょう。平安時代には、生まれてから一回も髪を切らなかった人なんてのもいるそうですからね。これもちょっと嘘っぽいですが。

とはいえ、2メートルぐらいのカツラは確かにあったんでしょうね。いくらなんでも清少納言もそこまでのウソは書かないでしょう。
しかしまた、ここで謎です。当時のカツラは人毛でしたから、やはりそれだけ長い髪の毛の人がいたということでしょうかね。亡くなってた人から髪の毛を取って鬘を作った、とかいう話もありますから。ちょっと怖いですけど。
で、そのカツラが色褪せて赤くなってきたのはアカンということですね。今は人毛ウィッグも化学繊維の人工毛ウィッグも両方あるのでいいですね。人毛のウィッグは褪色はありますが、現代の技術を使えば再度毛染めをしてリカバリーすることが可能だそうです。

葡萄(えび)染めは、もちろん「ぶどうぞめ」ではありません。。古代から日本に自生していた「葡萄葛(エビカズラ)」で染めた織物ということです。葡萄葛っていうのは、簡単に言うと「ヤマブドウ」の昔の呼び方なんだそうですよね。「葡萄」だけでも「えび」と読みました。江戸中期頃から一般には「ぶどう」と読むようになったらしいですがむしろ元々「えび」のほうが正しかったのです。なので、中世以前は当たり前に「えび=紫」だったわけですね。
色味としては、割とバランスのとれたオーソドックスな紫色という印象です。

江戸時代中期の学者で、政治家でもあった新井白石によれば、そもそも海老(えび)の名前の由来が「海にいる伊勢海老の色が山葡萄の色に似ているから」としているそうです。ちょっとあやしいけど。
そもそも、新井白石って何?って感じです。品川庄司とか、ますだおかだみたいなもんですか。いえ違います。「あらいはくせき」と読みます。知ったかぶりみたいですみません。

色好みというと、今で言うと、好色、セクハラオヤジ的な人を想像しますが、古典においては、もう少し繊細なメンタリティを表すようです。つまり、恋愛の情趣、異性の心の機微を理解し、情が深く、洗練された恋のできた人のことを「色好み」と言ったそうですから。例えば色好みの代表と言われ、生涯3700人以上と契ったともされる在原業平ですが、単にそのような行為を好んだわけではなく、老若を問わず、細やかな情をもって女性に接した恋愛マスター、粋な人でもあったとされています。

つまり、そうしたセンス、エネルギーを含めての「色好み」であるという点は、押さえておくべきでしょうね。

したがって、原文にある「くづほる」という語も、「衰えること、元気がなくなること」を表すようですが、気力、体力のパワーダウン、どちらのことも言っていると考えていいでしょう。


【原文】

 昔おぼえて不用なるもの 繧繝(うげん)ばしの畳のふし出で来たる。唐絵の屏風の黒み、おもてそこなはれたる。絵師の目暗き。七八尺の鬘(かづら)の赤くなりたる。葡萄(えび)染めの織物、灰かへりたる。色好みの老いくづほれたる。

 おもしろき家の木立焼け失せたる。池などはさながらあれど、浮き草、水草など茂りて。

 

枕草子 いとめでたし! (朝日小学生新聞の学習読みもの)

枕草子 いとめでたし! (朝日小学生新聞の学習読みもの)

  • 作者:天野慶
  • 発売日: 2019/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

弘徽殿とは閑院の左大将の

 弘徽殿(こうきでん)っていうのは、閑院の左大将(藤原公季)のお嬢様で女御の義子さまのことをそのように申し上げるの。その方に「うちふし」っていう者の娘で左京という名前の人がお仕えしてたんだけど、その人と「源中将が付き合ってるのよね」って女房たちが笑うの。

