枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。

清涼殿の丑寅の隅の①

 清涼殿の東北の隅っこにある、北側と隔ててる障子は、荒海の絵で、恐ろしげな生き物の手長や足長なんかが描かれてるの。上の御局の戸を押し開けたら、いつでも見えるんだけど、みんな嫌がったりして笑うのよね。

 欄干の下のところに青い瓶の大きいのを置いて、桜のすごくいい感じな枝の五尺(150cm)くらいのを、めっちゃいっぱい挿して、欄干の外まで咲きこぼれちゃったお昼頃、大納言殿(藤原伊周)が、桜の直衣の少し着慣れたのに、濃い紫の固紋の指貫、何枚かの白い御衣(おんぞ/おほんぞ)と、上着の中に重ね着した濃い綾織のとっても鮮やかなのを出して宮中に来られたんだけど、帝がこちらにお越しになったので、戸口の前の細い板敷にいらっしゃって、お話し申し上げるの。

 御簾の内側では、女房たちが桜の唐衣なんかをラフに着崩して、藤色や山吹色とか、カラフルでイケてるのがいっぱい小半蔀(はじとみ)の御簾からはみ出してる頃、昼の御座(おまし)どころの方では昼食の準備の足音が高く響いてて。先払いの「おし!」っていう声が聞こえるのも、うららかにのどかな日の風景なんかも、すごく素敵で、最後のお膳を準備した蔵人が来て、お食事のスタンバイOKなのを申し上げたら、帝が中の戸から昼の御座所へお移りになるの。大納言殿はお供して縁側からお送りに参上なさったんだけど、その後、元々の例の桜の花のところにお戻りになったのね。

 中宮様が前の御几帳を押しやって、長押(なげし)のところにまで出てこられるっていうのは、ただ何というわけではなくすっごくステキで、側に仕えてる人だって、何の不安も思わなくっていいウットリ気分で、「月も日も変わっていくけど永く変わらぬ三室の山の」って、(大納言様が)とてもゆったりとおっしゃるのが、すごく素敵に思えて、ホント、千年もこうあってほしいナって思える、(ご兄妹の)ご様子なのですよね。


----------訳者の戯言---------

ウィキペディアによると、手長足長というのは、各地に伝わる伝説や昔話に登場する巨人らしいですね。
手も足も長い一体のものであるという説もありますし、多くは手長と足長のそれぞれ1体ずつ、という話です。
手長足長には、神仙としてのイメージ、異民族や妖怪としてのイメージ、この二つがあるようですね。

この段に出てきた障子は「荒磯障子」と呼ばれるものらしいんですが、手長と足長を神仙図として描くことによって天皇の長寿を願ったものらしいです。
天皇のお住まいである清涼殿に置かれたわけですね。

さて高欄(こうらん)ですが、まあ、「欄干」と同じだそうです。屋敷の周りなんかに付いてる手すりみたいなやつですね。橋の欄干、っていうのもあります。

一尺≒30.30303030303…cmなので、五尺は150cmぐらいですかね。

藤原伊周というのは前にも出てきましたが、清少納言が仕える中宮・定子の兄ですね。「大進生昌が家に」という段に詳しく書いてます。

桜の直衣についても前に「三月三日は」っていう段で出てきました。この段のこの部分って、「三月三日は」のとほぼ同じ情景ですね。

まず、「固紋(かたもん)」っていうのは、織物の紋様を、糸を浮かさないで、 かたく締めて織り出したものを言うらしいです。カッチリと模様が織り込んである、と。で、「指貫(さしぬき)」というのは袴ですね。ボトムスです。裾を紐で引っ張って絞れるようになってるやつ、だそうなので、今のファッションで言うと、カーゴパンツの裾とかのドローコード付きみたいな感じだと思っていいかもしれません。

主上というのは天皇のことだそうです。

小半蔀(こはじとみ)というのは小窓みたいな感じでしょうかね。

原文にある「警蹕(けいひち)」というのは、天皇や貴人の通行などのときに、声を立てて人々をかしこまらせ、先払いをするんですが、これを「けいひち」とか「けいひつ」とか言ったようです。「おし!」とか言ったんですね。

「長押(なげし)」ですが、よく言われるのは引き戸の上の部分、鴨居の上です。つまり柱に垂直(つまり水平)に渡した構造材、というのが一般的な意味合いですね。鴨居っていうのは、引き戸の上のレールのことです。敷居が下のレールです。
かように長押っていうのは、柱同士を水平方向につないで外側から打ち付けられてる構造材全般を言いますから、上部にも下部にもあります。地面に沿うようなのもあるようです。ここで出てきたのは、下の方、つまり敷居のあたりに渡された「長押」なんでしょう。
外廊下にそれがちょっと出ているイメージでしょうか。

ちょっと意地悪な言い方をすると、伊周とか定子とかを褒め過ぎなんですよね。それはもう、気持ち悪いくらいで、情景描写もかなり悦に入っている感じで、厳しい言い方すると、自分の筆にも酔っちゃってますね、清少納言


【原文】

清涼殿の丑寅の隅の、北の隔なる御障子には、荒海の絵、生きたる物どものおそろしげなる、手長足長(てながあしなが)などをぞかきたる。上の御局の戸をおしあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。

高欄のもとに青き瓶の大きなるすゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫、白き御衣ども、うへには濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐり給へるに、うへのこなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷にゐ給ひて、ものなど申し給ふ。

御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎたれて、藤、山吹などいろいろこのましうて、あまた小半蔀(はじとみ)の御簾よりも押し出でたるほど、昼の御座のかたには、おものまゐる足音高し。警蹕(けいひち)など「おし」といふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、はての御盤取りたる蔵人まゐりて、おもの奏すれば、中の戸よりわたらせ給ふ。御供に廂より大納言殿御送りにまゐり給ひて、ありつる花のもとに帰りゐ給へり。

宮の御前の御几帳おしやりて、長押のもとに出でさせ給へるなど、何事となくただめでたきを、候ふ人も、思ふことなき心地するに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふことを、いとゆるらかにうち出だし給へる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げに千歳もあらまほしき御ありさまなるや。


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