 定子さまが職の御曹司にいらっしゃるところに源中将(宣方)が参上して、「時々は宿直なんかでもお仕えすべきなんですが、そうできるように女房たちも取り計ってくれないし、かなりこちらにお仕えするのがおろそかになってしまってます。せめて宿直の部屋でも用意して下さったら、めちゃくちゃ忠実にお勤めするんですけどね」って言って座っていらっしゃったから、女房たちが、「ホントにぃ??」とかって答えるの、で、私、「ホント、人っていうのは『うち伏し』て、休むところがあるのがいいんだわよねぇ。そういうトコにはしょっちゅうお通いになってらっしゃるそうですものね!」って、横ヤリを入れたからって、「あなたには何も言わない。味方だって頼りにしてたら、他人が言い古した噂話を本当っぽくおっしゃるようだからね!」とかって、すごく真剣にお怨みにになるから、「あれれ、おかしいわね。どういうことを申し上げたかしら? まったく気にさわるようなことは申し上げてませんし」なんて言ったの。で、そばにいた女房に話を振ったら、「そんなdisするようなことは申し上げてないのに、怒り出しなさるのって、何か理由があるのでしょ?」って、派手に笑ってるもんだから、「それもあの人(清少納言)が言わせていらっしゃるんだろっ」って、すごく不愉快にお思いになってるのよね。
 「絶対そんなことは申し上げてません! 人が悪口を言ってるのを聞いても憎ったらしいのに」って、私、答えて、お部屋に引っ込んだら、その後にもやっぱり、「人の恥になるようなことを言いふらした」って恨まれて、「殿上人たちが笑ってるから、言ったんだろ?」っておっしゃるから、「それなら、私一人をお怨みになるべきじゃないのに、おかしいわよ」って言ったら、それから後は、彼とのかかわりは完全に途絶えて、私とは付き合いをおやめになってしまったの。


----------訳者の戯言---------

「源中将語らひてなむ」と出てきます。「語らふ」という語は「じっくり話す」「相談する」という意味ももちろんありますが、「親しく話す」「親しく交際する」さらには「男女が契る」という意味にまで至ります。これはさほど珍しい使い方ではないようですね。
ここでは、「源中将が付き合ってるのよね」という意味です。

「職」はおなじみですが、「職の御曹司」のことです。「職曹司」つまり「中宮職」の庁舎。中宮職というのは、皇后に関する業務全般を司る役所でした。
長徳の変」のあおりを受け後遺症的に謹慎状態だった中宮・定子が、その謹慎期間が明けた直後、「職の御曹司」に長期滞在していた時期があり、その頃の話です。枕草子ではおなじみの場所ですね。

前の段で、しつこく清少納言にちょっかいを出してきた源中将(源宣方)ですが、つれなくされました。それを根に持ったわけではないでしょうけど、この段ではかなりご立腹です。

清少納言からすると、あれだけ自分に言い寄ってきてたのに「うちふし」とかいう者の娘の左京とかいう小娘とねんごろになって、通いつめてるらしい源中将にイラついたんでしょう。やっぱり不憫に感じます。

「うちふし」というのは漢字で書くと「打臥」。人気のあった巫女さんだそうです。占い師な人としてよく当たるというか、中宮・定子の父、関白・藤原道隆の父の兼家もかなりのファンだったらしいですね。で、その娘が左京です。ということで、あまり身分が高いとはいえないというか、むしろ、身分がよろしくない。そんな下層階級の娘が弘徽殿の女御に仕える女房なん!?っていうのが、貴族社会のやらしいところです。何様?
はい、清少納言様です。みんなに代わって、卑しい身分の女と付き合ってる源中将をチクリと皮肉っときましたわ。どーよ。って感じです。

実を言うと、階級社会の当時はそんなものなんですね。全然悪びれてません。むしろいいことしてる感覚ですね。
その左京ってコと親密な関係になった源中将を、女房たちも、殿上人たちも笑いものにしてるというのが、この段のバックグランドにあるわけですね。

清少納言の一言が、自分、そして彼女も馬鹿にされたかのように感じてカチンときたんでしょうけど、怨みの気持ちは止まりません。しつこく食い下がります。さらっと、ジョークででかわせればいいんですが、そういう余裕もない源中将。
かくして、清少納言と源中将は絶交となります。

前の段でもそうでしたが、私の中では不器用だけど意外といい人、という評価になりました、源宣方。
対して、この段で清少納言は本当に嫌な女です。
単に、そういう時代、そういう社会だから仕方ない、では片づけられないものを感じた段ですね。


【原文】

 弘徽殿(こうきでん)とは閑院の左大将の女御をぞ聞こゆる。その御方にうちふしといふ者のむすめ、左京と言ひて候ひけるを、「源中将語らひてなむ」と人々笑ふ。

 宮の職におはしまいしに参りて、「時々は宿直などもつかうまつるべけれど、さべきさまに女房などももてなし給はねば、いと宮仕へおろかに候ふこと。宿直所をだに賜りたらば、いみじうまめに候ひなむ」と言ひゐ給へれば、人々、「げに」などいらふるに、「まことに人は、うちふしやすむ所のあるこそよけれ。さるあたりには、しげう参り給ふなるものを」とさしいらへたりとて、「すべて、もの聞こえじ。方人とたのみ聞こゆれば、人の言ひふるしたるさまにとりなし給ふなめり」など、いみじうまめだちて怨(え)じ給ふを、「あな、あやし。いかなることをか聞こえつる。さらに聞きとがめ給ふべきことなし」などいふ。かたはらなる人を引きゆるがせば、「さるべきこともなきを、ほとほり出で給ふ、やうこそはあらめ」とて、はなやかに笑ふに、「これもかの言はせ給ふならむ」とて、いとものしと思ひ給へり。「さらにさやうのことをなむ言ひ侍らぬ。人のいふだににくきものを」といらへて、引き入りにしかば、後にもなほ、「人に恥ぢがましきこと言ひつけたり」とうらみて、「殿上人笑ふとて、言ひたるなめり」とのたまへば、「さては、一人をうらみ給ふべきことにもあらざなるに、あやし」といへば、その後は絶えてやみ給ひにけり。

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

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宰相の中将⑥ ~内裏の御物忌なる日~

 帝の御物忌の日、右近の将監で、みつナントカっていう者を遣わせて、源中将が畳紙(たとうがみ)に書いて届けて来たのを見ると、「参上しようと思ってます、今日明日は御物忌なので。『三十の期に及ばず』はどうでしょうか?」って、言ってきたから、返事に「その年齢はもう過ぎてしまわれたでしょう? 朱買臣が妻を説得した齢にはならないかもだけど」って書いて使いの者に届けさせたんだけど、彼ったら、また悔しがって、帝にも申し上げたもんだから、帝が定子さまの御殿にいらっしゃって、「どうしてそんなこと知ってたの? 『三十九歳になった年に朱買臣は妻を戒めた』って。宣方は『キビシイこと言われましたわー』って言ってるみたいだよ」っておっしゃったの、イカレてる物好きな方!って思ったのよね。


----------訳者の戯言---------

御物忌(ものいみ)。物忌っていうのは、陰陽師が占って凶日とした日らしいです。これまでにも何度か出てきましたね。災いを防ぐため、家に閉じこもって、来客も禁じて、おとなしくしてた、という行事。行事というか、ちょうど今、新型コロナで、緊急事態宣言が出て外出を自粛していますが、それに近いです。ただ、物忌は科学的根拠があるわけではなく、もっとオカルト的でした。
で、この御物忌の日はみんな暇だったとは思います、経済的な不安もない皇族や貴族ですからね。

ここでは、源中将が、御物忌の日に宮中で宿直だったのでしょうか、で、ヒマだったというか。
「三十の期」の詩吟をネタにして、しきりに清少納言に会いたがる源中将、またもやちょっかいを出してきたということですね。

右近の将監(しょうかん/しょうげん)とは、右近衛府の三等官のことを言います。源中将がこの人を使いにしてメッセージを送ってきました。

畳紙(たとうがみ/たとうし)は、結髪の道具や衣類などを包むための紙だそうです。今は紙袋がありますし、ハンドバッグ、ポーチ、トートバッグ、物によってはレジ袋、ラップ、チャック付のビニ袋etc.いろいろありますからね。ま、当時はこういうのを使ってたようです。ということは、ここでは割とカジュアルに手紙を書いてきた、ということでしょう。

朱買臣(しゅ ばいしん)というのは、前漢の官僚。武帝という当時の皇帝の側近として仕えた人だそうです。元々、貧しかったんですが、本ばかり読んで、薪を背負って売って暮らしていました。なので、貧しいまま。中年になっても全然お金がありません。奥さんがいましたが、そんなこんなで愛想を尽かされ離縁を迫られます。それに対して、「私は50歳になったら富貴な身分になる。お前は今までずっと苦労していたから、私が富貴になるのを待っていれば大いに報いようではないか」と説得したのが、ここで出てきた「妻を教へけむ年」の故事の由来です。
で、結果的には先にも書いたように出世をして武帝の側近となります。そして、彼の言うことを信頼できなかったことを恥じて、後年、元妻は自殺してしまったそうです。

というわけで、前の記事⑤に続いて源(宣方)中将のお話です。斉信から教えてもらった「三十の期」で何とか清少納言接触しようと手紙まで寄こしますが、機転を利かせて「(三十歳にならない前に、って言うけど)アナタ、三十過ぎてるでしょ、朱買臣が奥さんを説得した年齢にはまだなってないけどね」と、ピシャリとお断りする清少納言。つれないよな。

なのに、「清少納言サンにこんなこと言われちゃいましたよー」と、帝に報告までしちゃう宣方。素直というか、カワイイじゃないですか。

清少納言的には、ちょーっそれ帝に報告って、頭おかしいでしょ!って感じです。disりながらも、案外まんざらでもない、楽しんでいるようでもあるし、口が軽いし信用できないわ、と本気で思っていたのかもしれません。
いずれにしてもこの段、宰相の中将(藤原斉信)からはじまったお話ですが、結局、源中将のおもしろさに持っていかれました。

これに対して、藤原斉信には清少納言、まるで目がハートマークになっているかのような好意的な書き方。しかし、先にでも書いたとおり、定子の父で関白の藤原道隆が亡くなり、後継者の覇権争いが繰り広げられたころです。藤原斉信は、元々は定子サロンに近かった人物ですが、後に権力を握るライバル、藤原道長に急接近したことで宰相の中将に昇進した人でもあります。清少納言的には、この貴公子を礼賛しながらも、もしかすると、ピッカピカだけど、キレ者すぎて油断できないわね、という意識も多少あるかもしれません。邪推でしょうか。

一見、能天気に見える清少納言自身も、時代の荒波に翻弄されてたのかもしれません。後の権力者、藤原道長とも親交があったようですからね。
何せ「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の人です。その辺のサワリのところは「関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて①」「関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて② ~中納言の君の~」に私も書いています。よろしければご一読を。

ということも、ふまえつつ、この段は例によって清少納言の知識自慢、アドリブ自慢、モテモテ自慢もふんだんに盛り込まれており、楽しめる内容にはなっています。素直にそのまんま読むもよし、社会的背景や心の裏側も想像しながら読むもよしです。


【原文】

 内裏(うち)の御物忌なる日、右近の将監(さうくわん)みつなにとかやいふ者して、畳紙(たたうがみ)にかきておこせたるを見れば、「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。『三十の期に及ばず』はいかが」と言ひたれば、返りごとに、「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」とかきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはいましめけれ』とて、宣方は、『いみじう言はれにたり』といふめるは」と仰せられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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宰相の中将⑤ ~宰相になり給ひし頃~

 宰相(参議)におなりになった頃、帝の御前で、「あの方は詩をすごくお上手に吟じられるのです。『蕭會稽之過古廟』なんかも、誰があんなに上手く吟唱できるでしょう? できないでしょう。もうしばらくの間だけでも(蔵人の頭として)お仕えすればいいのに。残念ですわ」なんて申し上げたら、すごくお笑いになって、「そこまで言うのなら、任命しないことにするよ!」なんておっしゃるのも可笑しいわ。
 でも、宰相におなりになったから、頻繁に出会えなくなってほんとに残念な思いをしてたんだけど、源中将は、彼(斉信)に負けまいと思って、もったいぶって歩きまわるもんだから、宰相の中将の噂話を持ち出して、「『未だ三十の期に及ばず~』っていう詩を、全然誰も真似ができないくらいに、上手く吟じられたんです」なんて言ったら、「どうして私が彼に劣るだろうかね? 勝ってるでしょうよ」って吟唱なさったんだけどね、「全然似ても似つかわないわ」って言ったら、「情けないよなぁ。何とかして彼みたいに上手く吟じたいもんだよ」っておっしゃるから、私、「『三十の期~』って詠うところが特にカンペキにすごくチャーミングでしたわね」なんて言ったら、悔しがって笑ってはいたんだけど、斉信さまが近衛の陣に着席なさった時、傍らに呼び出して、「こんなこと言うんですよ! やっぱ、そこんとこ教えてくださいよー」っておっしゃるから、笑って教えてたってこと、私は知らなかったんだけど、私の部屋のところに来て、すごく彼によく似た感じで吟じたのを不思議に思って、「それは誰ですの?」って聞いたら、笑い声になって、「いいことをお教えしましょう。これこれこういうワケで、昨日、陣にいた時に教えてもらったから、さっそく似てたんでしょうねー。『誰です?』って優しい感じでお聞きになるし…」って言うから、わざわざ習いに行かれたっていうのがおもしろくって、これさえ吟じたら(私が)出てきておしゃべりするもんだから、「宰相の中将の人徳が現れてるよ。中将のいる方に向かって拝まないといけないよね」なんて言うの。実は自室に下がってても、「今は中宮さまの御前にいます」とか、使いの者に言わせる場合でも、源中将がこの詩を吟じたら、「ホントはいました~」なんて言っちゃうのね。定子さまにもこんなことがあったことを申し上げたら、お笑いになるのよ。


----------訳者の戯言---------

「蕭會稽之過古廟」と書いたのは、「上州大王陪臨水閣詩序」という漢詩のようです。

上州大王陪臨水閣詩序

蕭会稽之過古廟
託締異代之交
張僕射之重新才
推為忘年之友

蕭会稽が古廟(こべう)ヲ過(よ)キシ、託(つ)ケテ異代ノ交リを締(むす)ベリ~という感じの詩。なんのこっちゃ。会稽郡の丞となった蕭允が、途中延陵で呉の季礼の廟を通り過ぎた時~時代は違うけど志を同じ者ってことで交わりを結んだ、、というようなお話ですが、それでもよく意味がわかりません。あ、わからなくてもいいですか? ま、そういう有名な詩があったということで。

さらに「未だ三十の期に及ばず」という漢詩が出てきます。調べてみると、「見二毛(ニ毛ヲ見ル)」というタイトルの詩でした。

見二毛(ニ毛ヲ見ル) 源英明

吾年三十五 未覺形體衰
今朝懸明鏡 照見二毛姿
疑鏡猶未信 拭目重求髭
可憐銀鑷下 拔得數莖絲
   (中略)
顏回周賢者 未至三十期
潘岳晉名士 早著秋興詞
彼皆少於我 可喜始見遲

吾年三十五、未ダ形体ノ衰ヲ覚エズ。今朝明鏡ヲ懸ケ、ニ毛ノ姿ヲ照ラシ見ル~(中略)~顔回ハ周ノ賢者、未ダ三十ノ期ニ至ラズ。潘岳ハ晋ノ名士、早ク秋興ノ詩ヲ著ハス~という詩のようですね。「未だ三十の期に及ばず」の部分は、「顔回は周の賢者で、三十歳にならない前に~云々」ということかと思います。意味、よくわかりません。
ここのお話の中では、詩の内容はあんまり関係ないんですがね。

というわけで、そのような漢詩を上手く吟唱される宰相の中将(斉信)を絶賛する清少納言。そしてその吟じ方を教えてもらって、真似をする源中将(宣方)です。しかし、清少納言、宰相の中将のすばらしさを際立たせたいの、わかりますけど、宣方さまを笑いものにし過ぎですよね。
しかも中宮定子さまにまでチクって、笑われてるんですよ。前の記事にも書きましたけど、カワイソ過ぎますよ。
ということで、ようやくこの段の最後⑥に続きます。


【原文】

 宰相になり給ひし頃、上の御前にて、「詩をいとをかしう誦(ずう)じ侍るものを。『蕭會稽(せうくわいけい)之(の)過古廟(こべうをすぎにし)』なども誰か言ひ侍らむとする。しばしながら候へかし。口惜しきに」など申ししかば、いみじう笑はせ給ひて、「さなむいふとて、なさじかし」などおほせられしもをかし。されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相の中将の御うへを言ひ出でて、「『未だ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦(ずう)じ給ひし」などいへば、「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」とてよむに、「さらに似るべくだにあらず」といへば、「わびしのことや。いかであれがやうに誦(ずう)ぜむ」とのたまふを、「『三十の期』といふ所なむ、すべていみじう愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりて笑ひありくに、陣につき給へりけるを、わきに呼び出でて、「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」とのたまひければ、笑ひて教へけるも知らぬに、局のもとにきていみじうよく似せてよむに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、笑みたる声になりて、「いみじきことを聞こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』とにくからぬけしきにて問ひ給ふは」といふも、わざとならひ給ひけむがをかしければ、これだに誦(ずう)ずれば出でてものなどいふを、「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」などいふ。下にありながら、「上に」など言はするに、これをうち出づれば、「まことはあり」などいふ。御前にも、かくなど申せば、笑はせ給ふ。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

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宰相の中将④ ~人と物いふことを碁になして~

 人とお話しすることを碁に例えて、親しく語り合うような関係になったのを、「手を許してしまったらしい」「最終局面に入った」なんて言って、「男は何目か(優位を)もらうんじゃない?」とか言うことも、他の人は知るすべもないのね。で、この君(斉信)とはその意味を共有し合ってトークしてたら、「何だ?何だ??」って源中将は付きまとってきて聞くんだけど、私は言わないもんだから、斉信さまに「ひどいな、何のことかおっしゃってくださいよ」って恨まれてね、彼も仲の良い友だちなので、その意味を教えてあげちゃったのね。
 すっかり親密な関係になることを「(ゲームが終わって)晩の上の石を崩す頃だよ」なんていうの。源中将は、私も知ってる!!って早くわかってもらいたい!って、 「碁盤はありますか? 私と碁を打っていただきたい。手はどうします? 先手を許してくださいます? 頭中将とは同レベルの碁です。分け隔てしないで!」って言うもんだから、「誰とでもそんなことをしてたら、キリがないでょう?」と私が言ったのを、また源中将が斉信さまにお話ししたら、「うれしいことを言ってくれたね」ってお喜びになったわ。やっぱり過ぎ去ったことを忘れない人は、とても素敵なのよね。


----------訳者の戯言---------

結(けち)というのは、囲碁で言う「駄目」のことだそうです。で、駄目というのは、囲碁の終局時に、どちらの陣地でもない領域のことを言うそうですね。囲碁のこと知らないので初めて知りました。終局前にここへ打ったとしても、1目の価値もない点、つまり打つ価値のない場所ということだそうです。そもそもアカンことを表すダメ=駄目の語源だったんですね。

さてこの段の第二幕というか、斉信との親密ぶりをさらにアピールしてきます、清少納言
今回は「男女の仲を囲碁に例える」の巻です。なんか、清少納言藤原斉信の二人だけでスラング的に会話してたら、興味津々の源中将(宣方)が教えて教えてとちょっかい出してきます。ちょっと嫉妬してるんでしょうか、うらやましいのかもしれません。

で、ようやく聞き出して、清少納言囲碁スラングで話しかけてきますが、つれない態度の清少納言。斉信サマもウェルカム、それをよろこんでいますね。二人とも、二人だけの世界を楽しんでいるかのようです。完全に彼女の中では、宣方<斉信 となってます。そりゃあ、斉信さまはいかしてるかもしれませんが、宣方をえらく下に見てませんか? 小馬鹿にしてないですか?

というわけで、源中将=源宣方がちょっと不憫。⑤に続きます。


【原文】

 人と物いふことを碁になして、近う語らひなどしつるをば、「手ゆるしてけり」「結(けち)さしつ」などいひ、「男は手受けむ」などいふことを人はえ知らず。この君と心得ていふを、「何ぞ、何ぞ」と源中将は添ひつきていへど、言はねば、かの君に、「いみじう、なほこれのたまへ」とうらみられて、よき仲なれば聞かせてけり。あへなく近くなりぬるをば、「おしこぼちのほどぞ」などいふ。我も知りにけりといつしか知られむとて、「碁盤侍りや。まろと碁うたむとなむ思ふ。手はいかが。ゆるし給はむとする。頭の中将とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば、定めなくや」といひしを、またかの君に語りきこえければ、「うれしう言ひたり」とよろこび給ひし。なほ過ぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。

 

新編日本古典文学全集 (18) 枕草子

新編日本古典文学全集 (18) 枕草子

  • 発売日: 1997/10/24
  • メディア: 単行本